「400年もの前から、結婚を約束していた。」という触れ込みですが、往年の大林宣彦監督のような“メトシエラ(長寿族)”の神秘性は皆無で、単なる400年続いた家系での伝承に過ぎないものでしかなく、拍子抜けしました。
主人公の隣に暮らす老婆は、400年も待っていましたといいながら、ちゃっかり戦後の一時期に別な男と駆け落ちして、別れたままになって、男との再会を待ち続けていたのです。基本的なところで脚本の上の矛盾が気になりました。
とにかく主人公との出会いが、先祖伝来の言い伝えてして400年間も伝承してきたのです。それにしては、隣に主人公が引っ越ししてきたも挨拶もせず、顔もあわさない生活を送ってきたようです。そして、映画のストーリーが進行し始めて、突然捨て子の子守歌を歌い始め、俊介に存在を知らしめようとするのは、ちょっと都合が良すぎると思いました。加えておかしいのは、区役所の市民課に勤める俊介が隣のセツの所在を確かる際に、アパートを管理する不動産会社に出向くときです。
自分の住んでいるアパートを管理している不動産会社なのにまるで初対面の挨拶をします。それはないだろうと思いました。
さらに、ストーリーのメインは、セツの実家に伝わる和歌山の真田家埋蔵金伝説です。 その埋蔵金をセツが持っているのではないかと推測するのはいいとして、訪れる郷土史研究家は、推測を越えて、分け前をよこせと断定してセツに迫ってくるのですね。さらに、区の福祉関係者が、セツと結婚した俊介に真田家埋蔵金の福祉施設への拠出を強要するなど、大の大人が有りもしない埋蔵金に目が眩んで、奪おうとする様を見せつけられるのは白けました。埋蔵金が発見されたのなら分かりますけれど、単なる伝説で周囲が狂喜乱舞するるものでしょうか。だからストーリーのポイントをもっと俊介の捨て子のトラウマと、自ら養子を引き取るまでの心境の変化に絞ったほうが良かったのではないかと思います。
ところで、演劇に詳しい知人の話では、最近の主要劇団は、所属団員を映画出演させずあくまで自らの公演でしか露出させない囲い込み戦略をとっているそうです。おかげで俳優座などの実力派俳優が映画ファンの間ではまったく無名のままになっていたりします。
主演のセツ役阿部百合子も、『茗荷村見聞記』(1979年)以来とんと映画に出演していません。舞台一筋にしておくにはもったいないほど、本作での情感のこもった演技は素晴らしかったです。
孤児だった過去を頑なに拒む武田俊介役の大垣知哉も、きめ細かな表情の一つ一つにトラウマの深さを感じさせて、上手いなぁと感じました。人気が出始めたころの西島秀俊を彷彿させます。古いアパートんが舞台だけに、西島が主演し、深川栄洋監督が手掛けた『真木栗の穴』に作品自体の雰囲気が似ていました。
主役の二人以上に、演技面で注目したのがも俊介の家に居候するゲイの吉村俊樹役を演じている日和佑貴です。格好は男でも、シナを作る様は、普通の女性よりも女らしい所作なんですね。そんな上辺だけの演技のみならず、孤独な心情を俊介にぶつけて癒されようとする切ない気持ちが上手く表現できていて、素晴らしい演技だったと思います。
演技に加え本作が素晴らしいのは、映像面。特にセツと俊介が旅をするシーンでパンして引きのある情景を見せるところは、凄く美しい映像美を見せていました。全編を通じて、人物をしっとりと描くカメラアングルは、低予算作品にしては秀逸です。
脚本に少々アラがあるものの、捨て子をテーマにした、人と人とが繋がっていくストーリーはなかなか感動的で、演じている役者のクオリティが高い分、深く余韻に浸れる感動に包まれました。
800円で鑑賞できる割引券を持っていますので希望者は小地蔵までご連絡ください。