劇場公開日 2011年7月16日

コクリコ坂から : 映画評論・批評

2011年7月12日更新

2011年7月16日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにてロードショー

団塊世代の青春ドラマからは、ジブリの現在を描く裏テーマが読み取れる

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メトロノームが刻むリズムが規則正しい朝の始まりを告げ、ヒロインのてきぱきとした所作から昭和38年の倹(つま)しい暮らしぶりが立ち現れる。横浜港を見下ろす丘で、高2の少女は日々たゆまず、航海を案じ信号旗を揚げている。それは、船乗りだった亡き父への思慕であり、少年との運命的な出会いを生むきっかけともなる。

2つの軸がある。ロマンスを阻む出生の秘密と、高校文化部の老朽化した建物“カルチェラタン”の取り壊しを阻止する学園闘争。父親である宮崎駿の企画・脚本による古めかしいプロットに困惑しつつも、宮崎吾朗監督は坂のある街の高低差を生かし、テンポで見せる。恋の駆け引きからは機微を一切捨象し、時代感覚を際立たせるが、アニメーションならではの快楽への昇華には到らない。

表向きは、希望のあった時代の前向きな青春の姿だ。ただし横浜という舞台には、少女の境遇を形成した朝鮮戦争の記憶が込められた。父の命を奪った特需の時代こそが、現代日本のルーツであるという重層構造は示唆に富んでいる。しかし、演出家の立ち位置が見えてこない。

戦前生まれが描く団塊世代の青春を、高度経済成長の恩恵に浴して生を受けた世代が撮るという「屈折」から、読み取るべきものは何か。闘争のゆくえを握る学園理事長の容姿と言動は、ジブリ創設者・徳間康快そのもの。そう、カルチェラタンとはジブリであり、血をめぐる彷徨は監督自身の自分探しに違いない。あぶり出されるのは、興味深い裏テーマだ。「ゲド戦記」で父殺しを試みた吾朗にとって本作は、父を受け容れ、ジブリの礎を確認して、自らの宿命を悟るプロセスでもあるのだろう。

清水節

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