劇場公開日 2011年4月29日

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「際立つ永作の演技。今年の賞レースを総なめにする作品であることは、間違いないでしょう。  映画ファン必見の作品です。」八日目の蝉 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0際立つ永作の演技。今年の賞レースを総なめにする作品であることは、間違いないでしょう。  映画ファン必見の作品です。

2011年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 角田光代による同名小説の映画化。偽りの母娘の逃避行を通じて、家族の形、母性というものを深く見つめさせる作品です。
 構成の妙、丁寧に重ねられた映像、そして出演者の感情豊かな演技。成島出監督は、これらすべてを存分に生かして、今年一番の感動作を完成させてくれました。奥寺佐渡子の脚本も特筆すべき出来です。
 昨年の今頃は、『告白』で衝撃を受けました。本作は、それ以上のインパクトを感じました。恐らく今年の賞レースを総なめにする作品であることは、間違いないでしょう。
 映画ファン必見の作品です。

 冒頭娘の心を奪われた、という女の憎しみの言葉で映画は始まります。法廷での森口瑶子が演じる本当の母親秋山恵津子と誘拐した野々宮希和子を演じた永作博美の迫真の演技で、クグッと作品の世界に引き込まれてしまいます。
 奇異に感じるのは、人の子供を4年間も誘拐しながら、希和子は全く反省の色を見せていなかったことです。そして誘拐を謝罪することなく「4年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」と言ってのけたのです。罪を犯した人の台詞ではありませんでした。そして当初は、誘拐された恵理菜の希和子に対する恨みの感情が癒されていくストーリーを考えていたのですが、全然違っていました。
 希和子が恵理菜に残したのは本当に憎しみだけだったのか。そもそもなぜ、4年もの間、娘を連れて逃げ続けたのか。この映画は、21歳になった恵理菜の現在と、希和子と薫の逃避行の顛末とを交錯させながら、真実を浮かび上がらせて行くのでした。

 1992年のことでした。秋山丈博、恵津子夫婦の間に生まれた生後6カ月の恵理菜を希和子は誘拐。希和子と丈博とは、会社の上司部下の関係にあって不倫の間柄でした。希和子は彼の子供を身ごもるが、産むことは叶えられられませんでした。恵津子に「子無し」と罵倒される希和子。そんな時、丈博から恵津子との子供のこと知らされた希和子は、夫婦の留守宅に忍び込み、赤ん坊を抱かかえて雨の中を飛び出してしまったのでした。
 希和子は母になりたかった女でした。不倫して妊娠したが、中絶を余儀なくされ、子供を産めない体になってしまいました。恵理菜を誘拐したのも、愛人への復讐ではなく、泣いている赤ん坊を見て母性に目覚め、「私か守る」と決めたからでした。

 逃亡している間、彼女は赤ん坊と一緒にいることだけを願っていました。彼女は、子供を薫と名づけ、各地を転々としながら、4年の逃避行の末に小豆島で逮捕されました。
 恵理菜は両親のもとに戻されてきた時に、自分を希和子の娘、薫と信じていました。そして、ふたりの母の間で心を引き裂かれていったのです。
 娘は戻ってきても、秋山家は普通にはなれませんでした。家出をし、交番で自分はあのおじさんとおばさんに誘拐されたのと語ってしまう恵理菜が、悲しいけれど笑えます。だから恵津子が、「娘の心を奪われた」というのは、実感できました。

 物語が進展していくうちに、希和子の薫に対する愛情が際立ち、逆に希和子に対する恨みと嫉妬から壊れていき、恵理菜をきつく叱る恵津子のほうが、継母に見えてくるので不思議です。
 恵津子からは、愛情いっぱいに育ててくれた希和子を「世界一悪い女」と聞かされて育ちました。恵理菜は、そんな恵津子に一度も心を開くことなかったのです。恵津子がそれに苛立って荒れると、恵理菜は自分が悪いと思って何度も何度も謝まりました。そして、子供心に希和子を憎むことでアイデンティティーを保とうとしたのです。

 21歳の大学生となった恵理菜は、誰にも心を開かないまま、恵理菜は家を出て一人暮らしを始めていました。それは、希和子に対する恨みよりも、自分から「母親」を奪い、ずっと叱り続けてた恵津子に対する復讐の思いが強かったからではないかと思います。
 加えて、世間からはいわれのないない中傷を受け、無神経に事件が書きたてられる中、家族は疲弊していったのです。希和子と別れてからと言うのは、自分でもどうすることも出来なかった空虚な日々。そんな過去を記憶の彼方に封印し、自分を殺して生きてきたのです。

 そんな中、恵理菜は岸田孝史と出会い、恋に落ちてしまいました。だが相手は妻子ある男。かつての希和子のような状況の中に陥ってしまうのです。ある日、自分が妊娠していることに気づいた恵理菜の心は揺れはじめます。
 あらかじめ普通の幸せをあきらめているような風情の今の恵理菜と、妻にも母にもなれず衝動的に罪を犯した希和子。二人の物語は最初は隔たっているかのように見えます。
 しかし、妊娠が明らかになった時、世界は変わり始めます。
 彼女は誘拐事件を取材しているという、謎めいた女性フリーライターの安藤千草に誘われるように、過去に向き合う旅に出ます。そして希和子の生を辿り始めたのでした。

 希和子と薫の逃避行の道筋をたどるうちに訪れるのは、過去と現在の鮮やかな邂逅。希和子の恵理菜に対する愛は尋常ではありません。他人の子供であることなど無関係。何より驚かされるのは、小豆島の船着き場で逮捕されたとき、希和子が警官に叫んだ言葉です。それは、確かに「母」の言葉でした。この一瞬の、言葉と希和子の表情には、心が張り付くような、哀しみを感じさせられました。写真館で最後を悟り記念撮影するシーンも号泣ものです。

 当時と同じ船着き場に辿りつき、写真館で撮影した昔の写真のネガを見つけた恵理菜は、失われた影を取り戻すかのように、4歳の薫だったころ「母」に愛された記憶が蘇ります。その瞬間、ばらばらだった二つの物語はつながり、未来へと進み始めます。そして、恵理菜と希和子の言動に何気なく潜ませてあった絆もはっきりと意味を帯びて来ることを感じられるでしょう。
 恵理菜の表情が、希望に満ちてくる変化に、感動できました。登場人物が皆どこか心が壊れているような設定が多い中で、一番人生の重荷を背負っている恵理菜が唯一普通に見えてしまうのは、井上真央の演技不足ではないと思います。やはり恵津子の愛情をそれなりに受けて育ったから、普通のお嬢さんでいられたのだと思います。
 恵理菜が旅の果てに、思い出したのは、希和子の愛情だけでなく、自分を育ててくれた両親の愛情もだったのです。「八日目の蝉」とは、ずっと自分の居場所がない寂しさを、7日で死ぬはずなのに生きている8日目の蝉にたとえたものでした。
 最後に、恵理菜は生き残った自分の居場所を見つけたのでした。

 観客の心を理屈抜きで揺さぶるのは、罪人であり愛情深さ母でもある女になりきった永作の演技です。深いトラウマを隠し持ちながらも、恵理菜の良き伴走者となった小池栄子の演技も、とてもいい思えました。
 舞台を飾る小豆島の映像美も特に特筆ものです。瀬戸内で育った人間には、あの島々の風景は生涯忘れられないものなのです。2時間27分もありますが、ずっと短く感じるはずでしょう。

流山の小地蔵