RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへのレビュー・感想・評価
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愛を伝えられない=素直になれないと言うことですね。
2010年に一畑電車を舞台に描かれた『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』。その第二弾として、今回は、富山地方鉄道を舞台に、定年目前の夫婦の模様を描いている。
まず率直に。まぁ、悪くはないですが、良くも無いです。ちょいと微妙。『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』がヒットしたので、第二弾として企画したのが見え見え。『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の時は、まぁそれなりに物語もありましたが、素直に感情移入できたんですが、第二弾のこの作品は、物語の端々に製作者の意図が見え見えで、素直に感情移入が出来ませんでした。
敢えて記しますが、例えば、徹と深山朋香の出会いのシーンとかね。まぁ、昔の夢に気付かされたと言う意味では、意味のあるシーンではありますが、ああいうシチュエーションである必要ある? あの役回りは、島村でも良いような気もしました。宇奈月温泉で、徹の退職を祝っているシーンでは、夫婦の問題を話し合っていましたしね。
あと、物語終盤の電車の送電事故。徹の電車に井上信子が乗っていてと言うのは、物語としては面白いですが、どうもねぇ。あと、電車が止まったところも、確かに急斜面だけど、徹と佐和子があんなになるほどの急坂?
それと、基本としては、徹の定年目前の1ヶ月間を描いた話のはずですが、映像の季節に一貫性を感じないような気がしたんですが? 物凄く冬っぽかったり、春先みたいだったり。回想シーンで、春を描いているのは良いとして、一応“今”を描いているはずなのに、季節の一貫性が無いように感じてしまいました。
とか何とか突っ込んでいますが、根本と成っているものは、第一弾も第二弾も同じかな?と思いますね。どちらも、結局は男が夢を追ったと言う事かなと。っして、その夢を追う男の周りの人々が、どう関わっていくかという事ですよね。
若干微妙な所はありますが、基本は色々と考えさせられる物語です。
「これからの20年は長いぞ-」
運転士ひとすじで生きてきた男の不器用で頑なな姿を三浦友和が後援。
60を間近にして妻に出ていかれた夫の焦りと憤りに、同情しながらも意地悪く笑ってしまう。
余貴美子もいいが、ここはどうしても男目線で観てしまう。おそらく、女性は余貴美子に感情移入して観てしまうのではないだろうか。「“おっ”じゃなく“ペッ”」の台詞にニンマリしていたに違いない。
定年を機に残された人生をどう過ごしていくのか、同じ年代として心に残るのは米倉斉加年が発する言葉「これからの20年は長いぞ-」だ。実感のある言葉から、人生の3/4ほどを終わってしまう身として、勇気をもらったような気がする。
まだまだ終着点を考える時ではない。まだまだ何かに挑戦できる。それに見合うだけの時間が残っている。この作品が伝えたかったのは、そこにある。
長い冬が終われば、温かい日差しの春がやってくる。終着駅も、新たな旅の始発駅になる。
鉄道会社の全面協力で、臨場感のある運転室の様子や、電車が走る様々なロケーションが、新たな人生の岐路に立つ夫婦のドラマを活き活きとしたものにした。
監督の蔵方政俊、これが初監督だが、作品から人間味のある優しさが伝わってくる。
また、この映画はひとつの警告を発している。
本気で別れる気がないのなら、安易に離婚届の用紙など置いて家を出たりしないことだ。皆が皆、この二人のように第二の人生を踏み出せるとは限らない。
あることがきっかけで、妻の仕事ぶりを見ることになる徹。その仕事に打ち込む真摯な姿に、雨の中、同じ職業人として佐和子に敬意を表した徹の仕草にグッとくる。いよいよ、徹の大きな決断によってドラマはラストを迎える。
p.s. シリーズ1作目「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」を見てみたくなった。
何故身近で大切な人に優しい声が掛けられないのだろうか?
この映画は人生の秋から冬へと向かう一組の夫婦の生き方を描いた心温まる作品だ。
私の周りでも子育ても終わり、何時の間にか、夫婦の間に心の溝が出来てしまっていたから、お互いに身軽になった方が、余生を楽しく、本当の自分らしく生活出来るからと離婚をすると決断を下した友人も何組かいる・・・
でも、それホントに後悔はしないの?それで本当に幸せに暮せるの?死ぬ時にそれで後悔せずに、思い残さず逝けるのか?といつも離婚すると言うそんな友人には聞けない問いだけが疑問として残るのだ。
私はリストラ体験者である為に、一つの仕事を勤続42年も続けられた幸せな人がこの不景気な日本の社会で、まだ何処かにいるのか!そして、こんなに無口で、不器用に、無愛想で、仕事に一筋に向き合っている亭主関白な夫がいるのだろうか?と何度も、何度も疑問を持ちながらも、この滝島と言う1組の夫婦の物語の旅に乗り込んで一緒に彼らの人生を臨むと何時の間にか、滝島夫妻の友人になってしまった錯覚すら憶える程に感情移入出来た映画だった。それはきっとこの作品が、年を重ねた夫婦の心の変化を細かく細かく、丁寧に重ね重ね演出していたからこそ、しんみりと感情移入出来たのだろう。
未だに、三浦友和さんが定年退職を直近にした親父の役をもうするのか?信じられない。
自分も随分と年を重ねて来たものだと変なところで、感慨深くなってしまうのだったが・・・
富山県が舞台のこの映画は、未だ富山を旅した事が無い私でもとても、美しい自然と、美しい街並みを数多くこの作品は捉えているので、映画を観ながら旅行気分も同時にたっぷりと満喫出来た。
この滝島夫婦の内面を巧く自然の原風景で表現していて、家庭では言葉少ない滝島の人間像が、画面から汲み取れる。
そして最後には、結局人は何故生きるのか?と言う疑問へとぶち当たってしまうのだが、その答えは、観る人、一人一人で相違があることだろうが、そんな誰でもがぶち当たる人生の答えを探す旅でもこの映画は存在する。
「旅は道連れ、世は情け」と言うではないか、人生には道連れが必要であると私は考えるのだが、そうは思わない人もいる。その答えはこの映画を観ながらゆっくりとお一人お一人考えて欲しいものだ。晩秋の今みるにはもっとも適した映画である
定年以降の時間が長いと考えるかそれとも、人生そのものが短い一瞬の出来事と捉えるかも一人一人それぞれの思いがある。
定年後の人生設計が出来ている人も、或いはこれからゆっくりと考えてみようと期待している方にも、きっとこの映画は1つのある夫婦の例として参考になる事だろう。
人生幾つになっても、再スタートは出来る事をこの映画は教えてくれた。そして、若い頃に、脇に置いて来た夢をもう一度、試して生きるのも新たな自分との付き合い方であるのかもしれないね。人間幾つになっても、何故生きるのか?その意味を見つけ出す事こそが、生きると言う事なのかも知れない。私も後どれ位人生が遺されているのかは解らないが、後悔だけはしないで生きたいとこの映画を観て素直に考える今日である。
立ち止まって,また歩き出す。
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