劇場公開日 2011年7月16日

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「心電図を整える」大鹿村騒動記 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5心電図を整える

2023年4月25日
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「騒動記」と呼ぶにはあまりにも小規模で内輪的な一連の事件。数十年前に蒸発した女がどうだの、落石がどうだの、村の催しがどうだの。

しかし2000メートル級の連峰に阻まれた山間の村落にとっては、それらはどれも「騒動」として記録されるべき一大事なのだ。私はこの大鹿村の隣の隣にある同じくらいの規模の村の出身だ。そこでは平坦に延々と続く農耕生活のあわいに句読点を刻み付けるかのようにいくつかの伝統的な年中行事が行われる。華美で大々的なハレの行事と、粛々と起伏のないケの日常。その反転を契機に人々は季節や時間の感覚を得る。それは心電図に近いのかもしれない。穏やかな線分が一定の間隔で上振れる、戻る、また上振れる、また戻る。ここで重要なのは、その一連の浮沈が永久に同じリズムを刻み続けることだ。そのリズムが乱れてしまえば、村落は共同体として心不全を起こしてしまう。ゆえに日常を異常たらしめようとする作中の出来事の数々は、まさしく「騒動」なのだ。

本作では村の外からやってきた人々、つまり村のリズムを崩しかねない要因を、村が受容し、自らのリズムの内側に組み入れていくまでの過程が丹念に語られる。全体として、また往年の阪本順治作品としては地味な印象は否めないが、それゆえに村落の日常風景をリアリスティックに活写することに成功している。そして村人たちが織り成す群像劇の向こう側には村落の自浄作用ともいうべきダイナミズムがひっそりと顔を覗かせている。なぜこんな小さな村で伝統芸能が生き残り続けているのか、あるいはなぜこんな小さな村がまだ小さな村として機能し続けているのか。そうした都会主義的な問いに対する静かで強かなアンサー。

本作公開時に確か私はまだ小学生で、近所の公民館に本作のポスターが所狭しとベタベタ貼られていたことを思い出した。どうせこの辺でしか上映しない地域映画だろ、と思っていたらまさかの阪本順治だったという。何に対しても失礼なガキだったな。

因果