秒速5センチメートル(2007)のレビュー・感想・評価
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一歩を踏み出すまでの物語
イラスト、音楽、セリフ、そして作品タイトルまで
なにからなにまで切なさで溢れている作品だなと思います。
この映画が公開された当初鬱映画だなんだと言われていたそうですが、私は全くそうは思いませんでした。
ずっと綺麗で大切で拠り所としていた明里との思い出が大人になるにつれて次第に貴樹の心を固くしてしまう。
映画ではほんの数十分で大人になるまでの時間が流れていきますが、実際はとてつもなく長い時間重く苦しい思いをしてきたんだと思います。
最終的に二人は踏切ですれ違いお互いを認識するも踏切が閉まってしまう。
しかし電車が通り再び踏切が開いたときにはもう明里はいなかった。
その二人が結ばれなかったというラストでおそらく鬱映画と言われているのでしょう。
だけど、最後の貴樹の表情を見るかぎり鬱エンドには思えませんでした。
あそこで明里とすれ違ったことで、振り返ったときに明里がいなかったことで、やっと貴樹は前に進める。
栃木まで会いに行ったときの別れ際に明里は「貴樹くんなら大丈夫」と声をかけていましたが、その言葉の通り貴樹を「大丈夫」にしたのは明里だった。
だから明里との思い出は美しいままで、すがりつくだけの過去ではなくなった。
あの踏切のシーンで、過去に執着する貴樹ではなく未来を期待する貴樹を見れてようで、すごく温かい気持ちになれました。
過去に囚われていた少年が一歩踏み出すまでの切なく優しい物語でした。
賛否両論あるけど、、、
私は大好きです。とても引き込まれました。
たしかに視聴者を置いてけぼりにしてる感が否めない、モノローグを多用しすぎてこんなの映画じゃない、というような意見も少なくないようです。私はとても好きです。絵も言葉もとても綺麗で引き込まれました。内容も個人的にはとても好きで自分の経験と照らし合わせ主人公に感情移入しながら見ることができ、置いてけぼりにされたというような感じはしませんでした。
主人公の行動が理解できない、終わり方が後味が悪くて嫌だ、という方も多いですが私はむしろハッピーエンドよりも好きな終わり方でした。まあ、ありきたりっちゃありきたりな感じの終わり方でしたね。結局は好みの問題なのかもしれません。私はとても楽しめました。
絶望的な悲しみに感動します!
行動が理解不能
心理描写は微細で気持ちは痛いほど伝わるが、なぜアクションを起こさなかったのか理解できない。
一話の桜花抄までは星4.5であったが最終的に星2.5になった。
それなりに幸せ?に過ごせている明里に対し、未練タラタラと10年以上もなんの行動もせず想い続け、その影響からか仕事も上手くいかず辞めてしまう。
"女は上書き保存、男は名前を付けて保存"なんてフレーズがある。
明里も花苗も(水野も?)気持ちを切り替えることが出来ているのに遠野はいつまでも引き摺っている。
書き込み不可の記録媒体になってしまった遠野はメンヘラとしか考えられない。
これが亡くなってしまった恋人を忘れられず、未だに引き摺ってる話なら理解はできるが...
しかし、他の方の解説などを読むと、考察できるところは十二分にあるようなので何回か観ると考えは変わるかもしれない。
主人公:遠野 貴樹(とおの たかき)
初恋相手: 篠原 明里(しのはら あかり)
中高のクラスメイト: 澄田 花苗(すみだ かなえ)
社会人時代の恋人: 水野 理紗(みずの りさ)
時間と距離は残酷?
ラスト、貴樹はこの先どうするのだろうと思うと、ハッピーエンドとは思えない。
不安でも拠り所がなくても前に進めといっているのか……。
何を得ていいのか分からない。
時間と距離の残酷さをどうとらえていくのか……
誰もが遊び人に堕落してしまった。
10年前に既に私は40歳かと思うと愕然だが、そんな2007年の新海誠第三作。dTVで閲覧させていただく。その後の『言の葉の庭』のほうを先に観てしまったので、その時のアニメでこんな風景描写がされるのかと言う驚きは緩和しているが、この映画も独特な雰囲気がある。桜の落ちる速度のタイトルでも、雪の舞いの速度の描写だけでも感性に触れて来る。公衆電話にISDNと書かれてある。ロードムービーになり、貴樹が明里のいる栃木県まで電車を乗り継ぎ、約束時間が遅れてしまい必死で急ぐが、時代背景がわからないが、携帯スマホは無いのかと今では思ってしまう。それがまだ無い時代からの話なのだろう。3作連作の形式でもある。主題歌が山崎まさよしの良く知られている曲である。まだ観ていないのだが、『君の名は。』の大ヒットは着々と準備されていたのだろうと思わされるのは、『言の葉の庭』でも思わされていたが、13歳で主人公の二人のキスシーンは早熟すぎて好きではないので、評価をここで落とす。惜しかった。極端に評価するので、私の評論方法はそこでアウトにするのだ。男よりも女のほうを落としてしまうのだ。これで怒るような女は程度が低いので気にも留める必要はなかろう。ただ毛布にくるまっていただけで性行為にまで至らなかったのは作者の良心だろう。それから堕胎のような話になったら新海の世界が放射能汚染の海になってしまっただろう。2話に移るが、どうでも良すぎる事だが、私も高校は弓道部だった。
貴樹のほうでも、東京から鹿児島に転校した先で憧れてくれるクラスメイトがいた。鹿児島県で会った花苗のほうが貴樹には合っていた感じがする。コンビニで種子島コーヒーパックまで出ている細かさなのに鹿児島弁が無かった。ここで携帯が出てメールが出ている。満天の星などは細かい。高校生辺りでかなり異性に対してのコンプレックスが生じる人達が出て来る難しい時期なのだろう。だいたい、そこから器用に出来ずに、30代以上までひきずってしまう人も多いし、私もそれで狂わされている人生である。それはひどい状況が続くのである。自然にやっているようで高校生から必死な状況である。だがそれで別れてしまう所に、実は不自然があるのではないか。寿命は延びながらバランスを崩している。この作品では、貴樹には花苗で十二分だったのに。ここで調べてもしまったが、だいたい明里にこだわりすぎた悲劇の予兆があるが、男性として誠実なだけなのに、それが悲劇になるのである。逆に遊び人や軽い人間だったら花苗と交際していただろう。花苗のほうも軽い人間では無かったのである。3話めで社会人となっている。心なしか雪の落ちる速度が速い感じがした。既に明里は結婚していた。貴樹と3年間交際した水野という女性は、「1000回メールし合っても心が1センチほどしか近づけなかった」とメールに残した。残り1センチに明里があった。罪は明里のほうにあるのではないのか。明里のように変わってしまう女性に思いを残しても社会が混乱してしまうだけではないのか。何人も傷ついてしまう。女性の一筋の思いをする能力の劣化が人間を壊すのではないか。そういう意味で気付かされはするが、肯定できる映画では無かった。簡単に言えばやり逃げ社会の映画となってしまった。『ニューシネマパラダイス』も同様なモチーフを持っていたと思うが、誠実なようで不誠実の固まりの映画になってしまった。水野にしたって。婚外性交や婚前性交の危険性がある。ただただ花苗がそんな事も無く、幸せになっている事だけを願いたい映画である。
美しい
残酷
レビューらしきモノを書いてみる。
何だか切ない
「ねぇ、秒速5センチメートルなんだって」「えっ、何?」
映画「秒速5センチメートル」(新海誠監督)から。
「ねぇ、秒速5センチメートルなんだって」
「えっ、何?」「桜の落ちるスピード、秒速5センチメートル」
このインバクトのある会話が、最後までスピードを意識させる。
普段の生活であまり意識してなかった「速度」や「距離」が、
鮮明に表現できていて、驚かされた。
「たった1分がものすごく長く感じられ、
時間ははっきりとした悪意をもって、僕の上にゆっくりと流れていった」
「僕たちの前には、いまだ巨大すぎる人生が、
茫漠(ぼうばく)とした時間がどうしようもなく、横たわっていた」と
時間に関する表現があったかと思えば、
「一緒に帰らない?」「今帰り? 一緒に帰ろうよ」と、
高校生の2人が一緒に歩くスピード・距離感がたまらなく心地よい。
(時には、バイクで追っかけるスピード・距離感もあり・・)
また「今、振りかえれば、きっとあの人も振り返ると強く感じた」という
想いの強さだったりもする。
何気なくそしてどこにもあるような風景だからこそ、親近感があり、
感情移入できてしまう、最近の新海作品に注目していきたい。
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