唐山大地震のレビュー・感想・評価
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【”自然災害は予知できないが、遺された人々は新たな人生を刻む。”直下型大地震により、引き裂かれた家族の再生していく過程を32年に亘り描いた作品。現代日本で生きる私達には必見の作品である。】
ー 私の手元には今作のフライヤーがある。
そのフライヤーには、2011年3月26日公開とある。
だが、忌まわしき2011.3.11の東北大震災により、上映は当然乍ら見送られ、日本での公開は2015年になった。
だが、私は東北に縁があるので見る気になれず、本日初めて鑑賞した。-
■976年7月28日、中国河北省唐山市で大地震が発生。
一瞬にして街は壊滅し、幼い姉弟が瓦礫の下敷きになってしまう。
助けられるのはひとりだけ。母親であるユェフニーはやむなく息子ダンの救助を選択する。
その後、奇跡的に一命を取り留めた娘、ドンは、紅軍だった養父母の下で育てられることになる…。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・まずは、私が年代的に知らなかった唐山大地震の、被害の規模を想定させる激甚シーンの凄さに驚く。
ー 元々、中国奥部の建物は鉄骨を入るという概念が無かった。北京オリンピックの準備時期に仕事で中国の上海を訪れたが、鉄骨の細さには懸念の念を抱いた。
弊社の社員が居住するマンションはIS値を調べた上で、選定しているが・・。-
・更に言えば、煉瓦で作った建物が崩壊するシーンの映し方。そして、生き埋めになった、息子ダーと、娘ドンのどちらを助け出すかを選択する、母、ユェンニーの悲痛な決断。
■本作の意義
・今作のメインテーマである唐山大地震が起きたのは、文化大革命の末期である。
私が学生時代に、周囲から”止めとけ!”と言われながらも中国をフリーで訪れた頃である。
彼の国は混乱していた。
車中、人民と拙い中国語で話をすると、多くの人から”マオ・ツートン、プーヤオ”と言われた事を思い出す・・。
だが、今作では、当時の中国としては隠しておきたいことを、毛沢東の葬儀のシーンを巧みに描くことで、検閲を免れている。
何より、今作の価値を高めているのは、大震災後、引き裂かれた家族(特に亡くなっていたと思われていたドンが、子供なき中国の赤軍の夫婦に大切に育てられた事が、描かれている事であろう。)
が、震災後30年を越えて再会する姿である。涙が出る。
人の善性が、今作では確かな形で描かれているのである。
<天災は、何時起こるか分からない。
私は、今作を一つのきっかけとして、それを体験した。
天災に抗う事は出来ない。
だが、今作を鑑賞すると、時間はかかるが、人はその哀しみを乗り越える事が出るはずだ、と思わせてくれた作品である。
(今作は、大地震後34年後に中国で公開でされ、フライヤーによると、2000万人を動員したそうである。)
現代、日本で生きる私たちにとっては必見の作品であると思います。>
3.3 ヒューマンドラマ
中国のヒューマンドラマ。あまり中国の映画は見たことがないが(そもそもあまり輸入されてないような気も)、全体的によくまとまっていたと思う。
ディザスターアクションマシマシかな?と思ったけど、そこはちょっぴりであとは時系列をテンポよく省いたヒューマンドラマ。個人的に良かったのは、イメージから遠い中国の生活や文化、家族関係の「当たり前」というものの片鱗に触れられたところ。ネットニュースではイデオロギーや偏見に埋め尽くされる文化というものを少しでもイメージするきっかけになったように思う。
あと自分の家族に関しても振り返りながら見れたのが良かった。やや省きすぎなところはあるし、自国内向けな誇張も散見されたが概ね良かった。感情の爆発系の演技。お母さん役の方GoodJob!3
徐帆は娘の張静初が地震で亡くなったと思っていた。 実際には彼女は養父母に育てられて暮らしたが、 唐山で家族を探そうとは思わなかった。 それには理由があった。
動画配信で映画「唐山大地震」を見た。
劇場公開日 2015年3月14日
2010年製作/135分/G/中国
原題:唐山大地震 Aftershock
配給:松竹メディア事業部
徐帆
張静初
李晨
陳道明
陳瑾
王子文
馮小剛監督は少林足球などに役者としても出演している。
主演の徐帆は馮小剛監督の妻である。
張静初は小章子怡(リトル チャン・ツィイー)とも呼ばれている。
李晨は范冰冰の元夫である。
1976年に北京市や天津市も属する河北省で唐山大地震があった。公称では死者は24万人とされているが、実際はその3倍以上とも言われている。、
この物語はその地震そのものではなく、
ある4人家族のその後の32年間を描いている。
地震のシーンはすごい。どうやって撮ってるのかは判らないが、ハリウッド映画にも劣らないと思う。
徐帆は娘の張静初が地震で亡くなったと思っていた。
実際には彼女は養父母に育てられて暮らしたが、
唐山で家族を探そうとは思わなかった。
それには理由があった。
2008年の四川大地震のボランティアとして現地に入った張静初は偶然に弟の李晨と再会した。
弟と共に32年ぶりに唐山市の母親を訪ねた張静初は、
母親の胸中を初めて知ることとなる。
終盤は見ていて胸が熱くなるシーンがいくつもあった。
久しぶりにたくさん泣けた作品に出合った。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
1976年の唐山大地震での出来事!泣いちゃいます!
崩壊した家の下敷きになった子ども2人のうち1人しか救えないという絶望的な状況に陥った母親は、苦悶の末に息子を選ぶ、そして選ばれなかった娘という究極の選択が、大人になってわかる真実に涙が止まりません!
2回泣いた
残酷な別れ、親子の想い。2つの地震。日中関係悪化でにほんでの上映が少なかったのが残念だけど。。。
当時、北京で見ました。
この映画が中国政府のプロパガンダに利用されているという友達もいましたが、それを差し引いても心が震えました。
天災を避けられないが、運命は信じられる!
1976年、中国で24万人の地震による犠牲者がいたことに驚きました。
生き埋めにされた双子の姉弟は、瓦礫の端と端にいてどちらか一方しか助けることができません。
母親は究極の選択に迫られ泣く泣く弟を助けてほしいと訴えます。
姉は瓦礫の犠牲となり亡くなってしまったと思いきや、実は彼女の命も奇跡的に救われます。
しかし、あの時の母の決断が許せず、母と再開せずに義父母に育てられながら生きる選択をするのです。
なんて悲しい運命…。
親に捨てられたと思う娘の気持ちも、娘を捨て罪悪感の中で生きる母の気持ちも、どちらも苦しいものがあります。
タイトルからは予想できない感動作
数ヶ月前の録画を熊本大地震の2週間後に観賞。地震の被災者には耐えられないであろう震災の場面の数々。こんな目に遭うのはいやだ!と切実に思った。そして運命の再会までの物語はとても胸を打つものであり、なぜか街の風景や人々の生活ぶり、考え方に懐かしく共感できる部分が多いことに気付いた。中国人と日本人はアジアというルーツでやはり繋がっているものがあるのだな。中国の人達の優しさに触れた映画だった。
想い続けた32年
1976年に中国で起きた20世紀最大の震災と言われる唐山大地震。
この震災によって離れ離れになった家族の32年を描いた感動作。
日本では2011年3月に公開だったが、東日本大震災が起こり公開中止に。
4年の歳月を経て、晴れて公開。
いつ公開されるかずっと気になっていて、レンタルを待っていた。
4年前の公開中止はやむを得なかったと思う。
冒頭の震災シーンは真に迫り、人が犠牲になる描写も。
今でもストレスに感じる人は多いだろう。
しかし、4年も待たなくてはならなかった事については疑問を感じる。
何故なら、震災を特殊技術を駆使して描いた見世物映画ではなく、家族の絆を描いた人間ドラマなのだから。
震災が全てを狂わせた。
家も仕事も、夫も失った。
そして苦渋の決断。
幼い姉ドンと弟ダーが瓦礫の下敷きになり、助けられるのはどちらか一人だけ。
母ユェンニーは泣く泣く弟を選ぶ。
その声は薄れゆく意識の中で、ドンにも聞こえていた…。
助かったユェンニーとダーは、寄り添うように生きていく。
やがてダーは自立し、家を出、嫁を貰い、事業で成功する。
ユェンニーは一緒に暮らそうと言う息子の誘いを断り、再婚もせず、狭い家で質素に暮らし続ける。
自分を助けてくれた亡き夫への愛と恩、自分が“殺した”娘への罪の意識をずっと背負って。
死んだと思われたドンは奇跡的に助かっていた。
軍人夫婦に引き取られるも、あの時のあの声が心の傷となり、口も利けない。
が、養父母の愛に包まれ、本当の家族のように暮らし、成長する。
養母が亡くなり、医大で出会った恋人の子を妊娠、退学して家を出、未婚の母として女手一つで娘を育てる。
養父の下にも戻り、カナダ人と結婚してバンクーバーへ。
幸せな時も、辛い時もあったそれぞれの32年。
忘れる事のなかった家族への想い。
2008年、再び運命が動き出す。
四川大地震。
ボランティアとして参加していたドンとダーは偶然にも再会を果たす。
そして、母とも…。
見捨てたと苦しみ続ける母と、見捨てられたと複雑な思いの娘、二人の再会は…。
共にどんな思いの32年だったか。
苦しみや複雑な思いだけじゃなかった筈。
家族は永遠に家族。
ベタなシーンもあり、展開が分かっていても、家族の絆に心揺さぶられる。
ミニレビュー
とにかく良い作品。
アバターなんかの歴代興行収入を越えるなんか当たり前。
なかなか会えない家族のモドカシさ。
娘の気持ちと母の気持ちに心が痛くなる。
演技も素晴らしい。
中国にとってはとにかく忘れられない映画になるのだろう。
まさに人間ドラマな作品だと思う。
タイトルから想像するイメージと違う、ヒューマンストーリーだった
タイトルからしてパニック映画だろうと思っていたが、やけにレヴューの評価がいい。
ならばと観に行ってみると、たしかに良かった。
もちろん中国らしく家族愛がくどく、頑固なとこはあった。
しかし、それを忘れさせるくらいに、丁寧に大事に作られた映画であることが伝わってきた。
もしもタイトルが違っていれば、もっと興業的に成功したであろうに。
催涙弾映画。
「唐山大地震」見ました。
東日本大地震の発生による公開中止から、4年越しの鑑賞。端的に、これは当時公開しなくて良かった。
まず序盤の大地震の映像の凄惨さに驚いた。虫螻のように人がバタバタと死んでいく。僕は神奈川県在住なので大震災が直撃したとは言えないが、その凄まじい映像の中に、日本人も同じ様な体験をしたのかもしれないと思い、涙を流してしまった。ただし、実際の唐山の様子は映像以上に酷かったのは容易に想像できる。こういったCGはもちろん完成度が凄く高かったし、それより驚いたのは70年代の中国の風景。スケール感がハンパなくて、一体どうやって撮影したんだろうと不思議に思うくらいだ。そのスケール感はさながら「フォレスト・ガンプ」のようだった。
映画としては、オープニングのトンボの大群〜地震が起きるまでの約20分間の雰囲気が、まるでJホラー的な不気味さを感じる。その雰囲気一発で観客を引き込む演出も、映画として秀逸であった。
僕が映画を見る時は、素人ながらも批評精神が出てしまって、無心で見ることなどほぼ無い。この映画は本当に無心で見ることが出来た。それは、主人公家族がこの先どうなるんだろう?という薄い話ではなく、居る”場所”を一瞬にして奪われた人々がいかにしてその”場所”を再び手にするのかを見届けたかったからに他ならない。
日本人にとっては辛い鑑賞になるかもしれないが、心打たれる作品であるのは間違いないないし、なにより素直に素晴らしい作品です。偏に、実際にこんな大災害があったとしれて良かった。中国国内では催涙弾映画と言われているようだが、全くその通りで、見える限り周りの観客は全員泣いていた。中国映画をナメていたが、凄いのを作るのですね。
家族観をストレートに表現
自分たちの住む国のどこかで未曽有の災害が起きて、その災害の直接の被害者ではない人々が、「同胞」だからという理由で被災者への同情や連帯を声高に叫ぶ。という類の話ではない。まして「絆」だとか「復興」だとかいう中身のよく分からない言葉を並べ立てるものでもない。
天災によって家族を失った人々の、その喪失感をストレートに表現している。
また、文革を終えてから現在に至るまでの中国社会の変容が、その街並みだけではなく、若い世代の家族観にも及んでいることを映画は率直に描写している。
震災後に再建された唐山市の中心部だけなく、大学や病院の建物も時代を経るに従って新しくなっていく。
それと並行して、子供世代の家族観も大きく変化していく。
学生時代の妊娠、老親が正月を一人で過ごす、初孫の顔を実家へ見せに行くことを断念する嫁。親の世代までなら想像もつかないようなことが、葛藤を経てはいるものの、現実のものとなっていくのだ。
そして、時代は大学を出ていなくとも経済的なチャンスをつかむことのできる社会が到来していた。大学を受験することすらあきらめた息子のダーは、沿岸部の都市で開放経済の恩恵を受けて成功、外国車に乗って母親のもとへ帰省する。妊娠により大学を中退した娘ドンは、カナダ人の弁護士と結ばれ、愛娘も共に海外で暮らす。
社会がこのように変わっていく中で、震災による心の傷を抱えながらも、双子の母親のユェンニーの姿が清々しい。自分の運命を呪うのではなく、死者の為に生き抜く姿。毎年の盆に死んだ夫や娘に、家への帰り道を説明する姿。それでも彼女は自分のできることをして、精一杯生きている。
2008年に中国政府は唐山市に、この震災による犠牲者の慰霊碑を建立したそうだ。文革の真っ最中だった震災当時は政府による情報統制や現場への立ち入りの規制など、さまざまな弊害があったことだろう。そのような当時への反省と、ドンが最後に母親へ詫びる姿が重なる。どうしてもっと早く知らせなかったのかと。どうして被災者の苦しみを長引かせてしまったのかと。
日本で起きた2011年の大震災も、30年以上経ったときに、なぜもっと早く言わなかったのかと、皆で嘆かなければならないことが表面化することがあるのだろうか。
ところで、ダーが母親のもとを離れて客引きの仕事をしていた駅は、「妻への家路」でコン・リーが夫を待ち続けたのと同じ跨線橋だ。
大地震
2011年に公開予定だったのだが、東日本大震災の発生で、公開の無期延期を余儀なくされた作品である。
冒頭の、大量のトンボが飛び去るシーンからただならぬ気配を漂わせ、モチーフである大地震まで、言いようのない緊張を観ている我々に強いる。
さらには、地震そのもののシーンも、よくぞここまで描いたものと感心する出来映えであった。
残酷であるとか、見るに耐えないとか、そういうことも少しは思ったが、現実はもっと悲惨なのだ。
ふたりの子どもががれきの下敷きになっていて、どちらを助けるか選べと母親に迫るシーンはなんとも痛ましい。
ここはどう描いても共感とはほど遠い。ましてやなぜ息子を、という問いも無駄である。誰にもわからない。
ただ、本作では犠牲にした娘が実は生きていたというところからドラマが始まる。
フォン・シャオガン監督は、息子と母親のパートと娘のパートをほどよく配置し、両方の暮らしを平穏に描いていく。退屈といってもいいくらいだ。
平和な暮らしとは一種退屈なものだ。
そして、四川の大地震。
想像を絶する状況に、各登場人物は直面していくわけで、僕はただ彼らを応援することしかできない。
東日本の復興もいまだ道半ば。けっして風化させてはならない。
この映画が、規模は小さくなったとはいえ、無事に一般公開されたことは喜ばしいことである。
涙ものとして本年イチオシ!
前半と後半で、涙の質は違うが、こんなに泣いたのは久々だった。
出演俳優は全く知らないが、それぞれの想いが伝わる、素晴らしく熱演!
地震の恐ろしさ、十分な臨場感!
我が国も地震が多い国。
当然、他人事と思えないし、隣の国の出来事とも思えない。
鑑賞価値大いにあり!!
ようやくの公開、けどひっそり…。
当初の公開予定日は大震災で公開延期。ようやくの公開です。
確かに当時はこの内容だと公開はできないな…。話がリアルすぎるし地震のシーンが結構強烈。
震災映画ではあるけれど親子の絆をさまざまな角度から見つめた作品。震災を経験した親子はそれぞれに過酷な人生を歩んでいくが、この親子に関わるいろいろな人々もそれぞれな人生の選択を迫られる。死んだ人を想う気持ちもすごく忠実に描かれていて感動させられる。
震災にあったためにそれぞれの人々がそれぞれの道を歩いていくが最後は幸せな終わりかた。よかった。
24万人の犠牲者
中国映画が珍しいと思い、観てきました。知らなかったことがたくさんありました。悲しみいっぱい。優しさもいっぱい。映像はフィルムのため、あまりきれいではなかったのですが、観て良かったと思います。
観ることが出来て良かった
序盤の地震のシーンが心に突き刺さる。
あっという間に日常を飲み込み、命を奪っていく天災の恐ろしさ、激しさ、残酷さを真っ直ぐに描いている。
愛する者のどちらか一人しか助けられない、どちらか選べ、と迫られた時を想像したら想像するだけで苦しかった。
後半の「話をある程度で飛ばして時系列を進める」というやり方は、上映時間を抑えるために削っているのかも知れないが、
映されないことによって逆に、知らない間に進んだ展開に他の登場人物と一緒に驚いたり、全てを目にせずその間を想像することに意味があるようにも思えた。
以前より聞き及んでいた、エンタメやパニック映画ではなく、震災を真摯に描いた人間ドラマ作品に間違いなかった。
観ることが出来て本当に良かった。
都市の空気は自由にする。
2011年3月、上映予定がなくなったのは覚えていましたが、内容全く知らずに観賞しました。
双子の姉弟が、1976年の唐山大地震により離れ離れとなって。
そこから2008年に姉弟が、家族が再び集うまでの数十年の物語。
正直、ん?と首を傾げる部分が多々ありますが、人間の身勝手な思いの押し付け、我儘が他人を苦しめる、ということを如実に思い知らされた。殊都市化が進んでいない地において。
また、いざというとき、一刻の猶予もない決断を迫られたとき、優先すべきこと、何を基準として判断するか。100%はなく、時間は有限だ、と。
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