「終盤、涙を誘われたものの、ラストシーンには…」ALWAYS 三丁目の夕日’64 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
終盤、涙を誘われたものの、ラストシーンには…
西岸良平ファンとして、
シリーズ前2作品に続いてようやくの初鑑賞。
当時あった月刊少年雑誌の
「冒険王」+「少年」+「少年ブック」
=「冒険少年ブック」のような雑誌名には
ニヤリだったり、
オリンピックも含めた
1964年に誘う作風の中、
映画でのテーマを探りながら観ていた。
そして徐々に、茶川への父の想いや、
多分、六さんに言い寄る医師が
悪人の雰囲気を漂わせながらも、
実は良い人なんだろうとの予想から、
例えば、
山本周五郎の「柳橋物語」のように、
人の本当の想いへの見極めの難しさが
一つのテーマなのかなと想像しつつ
鑑賞を続けた。
そして、
出世や社会的成功に幸福があるのではなく、
思い遣りや他人への奉仕による幸福論
へ導いているようにも。
終盤は、小雪の出産や
六さんの結婚等の連続で涙を誘われ、
人の幸福を見ることは嬉しいばかりなので、
涙、涙の盛り上がりになっていた。
しかし、それにも関わらず、
わざわざラストに持ってきた茶川師弟の扱い
が分からない。
息子の成長のためと、
父の突き放した想いを知った茶川さんが、
どうしてそれを踏襲した形で
淳之介を家から追い出す明確な設定に
しなかったのか?
ネットの解説の中には、
茶川は父親と同じ想いで淳之介を、
との記載もあったが、
私にはとてもそのような演出や演技には
見えなかった。
更には、淳之介が茶川の想いを
知っているかのように彼に語るエンディング
にしたのは、
亡くなってから親の想い知った茶川からは
進歩した淳之介としたかったのか、
私には、まとまりの悪さが気になる
エンディングに感じる。
前作までは、鈴木社長や茶川さんを中心と
する原作とは異なるキャラクターアレンジが
ストーリー的に
上手くリンクしていたものの、
この作品では、後半に進むに従って、逆に
前半にまで遡る違和感に繋がってしまい、
また、冒頭とラストは1作目の踏襲という、
あたかもアイデアが尽きてしまったような
印象の演出に感じたのは残念だった。