「すさまじい女の本能」恋の罪 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
すさまじい女の本能
本能が、女を“聖女”でいさせてはくれない。“聖女”の仮面を被ったままでは、女の幸せは得られない。堕ちるところまで堕ちてこそ、絶望の淵に立たされてこそ、初めて得られる快感。汚れても汚れても美しい女達の、すさまじいまでの生き方を描いた衝撃作。
女はいつもワガママで、無いものねだり。有名作家の妻で、何不自由なく生活しているいずみ(神楽坂)、大学で日本文学の講義をしている助教授美津子(冨樫)、刑事という仕事をしながら理解ある夫のもとで幸福な家庭を築いている和子(水野)。仕事・家庭それぞれ充実した生活を送り、傍から見ると幸福な3人の女。しかし彼女達の中に何か「満たされない想い」がしこりとなり、常にないものねだりの女のワガママを体言している。
最愛の父を亡くしたトラウマからか、夜な夜な街娼やデリヘル嬢に姿を変える美津子。そんな彼女と知り合い、自分もその世界へ足を踏み入れるいずみ。仕事の合間をぬって愛人と体を重ねる和子。いったい何が彼女達を駆り立てるのか?「私のとこまで堕ちて来い!」といずみを誘う美津子の姿は、平穏な毎日に虚しさを感じていたいずみにとっては、悪魔ではなくマリア・・・否、マグダラのマリアに見えたろう。その差し伸べられた手に、私自身もすがりたい衝動に駆られた。女ならば誰でも共感できるであろう性の欲望。解放されて行くいずみの姿の美しさ。しかしそこに行き着くまでにどれほど心も体もボロボロにならなければならないのか!
二重生活を送る美津子には、近親相姦的な愛情を捧げていた父を亡くしてから、母親から必要以上の言葉の暴力を受けている傷がある。彼女は毎夜、見知らぬ男に抱かれながら自分を殺してくれる相手を探しているのだ。いずみを誘ったのも、彼女の中に自分と同じ匂いを感じ取り、共犯者となり、理解者となり、そして最後は自分を殺してくれることを願ったからに相違ない。彼女はいずみを助けることによって、自分を生きる苦しみから救ってもらったのだ。
そうして、美津子の苦しみを受け入れ、美津子を追い越して更なる深みへまで堕ちたいずみ。彼女にとって男と寝ることは、道端で飯を喰うことや、子供の前でオシッコをしてしまうことと同じ。生きるための生理現象に他ならない(金を稼ぐという手段でもある)。男達にズタボロにされる彼女の瞳の奥に、恍惚感を見出してしまう私もまた女の本能を持っているのか?
男性は本作をいったいどんな思いで観るのだろう?中盤から涙が止まらなかった私の横に座っていた男性は時折、声を上げて笑っていた・・・。
男性である園監督が、本作を制作した意図は何だったのか?2人の壮絶な性(生)を半ば傍観する形になる刑事和子が、園監督の立場に一番近いかもしれない。仕事と家庭、ワークライフバランスを保ちながら、それでも何かを求める彼女もまた、衝動的な本能を抱えている。しかし私が本作で一番哀しい女だと思ったのは、主演の3人ではなく、美津子の母だったと思う。実の娘に「下品だ、家の恥だ」と罵る彼女の、自分さえも気付かない心の闇。夫の愛を得た娘に対する壮絶な嫉妬心。実の娘を憎まねばならなかった彼女は、娘のように本能を解放する勇気もなく、年老いてしまった。娘に対する嫉妬は、羨望の裏返しだったのかもしれない・・・。
実在の殺人事件をモチーフとしながら、事件そのものではなく、そこに至るまでの女の本能を描いた園監督の新境地。