秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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やはり私は好きです
まさか「秒速」をIMAXで観れる日がくるなんて思ってもいなかったです。
公開時、今はなき渋谷シネマライズに観に行きました。
その映像美や構成に凄い衝撃として残ってしまい、それをもう一度確認したくて初めて二度劇場に足を運んだ作品でもあります。
短編作品ながらも3部構成の作りは見易く、また天門の音楽も寄り添うようで実にあっていまいした。
また、どうしてもそのサウンドトラックが欲しくて、DVDも購入(サントラCDは同梱特典のみ)したものです。
そうして迎えたIMAX版。やはりというか、新海作品と実にあいます。
当時の小さなスクリーンとは別格で、リマスタリングしたかのよう。
隅々まで美しさが感じられ、冒頭の桜並木の描写からして息をのむようでした。
3部タイトルバック「One more time」の入り方は今観ても見事で、大きなスクリーンでのカットは見応えがありました。
合う合わないが分かれるストーリラインだとは思いますが、この作品やはり私は好きです。
そしていつか、「雲のむこう」も大きなスクリーンで観れますように。
若さ
これまで地上波放送や配信で観てはいましたが、スクリーンでは初。
「新海誠IMAX映画祭」にて大スクリーンで改めて。
「『NASDA』懐かしい」
「種子島最高」
などと思う一方で。
この作品の発表当時に流行りの、独白セリフで心情全て説明しちゃうタイプの作り方に時代性と、キャラの青臭さでの監督の若さを感じつつ。
心象表現に、風景描写を多用する作風はもう完成していたんだな、と再確認。
しかし、小学生の時の想いが、中学でMAXを迎え、高校時代から徐々に距離が離れていき、大人になってからの壊れっぷりは…
「SEってのは心を壊す仕事だよな」
が観終わっての一番強い感想になるのは、私の偏見によるものだろうか?
心がとろける
新海誠監督の作品は、最高の環境で見ると2倍3倍のレベルではなく、10倍増しにも感じる。冒頭の桜が舞い散る圧倒的な映像美にふさわしい言葉が浮かばない。
ストーリーは、めちゃくちゃキュンキュンくる。
第1章は、新海監督の願望じゃないの。中学生の頃、こういう恋愛がしたかったっていう。わかるわかる。こんな一晩があったら、一生別れたくないと思うもの。
第2章は、こんなクールな俺でありたい。そんな願望だよね。かわいいクラスメートが恋のサインをバンバン出しているのに、俺は女の子として見てませんから。
これもわかる。毎日自分に酔ってみたい。
第3章は、ある種のナルシズム。俺は組織の歯車として生きることができない人間だし、俺を理解できるような女はそうそういない。
これは、わからない。だから、『君の名は』は、ああなったのか。
とにかく、心がとろける作品でございました。
新海誠IMAX映画祭にて
人によって見方が違う面白い映画
繊細な描写だが、くさい背景が気になる
第一話は若者の純粋で繊細な心の動きがよく描かれていて感動しました。
が、一話から三話まで常に夕焼けや満点の星空などカレンダーに描かれるような多彩な色づかいのキラキラ背景が現実ばなれというか、、、くさすぎて。。。
やりすぎな気がして終始気になりました。
ロマンチストさんにはオススメです。
列車、線路、駅、踏切に雪、桜、それらのあまりにも美しい映像、それに被さる情感的な音楽。
切なすぎる、、
【平均では計れないもの】
秒速5センチメートルと言ったって、条件を一定に録った平均のはずだ。
外では、風に吹かれたり、雨の重さを感じたりして、桜の花びらの落ちる速度は様々だ。
それに、そもそも、桜の花びらは、ひらひら揺れて、捕まえるのは難しかしかったり。
この作品は、子どもの頃、心に誓ったことや、願ったことが、どんどん遠くに離れてしまっていく様子を、かなり切なく伝えている。
なぜ、あの時、きちんと向き合えなかったのだろうか。
なぜ、あの時、きちんと伝えられなかったのだろうか。
なぜ、あの時、勇気を持って行動に移せなかったのだろうか。
考えると、そんなことだらけだ。
だが、それも愛おしい自分の一部であることは間違いない。
桜の散る速度は、状況によって様々だ。
森山直太朗の「さくら」にもあるように、舞い上がるものだってあるはずだ。
僕達の、喪失感や悲しい思い出も、それぞれ異なるはずだ。
平均では表すことが出来ない、それぞれに大切なものなのだ。
最後が全て。秒で泣ける。
十代の時にしか抱けない気持ちがここにはある。
それぞれ立場は違うけれど、相手を一途に思ったり、諦めたり、傷つけたり、一人傷ついたり。波に乗れたとか変なジンクスで告白するかどうか決めたり。メールを打っては消して。
自分にも似たような感情を抱いていた若き日があったことを思い出した。
時系列で、3作品がシンクロして、やがて全て繋がっていく。
2人が交互に語るモノローグから始まり、数々の思い出の絵のフラッシュと山崎まさよしの曲のカットインからのタイトルバックが素晴らしくかっこいい。
泣ける!
ここに来ると秒で泣ける。
近くにいて1000通メールしても1センチも近づけなかった関係と、遠くにいても秒速5メートルで近づこうとする関係と。
物理的距離と心の距離は正比例しない。
未熟故に実らなかった恋は永遠に桜の花びらのように散り続ける。
実らなかったから存在し続けるし、思い出す度に幸せなんだな。
テーマがわからない
本作では小学中学時代の初恋を忘れられず引きずったまま大人になっていく一人の男性の人生が断片的に語られています。良くも悪くもそれだけの映画です。
「物語」は「出来事」と「テーマ」が揃って初めて「物語」として成立すると思っています。この映画は「出来事」の描写があるのみで、映画全体を通じて何を訴えたいのか全くわかりません。アクションもののように何が言いたいとかじゃなく単に「かっこいい映像/ストーリー」であるなら話は別ですが、本作は別にそういう映画ではないと思います。
大人になってから初恋の人と踏切ですれ違い、振り向いたところで電車がやってくるも電車が通り過ぎるとそこに彼女はいない、という切ないラストで終わりますが、それを踏まえて主人公が一歩踏み出すわけでもなく、成長するわけでもありません。この映画を通じて監督が伝えたかったことは一体なんでしょうか。「初恋って忘れらんないよね。一人の女性をいつまでも心に刻んで忘れないのって素敵でしょ?」って言いたいだけな気がしますが、だとしたら普通に結ばれて終わりでよかったのでは?最後の最後に現実を突きつける必要はないのでは?と思ってしまいます。
一方でただの娯楽映画として見ても全体的に雰囲気が暗く、過去の恋愛に囚われて現実の女の子をないがしろにする主人公を見て楽しめるわけでもありませんでした。最後に結ばれて終われば「まあそういう恋愛もあるよね」となるのに当然のように彼女に立ち去られてしまう主人公。一体この1時間何を見せられていたのかと思いました。
加えて、映画全体を通してモノローグによる語りが多いです。「〜と思った。」「〜であった。」のように登場人物にセリフを通して説明をさせるのですが、ぶっちゃけこれは映像作品としてやってはいけない手法なのではないかと思いました。映像クリエイターはこういった繊細な心理描写等を映像で観客に伝えるのが仕事じゃないでしょうか。全て言葉で説明するならオーディオブックでいいです。
秒速五センチメートル
第一話は本当にせつなかった。 中1の少年が転校前に女友達に会いに行...
【桜の花びらがゆっくりと舞い落ちるように、成長していく少年の姿を軸に、幾つかの繊細な恋愛模様を山崎まさよしの「One more time, One more chance」に乗せて描き出した作品。】
ー今作は、「君の名は。」を鑑賞し、日本のアニメーターにこんな凄い人がいたのかと驚き、慌てて近隣のビデオレンタル店に駆け込んだが、長らく借りられず(ずっと、貸し出し中であった)漸く観て、その世界観と繊細な感情の機微を表現した作風に、彼の作品の原点を見た気がした作品。-
第1話「桜花抄」
小学6年生だった貴樹と明里の仄かなお互いへの恋心。
そして、中学生になった貴樹が、栃木に引っ越しした明里を、雪が降る中訪ねて行く心の不安と、久しぶりに再会した二人の雪が舞う中の接吻と、朝日が差し込む中での二人の姿が、二人の未来を暗示するようなシーンが印象的。
第2話「コスモナウト」
貴樹も中学の半ばで東京から引越し、遠く離れた鹿児島で高校生生活を送っていた。
同級生の花苗は、中学生のころから貴樹をずっと思い続けていたが、彼の心は別のところにあると知っていた・・。
ー花苗自身の心中を自ら語るモノローグの言葉が、切ない・・。-
種子島から発射されたロケットが、”二人のそれぞれの将来に祝福あれ・・”と言うことを暗示していたシーンが印象的。ー
第3話「秒速5センチメートル」)
社会人になり、東京で働く貴樹。だが、明里の事が忘れられず、付き合っていた理沙から”心が私に向かっていない‥””と指摘され、別れ、やがて会社も辞める。
だが、春が訪れると、貴樹は昔から歩きなれた道の踏切である女性とすれ違い・・。
<絵は、未だ粗いが、その後の新海ワールドがこの時点で、既にほぼ出来上がっていたことが分かる短編連作集。醸し出す魅力は十分な作品群である。>
<2016年 DVDにて鑑賞>
<2020年10月11日 別媒体にて再鑑賞>
何か自分の感じているものと近しいものを感じました。
よく親の仕事で引っ越す自分と照らし合わせたのか、何か自分の感じているものと近しいものを感じました。ニューヨークでは孤立している私には恋愛なんぞ程遠いもので、作り物をみて満たされない感情をコントロールしているのですが、最近は非現実的なストーリーに流石に飽きがきていました。このような映画を一番求めていました。
この映画はエンディングからも、途中のメールを書く場面も、遠距離の恋の「遠さ」をうまく描けているなと思いました。だらだらとした今年の夏休みの終わりに見たせいか、高校の最後の年だという現実に引き戻されたように感じます。自分は主人公のように今できることが果たして全力でできているのか、再び考えさせられました。新型コロナでもう5ヶ月近く家族以外の知っている人に会っていない状況で、昨年末の失敗を繰り返さないようまもなく始まる新学期を気合を入れて向き合わないといけないですね…
普通の人にこの映画はどのように映っているのでしょうか?
情熱が失われていくまでの軌跡
主人公のタカキと、ヒロインのアカリが綴る三部作。
第一部で中学生のタカキは、遠方へ引っ越して行ったアカリを求めて会いに行く。
例え列車が運休するような豪雪の中でも諦めない。アカリもそんなタカキを信じて待つ。
純粋な、お互いを思う気持ちが胸を打つ。
しかし第二部(高校生)・第三部(社会人)と移るにつれ、そんなお互いの情熱が失われていく。その様が痛々しい。映像が美しければ美しいほど、逆に痛みを感じる。
「劇」というのは、まさに劇的なものであって、誰かが何かの困難を乗り越えたり、欲求を果たそうとする様を見るもの。そこには当然、人物の成長を伴う。
しかしこの映画では、逆に退行していく人物を目の当たりにする事になる。…ツライっす。
主人公のタカキが感じているであろうツラさに比べれば、微々たるモノであろうが…
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