トスカーナの贋作 : 映画評論・批評
2011年2月15日更新
2011年2月19日よりユーロスペースほかにてロードショー
大人の男女の官能的な愛の行方を描いたキアロスタミの新境地
イラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミは旧来のフィクションとドキュメンタリーの境界をあっさりと消滅させてしまうような驚くべき創意に満ちた映画を撮り続けてきた。初めての海外ロケ作品であるこの新作でも、検閲が厳しい母国では絶対に実現不可能であろう大人の男女の官能的な愛の行方を主題にしている。
トスカーナの小さな町に講演で訪れたイギリス人の作家を地元でギャラリーを経営する女がドライブへと誘う。講演の題目でもあった「贋作」というテーマをめぐり果てのない議論にふける二人は、あたかも倦怠期を迎えた夫婦のように映る。実際、そのように誤解したカフェの女主人のひと言がきっかけとなり、ふたりは長年連れ添った夫婦を偽装するゲームに興じていく。
女があられもなく胸を露出させて、挑発すると、男は困惑気味に後ずさりする。そんなどこかユーモラスで艶話めいた遊戯が続いていく中、次第に、どこまでが偽りで、どこまでが真正な感情の発露なのかは判然としなくなり、見る者も心許ない混迷状態に陥っていく。ともすれば過剰に内面的な演技を誇示しがちなベテラン女優ジュリエット・ビノシュと映画での演技経験が皆無という高名なオペラ歌手ウィリアム・シメルが絶妙なアンサンブルをみせる。
イタリアの柔らかな陽光の微細なニュアンスが画面の隅々にまでゆきわたり、眼に沁みるように美しい。そこには1960年代のイタリア映画の巨匠たちを髣髴(ほうふつ)とさせる豊饒でエロス的な時間が鮮やかに刻印されている。まさにキアロスタミの新境地である。
(高崎俊夫)