「「いざという時猫も食べれる」」星を追う子ども いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「いざという時猫も食べれる」
テレビにて鑑賞。ネットでも散見していたが、確かに今作品はジブリのパクリといっても過言じゃない内容であった。
それ自体は悪いとは思わないのも、他のレビューと同じ意見である。そして、ストーリーとしての“必然性”が無い故、共感性を抱けないのも同意見だ。まるで絵画の上で人物を動かしているような、チグハグでへんてこな動画も同意見。新海監督はこういうファンタジー世界を描くのは不得手なのかも知れない。リアリティの中にマジックのスパイスを垂らす程度で、もう少し情感を丁寧に織込む演出が合っているのだと思う。外連味あるデフォルメは他の監督に任せてもよいのではと、偉そうにほざく自分は何様だ(苦笑
追伸:『セカイ系』の一つのカテゴライズされた今作品のコンセプトに自分なりの思考をつま弾く。確かに、ネット上にて語られる定義は完全に自分の世界観に一致する。要は自分自身が『セカイ系』そのものだ。勿論、自分は世界など救える筈もないちっぽけな存在なので、今作品のテーマをそれ程念頭に置かずに鑑賞してしまった。“生と死”という人間の尊厳そのものに重きを置いていないことが自己分析できる。実際主人公の女の子は確たる革命的発想転換、思考転換を展開上示していない。あれだけの大冒険をした後で、しかし日常に戻ったら、母親に明るく「いってきます」の挨拶でエンディングだ。その心のヒダを読み取れないのは果たして自分がおかしいのか、それとも演出不足の今作品なのか、判断できかねる。例えば、エピローグに於いて、その後に成長した主人公がどういう進路を辿っての活躍なのか、異世界に留まった先生と男の子はどういう生活をしているのか、その二つの世界の関連性の表現等が添付されていたらもう少し強いカタルシスが演出されたのではないだろうかと思う。そこがないところに、今作品の『セカイ系』たる所以があるのだろうと思う。結局は現状維持が一番安泰。そういうところに親和性を感じてしまう自分は大変問題ある人間なのだとも自覚する。死者は蘇らせることは自然の摂理に反する、という観念は一般常識だが今の時代では論理として希薄とされる。その倫理観、道徳観を担保するには余りにも寂しい演出である。父親を幼少時に亡くした主人公、妻に先立たれた先生、兄を失った男の子、その喪失感を乗り越える葛藤の不足と、乗り越える成長場面を描かないのならば、いっそバッドエンドに落とし込んで欲しかったと思うのは自分だけだろうか。唐突に挟み込まれる、主人公と死んだはずの男の子の兄との部屋の中での語らいからの外界へ出るシーンも、その表現の意味合いが今イチ理解に難い。