「欠損を抱えて」ポンヌフの恋人 abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
欠損を抱えて
レオス・カラックス監督のアレックス三部作の三作目。
そんなことは知らず、俳優の古川琴音さんが最近みた映画らしく鑑賞。三作目からみてしまった。
足を怪我した孤独の青年アレックスと片目を失明している画家のミシェル。この“欠損”を抱える二人が、同じく老朽化によって橋としての役割を“欠損”しているポンヌフ橋でラブストーリーを展開する。
序盤のホームレスらを収容する施設の様子が凄まじい。ホームレスらがモノとして扱われ、暴力を受ける。ホームレス達もお互いをモノのように乱雑に扱う。そこには尊厳も何もない。またホームレスらの身体の有り様は役者がホームレス役をしているとは思えず、とても現実的。
アレックスは身体的とともに精神的にも欠損を抱えている。ホームレスとして社会的に尊厳を奪われているのだから当たり前だ。そんなアレックスをミシェルは絵に描く。アレックスが恋に落ちるのも分かる。描かれる対象としてみられるということは、アレックスの実存を承認することに他ならない。欠損の回復である。
それに対してミシェルがアレックスに恋したのが謎。もしかしたら恋してないのかもしれない。
花火のシーンは圧巻。アレックスとミシェルの恋模様が瞬間的に美しく輝く花火で表されているようでならない。
失明が回復するかもしれないと、ミシェルが探されることから物語は大きく展開される。アレックスは自分の元から離れることをなんとか阻止しようと駅や路上に貼られるミシェル探しのポスターに火をつける。ポスターを掲示する人にも火をつけ焼殺してしまう。
結局、ミシェルはたまたま聞いていたラジオ(そのラジオはアレックスがあげたものという皮肉!)によって探されていることを知ってしまう。アレックスの努力は水の泡である。ミシェルはアレックスのもとを去り、再び欠損を抱えたアレックスは自分の指を銃(この銃はミシェルにもらったものという皮肉!)で吹き飛ばす。さらに焼殺によってアレックスは刑務所にいくのである。
物語は数年後も描いていて、ミシェルは失明から回復し、ポンヌフ橋も改修される。彼女と橋は欠損から回復するのである。それに対してアレックスは指を欠損したままである。ミシェルを失ったままである。欠損から回復していない。この二人の比較をすればラストシーンは正直、腑に落ちない。二人は、アレックスの出所後のクリスマスイブにポンヌフ橋で会う約束する。実際二人は会うのだが、ミシェルはその前に眼科医と密会をしているし、別の人(おそらく眼科医?)とホテルに行く予約をしている。それを知りアレックスは怒り、ミシェルと共に橋から落ちる。それなのに船に救助された後、二人は結ばれるのである。ここでもなぜミシェルがアレックスを許し、恋に落ちることができるのか納得できない。
監督は結末部分として悲劇的なものも脚本として準備していたらしいが、ミシェル役のジュリエット・ビノシュが納得しなかったため何パターンか撮影したらしい。そして「まどろめ、パリ」で終わるあのシーンになったらしい。無理やりアレックスを救っている感じがする。おそらくアレックスが欠損を回復できないまま終わる結末があったのだろう。
このように結末に納得はできないものの、いい作品である。
そしてこの作品は欠損を愛によって回復する様を、身体やポンヌフ橋、そして物語で描かれているように思える。と同時に与えた愛はラジオや銃のように別れさせたり、新たな欠損を生み出す要因になりかねないことも示唆しているように思われる。