「これでいいのだ。シンディもディーンも幸福でした。」ブルーバレンタイン きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
これでいいのだ。シンディもディーンも幸福でした。
①【シンディの場合】
おばあちゃんは孫娘シンディに言う
「まだ愛をみつけていない」
「おじいちゃんは私を人間として見てくれなかった」
「お前はしっかり相手を見なさい」
「あたしゃあね、タバコが吸いたいんだよ!💢」
このおばあちゃんの息子は、=すなわちシンディの父親だ。
「ゴミを喰わせる気か!」と食卓の妻娘を罵倒して、うつむいて固まり、震えてその場を耐える母, 妻, 娘に向かって皿を叩きつけて席を立ったあの父親だ。
(⇒後年酸素チューブを使っていたあの父親)。
あの家庭で育ったシンディなのだから、さもあらん、シンディは愛も家庭も男性も信用できずに育ったのだ。
シンディは成績も良く、実力ある看護師に彼女は成ったけれど。
(映像は行きつ戻りつする。しかしシンディのあの表情の固さは最初から最後まで変わらない、シンディは笑わない)。
しかして早晩、ああなるシナリオの下に彼女はあったのだと思う。
②【ディーンの場合】
ディーンが悪かったのではない。
もう一度言うがディーンが悪かったのではない。
二人のアダルトチルドレンが、いっとき愛を見つけ、お互いに安らぎを覚え、予想だにしなかった幸せな日々を味わって、
そして予測・予感されていたとおりの秋を迎えた。
⇒シンディは自分の個別の事由により壊れ、
⇒ディーンも同じく、自身の事由により人間関係を支えきれなかったに過ぎない。
愛しかたがよくわからない。そして愛しかたも 愛されかたも下手くそ。
でも、好きだった。
これは
破局の物語ではなく、短いが花火のように美しい愛の「成功の物語」として、僕はこの二人を心底讃えたいのだ。
洋装店の前でおどけて踊るふたりの一回限りの笑い声。
よくやった。
それで十分だ。
まさかここまで幸せな一瞬を経験できるとは思わなかったじゃないか、君たち。
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映画は
過去の二人と今の二人を対比させて“走馬灯”のように描く。
僕たちの様々な出逢いと別れも、走馬灯のように、しばし僕らの思い出の中に去来する。
この走馬灯は否定されるべきおセンチな幻影ではなくて
「素敵な卒業アルバム」
「頑張った陸上競技の自己ベスト」
として肯定してやることだ。
欠けある自分としては、こんなにもやれたじゃないか
・・これでいいんです。
シンディとディーン、
素晴らしい愛と結婚の物語でした。
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◆追記:
日本でも
結婚する男女の3組に1組は離婚する時代。
「嘆かわしい」と旧世代は言うだろう。
しかし僕はある意味とってもいい傾向なのではないかなと思っている。
その結婚が抑圧と依存の関係ならば継続しなくたっていいんだよと。
たとえ齢八十を超えていたって、別れの選択肢はあります。
◆追記:
僕の別れた妻は、DVの父親に支配された暗い旧家で育った。家族のアルバムを見せてもらって僕は固まる。義父からカメラを向けられている義母の怯えた目。いつ理由不明で突然殴られるか すれすれの毎日で、たったの一枚の笑顔の写真もない、家族写真の中の義母。
僕の妻は、僕と父親の区別がだんだんつかなくなってきて混乱しているので、彼女のためにも別れることにした。
父, 夫, 男性に対する深層心理下での不信感は如何ともし難く。
結婚20年だったが、欠けある僕らにしたら上々の出来だったと思っている。
ブルーだけど、バレンタインだ。
おはようございます。
私とは違った視点での、きりんさんらしい素敵なレビューですね。
お盆休みは本当は久しぶりに京都に行く予定だったのですが、台風直撃により配信&読書&音楽で過ごしています。
今作は、身につまされる所も多き、映画でしたね。
あと、情報有難うございます。では。
なんてロマンチックなレビューでしょう!自分の現実的で身も蓋もないやつを読み返して恥ずかしく思いましたがもう後の祭り。はい、私はそう言う女でございましたww