「宮崎吾朗、なかなかやるな」コクリコ坂から ルイスさんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎吾朗、なかなかやるな
実はNHKで一週間ほど前に宮崎吾朗と宮崎駿の父と子をテーマにした番組を観た。そこでこの映画ができたいきさつやら、どの場面で苦労したとか、さんざんやってた。この親子、父は若い頃、仕事に没頭して、子どもにかまっていなかった負い目がある。子は、偉大な父に対する劣等感とライバル心が入り交じって複雑である。子は、公園のデザイナーとなり、その後、ジブリに入り「ゲド戦記」の監督としてでデビューする。100人ものスタッフを抱えるジブリでは、親の七光りと言われても仕方が無い。「ゲド戦記」は興行的には成功したが、評判は今一つだった。番組の最後に、試写会を観た二人のコメントが印象的だった。
父宮崎駿のコメント「もっと、俺をおびやかすような作品を創ってほしい」
息子宮崎吾朗のコメント「くそっ、死ぬなよ」
映画での疑問点、主人公は「海」という名前なのに、劇中では「メル」と呼ばれている。その説明がない。
信号旗の意味の説明がない。なんというメッセージを発していて、なんと返していたのか知りたい。
気になって調べると、
「U・W」旗・・・(安全な航行を祈る)
丘の下をよく通るタグボートのマストに返礼の旗があがる。忙しい一日が始まる朝の日課のようになっている。
ある朝、タグボートからちがう信号が上る。
「UWMER」そして返礼のペナント一旒(いちりゅう)。誰か自分の名前を知っている人が、あのタグボートに乗っている。MERはメール、フランス語で海のことである。海はおどろくが、たちまち朝の家事の大さわぎにまき込まれていく。
父の操るタグボートに便乗していた少年は、海が毎日、信号旗をあげていることを知っていた。
宮崎吾朗、なかなかやるな・・・という感じ。
長澤まさみの声も違和感なく良かった。
二度ほど涙が出た。
ゲド戦記の時は、駿としては父親としての息子の失敗に対する心配と、もしかしたらと言う才能への期待と、ライバル出現への敵愾心とが交叉して、第三者的な立場に居たのです。
しかし、ゲド戦記の失敗で「少しの才能」の確認と息子に対する「心配」だけが残ったのでしょう。(ゲドの失敗は鈴木俊夫が負うべきです)
そこで、今回の「コクリコ坂から」では「親として息子」の力になるべく応援したのです。
しかし、今まで自分の思いのままで造ってきた者としては、若輩のまして息子には意見を譲る事なんかは出来ない相談なのです。
駿や吾朗を小さい頃から知っていますが、自我を主張するタイプではありません。
人の言う事をよく聞く「良い子」だったのです。
カメラの回っている前で自我を主張するという、見にくい姿は見せないのが彼達の本来の姿です。
ある意味で、「コクリコ坂から」の宣伝と心得ての演技ですね。
コクリコ坂からは対象が子供達では有りませんから、夏休みが終われば、息長く地道に興行成績を上げて行くものと思われます。
しかし、最近のジブリ作品は本来の姿を見失っていますね。
オリジナルの作品に徹するべきです。
また、なにやら自己肥大してしまっていて、作品造りに社会的な責任を感じているのかのように見えます。
ジブリ本来の純粋に面白くて楽しい作品造りを忘れています。
吾朗は性格からいっても、ジブリ作品の持つ「ナウシカやラピュタやブタ」等のような作品の創作能力は欠けています。
駿はもう種切れ状態です。
その辺を心得て「縁の下の力持ち」に徹しているのでしょうね。
そこに存在を見いだしたのかも知れません。