劇場公開日 2011年6月18日

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127時間 : 映画評論・批評

2011年6月14日更新

2011年6月18日よりTOHOシネマズシャンテ、シネクイントほかにてロードショー

極限からの生還に必要なのは、知恵と忍耐だけではなかった

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これは過酷な大自然に打ち克つスペクタクルなどではない。渓谷で落石に右腕を挟まれ、身動きできなくなった登山家の5日と7時間。被写体はほぼ岩と男だけ。この顛末を劇仕立てにしようというのだから、冒険映画ならぬ映画的冒険である。まるで、軽装のまま必要最低限の道具を持ってロッククライミングに挑む主人公のように、ダニー・ボイルは撮影・編集・音響の技法を駆使して、極限状態に置かれた男の内面に分け入っていく。

瞬く間に活写される冒頭が重要だ。都市の喧噪を逃れ自然を求める、いや、孤独を渇望するごく普通の男の姿。それは観る者に解放感を与えた直後、苦痛を共有させる仕掛けとして効果的なだけでなく、後々意味を帯びてくる。迫真の一人芝居によって、あがき苦しむジェームズ・フランコは不憫だ。一人称を貫き、回想、夢想、妄想をスピーディーかつポップに描き尽くす監督の手腕こそ、主役に思えてくるからだ。MTV風と軽んじられるスタイルだが、絶望の淵にあってはポジティブな生の象徴となり得ている。

主人公はタイムリミットを知っていたはずだ。ここで描かれるプロセスは、登山家としての知恵や忍耐以上に、もう一度生き直すべく人々や社会と繋がりたいという切望を抱き、生き延びるための決断を下すまでに要した時間のことである。傷つかぬ緩やかな繋がりで社会性を得られると思いがちな今、本当にそれでいいのだろうかと、岩場に残された事故の痕跡が問い掛けてくるようでもある。

清水節

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