ブラック・スワンのレビュー・感想・評価
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怖い、、
JAL×カタール航空の機内で見た。
ずっと見たいと思っていたが、なかなか機会がなく見ていなかったやつ。
怖いとは聞いていたが、主人公が壊れていく過程がリアルで怖かった。
結構最初からメンタルやられてた?
ナタリーポートマンが怪演しててよかったけど、役作りがとっても難しそう。
ミラ・クニス演じる、敵なのか味方なのかわからない女性(元主役)は本当はいい人だったのかな?主人公フィルターが入ると女性って怖っていう感じの役になるが、、
どこまでが主人公の妄想で、どこまでがリアルなのかが分からない。
バレリーナとか役作りが大事な演者は、総じてあんなにメンタルやられるもんなのかな、、大変なお仕事だ🥹
あぁ、こういう話なのかぁ
前情報無しで視聴。
序盤、バレエダンサーに性的強要するから、そっち系の社会的告発もの?と思ったら・・・なんか・・・・・えっ、えっ・・・・・エルム街の悪夢?
どこから何処までが現実で、どこからが幻なの?案外、最後は夢オチか?と思ったら・・・
しかし、ダンサーに艶は必要だろうけど、何でその相手が演出家なんだよ。誰かに恋をしろで良いのに、自分との情事を求めるのが・・・・
解き放たれる内なる黒い悪魔
チャイコフスキーの『白鳥の湖』の音楽はどれも耳に心地よいが、それ以外は視覚的にも聴覚的にも不安感を煽り、不快感を抱かせるものばかりだ。
特に生々しい傷のイメージが脳裏に焼き付く。
映画は新人のバレリーナが主役に抜擢されるも、やがて役のプレッシャーに飲み込まれ狂気に走っていく様を描いている。
バレエ団のプリマドンナ・ベスに憧れるニナは、こっそり彼女の私物を盗み出しては自分が主役を演じる日を夢見ている。
彼女の母親も元バレリーナなのだが、出産を機に一線を退いたらしい。
そしてそのことを今も心残りに思っているらしく、とにかくニナに対して過剰に干渉しコントロールをしようとする。
自己肯定感の低いニナは何とか母に認められようと、母の意向に沿うような生き方を選んでしまう。
バレエの技術だけなら一流なのだが、彼女に足りないのは舞台を支配できるだけの度胸と自信だ。
好色な演出家トマスは彼女を主役に抜擢するが、彼女に足りないものを教えるためのレッスンと称して彼女に肉体関係を求める。
そしてニナも自信満々なトマスに惹かれ、彼に認められたくて必死で努力を続ける。
彼女の味方になってくれる者は誰もいない。
母親は相変わらず過剰に彼女に干渉し続けるだけで、嫉妬にかられた他のバレリーナも彼女に冷たい視線を送るだけ。
親切を装って近づいてきたリリーもまた内心では彼女から役を奪い取ろうと企んでいる。
そして孤独のままニナは内側から蝕まれていく。
序盤から彼女が自身のドッペルゲンガーを見たり、あるはずのない傷が現れたりと、彼女の精神状態がまともではなくなりつつあることが示唆されていた。
中盤からは何が現実で幻覚なのか曖昧になってくる。
リリーを殺したことでニナは黒鳥として覚醒するが、それも彼女の見た幻覚だったことが分かる。
そして彼女が殺したものが何だったのか、ラストで衝撃の事実が明かされる。
それにしても華やかな表舞台に対して、あまりにもニナが直面する現実はドロドロしていて残酷だ。
それだけ主役を掴みたいという彼女らの執念は凄まじいのだろう。
しかし役に執着し過ぎると、役に飲み込まれてしまうこともあるのだろう。
かつては脚光を浴びていたはずのベスの落ちぶれ方も尋常ではない。
やはり拍手と喝采を求め、執着して行った先には破滅しかないのだろうか。
一人の人間が内側から崩れていく様をとても視覚的に興味深く描いた作品ではあるものの、個人的にはもう少しバレエにこだわった撮り方をして欲しかった。
かなり退屈な前半と、現実と幻想が混在する怒涛の後半。痩せすぎの主人公と魅了的なライバル
ダーレン・アロノフスキー 監督による2010年製作(108分/R15+)のアメリカ映画。
原題:Black Swan、配給:20世紀フォックス映画、劇場公開日:2011年5月11日
恥ずかしながら、有名な「白鳥の湖」のヒロインが、清純な王女オデットと悪魔娘で王子を誘惑するオディールの二役を演じることや、最後ヒロインが湖に身を投げて終わることを本映画で初めて知った。この古典的物語をベースにしたミステリー構築は、なる程Goodアイデア(原案はアンドレス・ハインツ)とは思えた。
ただ最後の方は現実と幻想が混じった怒涛の展開で惹きつけられたが、前半の方は、構成状の必要性は理解できるものの、かなり退屈でもあった。アカデミー賞をゲットしたらしいが、痩せ痩せのナタリー・ポートマンの姿に、あまり魅力を感じなかったこともあるかも。ラストの舞台を際立たせるための演出だったかもしれないが、彼女のライバル役ミラ・クリスの方に、魅力を感じてしまった。彼女の出演映画は初めてだが、他の出演作も是非見てみたい。
自分にはバレエそのものの鑑賞眼は全く無いのだが、そういう人間から見ても、ナタリー・ポートマンの代役バレリーナの扱いも含めて、芸術としてのバレエへの敬意が映画全体から感じられないことは、かなり残念に思った。
キャスト
監督ダーレン・アロノフスキー、製作マイク・メダボイ、 アーノルド・W・メッサー 、ブライアン・オリバー 、スコット・フランクリン、原案アンドレス・ハインツ、脚本マーク・ヘイマン 、アンドレス・ハインツ 、ジョン・マクローリン、撮影マシュー・リバティーク、美術テレーズ・デプレス、音楽クリント・マンセル。
出演
ナタリー・ポートマンニナ・セイヤーズ、バンサン・カッセルトーマス・ルロイ、ミラ・クニスリリー、バーバラ・ハーシーエリカ・セイヤーズ、ウィノナ・ライダーベス・マッキンタイアー。
ホラーは苦手でも大丈夫
最後まで見た場合に限ってホラー苦手な人でも大丈夫だと思う
最初怖すぎてホラーって知ってたら見なかったのにって
映画館の席でガクブルしてた
だけど最後の完璧って一言で今までの謎が全て解けて
この演技、舞台のために無意識で自己演出をやったんだって
最高のひとときを持ってくるためのプロ根性、自己洗脳だったんだって気付かされて
主人公にも演出にも憧れた
最後の一言だけで今までの恐怖体験を全て説明するって演出凄すぎ
アハ体験
まあ実際のプロは毎日の公演より
一度きりの完成度を重視しないので
1公演だけやり切って怪我して退場ってのがプロっぽくなくてモヤったが
主人公の精神性の弱さとか考えると妥当だし
映画としては完璧なので文句のつけどころがない
ホラー怖いから見ないけど恐怖が全部感動に変わる
後味怖くない作品。実写で一番好き。
「わたし、踊っちゃたんです♥」
宇能鴻一郎先生の「女体育教師」と主題が一緒の様に見えてしまう。
「わたし、踊っちゃたんです♥」って台詞があれば一番似合う。
しかし、
やたらと鏡が多くて、撮影は大変だろうなって思ったら、壁に貼られた絵の眉毛が上下した。
つまり、VFXを使用している。後に、鏡に映る自分が別人格を持つ時にVFXは本領を発揮する。効果的に使っていると感じた。
何処から狂気で何処から正気なのかだが、僕は『全てが狂気』と感じた。
なぜなら、題名がそれを物語っている。本来のブラック・スワンに求められるものは官能なんかではない。その証拠は『ロシアの古典的バレーの振り付け』とポスターにも書かれている。さて、19世紀後半、フランスのバレーは退廃した文化になっていた。しかし、本家であるロシアは伝統を守ったのである。つまり、フランスのバレーはドガの踊り子(エトワール)にもあるように、プリマドンナは名前ばかりで「春をウル女性」に成り下がっている。だから、古典を強調した公演だけに、フランスの振付師であっても、官能を求めたりしない。従って、この映画で語られる狂気は全て彼女の勝手な妄想と言う事にのなる。
心境の変化を考えれば、白鳥と黒鳥を対比されて『純血の白』と『官能の黒』と捉えるのも解釈は間違っていないが、同じ美である。黒を退廃的に醜と捉えるべきではないのは言うまでも無い。だから、演出家が旧態依然の男目線で宇能鴻一郎先生や松本清張先生の如く解釈していれば、全くの駄作になる。がしかし、作品を飾る「美と狂気」と言う後付で解釈されたコピーが邪魔をしている。
どちらも「美』であり、妄想なのだ。そう解釈すれば良いのだ。
午前中に見た「マエストロ」でもそう語っている。
ブラック・スワンの難しい所は連続するターンであり、芸術的な表現力もさることながら、技術力がいることで、バレーダンサーに目標とされる演目である。
さて、このバレーに果敢にトライをした日本人女性がいる。彼女は既婚者でお子さんもいらっしゃる。確かにタイトな競争はないとは言えないが、自分の身を削ってまでも演ずるものでもない。そして、
最大の矛盾は鑑賞者を無視している事だと思う。
この映画の画竜点睛を欠く部分としておく。その他は傑作だと思い
原題 Black Swan
製作年 2010年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2011年5月11日
上映時間 108分
映倫区分 R15+
追記 TATT◯◯を入れたバレーダンサーは「セルゲイポルーニン」がいるが、日本に限らず大変に認知度は低いと思う。
難しい
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先代が勇退させられ、ナタリーがバレエのプリマドンナとなる。
そして色んなブラックな事が起こるが、全てナタリーの妄想?
・気づいたら背中から流血。自分でかきむしっている?
・周囲のライバル達が自分をやっかんで冷たい。
・バレエ団のボスがセクハラまがいのことばかりする。
・母親が頭がおかしくて、ケーキを捨てたり起こしてくれない。
・ライバルの一人に薬を飲まされ、おかしくなる。
・そのライバルに主役を奪われないよう刺殺した。
結局、自他ともにパーフェクトと断言できるような舞台を踊る。
しかし刺したのはライバルでなく自分自身で大流血、多分死亡。
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とにかく難し過ぎてよく分からなかったが、
多分ナタリーが精神的に病んでたのだろう。
しかしナタリーが踊る姿は格好良かったな。
どこまでも今敏のパーフェクトブルー。 役になり切るために欲情される...
どこまでも今敏のパーフェクトブルー。
役になり切るために欲情される女になれ、という呪縛に苦しめられながら、ライバルや先輩、母親の過剰な介入に、精神的に追い詰められていく。どこまでが幻覚かは分からない。
皮膚を切り裂く爪、肉体に滲む血痕、幻覚相手に突き立てる刃物、そのどれもにひりつく痛みがある。身体の底からうなりあがる、鈍い痛み。
しかし、欲情される女になれ、で演出家が色々要求したり、それが強迫観念になって自分でも求められるように意識したり、今ではアウトなくだりが満載。歪んだ男の浪漫というか、、、今の時代に女性監督がリメイクするならどうなるだろうか気になる。
それでもナタリーポートマンは難しい役どころをよくぞ高らかに演じ切った。
プレッシャーがすごいんだなぁ
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。
以前から気になっていたため視聴。
プリマとして完璧に演じることプレッシャーを感じ、どんどんと追い詰められていく主人公の様子が痛々しく描かれています。
正直、前半はめちゃくちゃ丁寧に状況や人物描写がされるため、多少退屈さを感じました。しかし初演のシーンからは、音楽、演出、演技が素晴らしく、映画前半で貯められたフラストレーションが解放され、まさにカタルシスという感じでした。主人公がブラック・スワンを演じているシーンは圧巻ですね。
プレッシャーで様々な幻覚が見える様は、正直そのあたりのホラー映画よりもゾクゾクしました。
迷えるアヒルの子が美しい白鳥/黒鳥へと成長する、恐ろしくも勇壮な舞踊。 ナタリー・ポートマン凄え…。
「白鳥の湖」の主役に抜擢されたバレリーナが、そのプレッシャーから段々と狂気の世界へと迷い込んでゆく、というパラノイア・スリラー。
監督は『レクイエム・フォー・ドリーム』『レスラー』の、巨匠ダーレン・アロノフスキー。
主人公ニナを演じるのは『レオン』『スター・ウォーズ』シリーズのナタリー・ポートマン。本作でオスカーを獲得!
ニナと同じバレエ団に所属する、黒鳥のようなバレリーナのリリーを演じるのは『ザ・ウォーカー』『デート&ナイト』のミラ・クニス。
ニナの憧れでもあるバレエ団の先輩、ベスを演じるのは『シザーハンズ』『17歳のカルテ』の、名優ウィノナ・ライダー。
ニナとリリーがバーで出会った男性、アンドリューを演じるのは『愛とセックスとセレブリティ』のセバスチャン・スタン。
👑受賞歴👑
第83回 アカデミー賞…主演女優賞!
第68回 ゴールデングローブ賞…主演女優賞(ドラマ部門)!
第36回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…撮影賞!
第6回 オースティン映画批評家協会賞…作品賞!
第26回 インディペンデント・スピリット賞…作品賞!
第67回 ヴェネツィア国際映画祭…ミラ・クニスがマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞!
第64回 英国アカデミー賞…主演女優賞!
第54回 ブルーリボン賞…外国作品賞!
ナタリー・ポートマン…………
色を知る年齢(とし)か!
と、『刃牙』読者なら勇次郎がチラついてしまうであろう親バレシーンも必見な、とにかくナタリー・ポートマンが全身全霊で迷える若きバレリーナを演じた、パラノイア系映画の傑作!
ナタリー・ポートマンはこの映画のために10キロも減量をしたんだとか。背中の辺の骨の浮き出し具合とか、もうガリガリすぎてそれだけで怖くなる…💀
誰の目から見ても、明らかに名作であると言える一本なんじゃないかこれは…。
一本の映画として、単純に面白い!
始めは「ん?なんかおかしいような…?」というような感じなんだけど、物語が進むにつれてどんどん狂気的な世界へと観客を誘ってゆく。もう終盤になる頃には完璧なホラー映画😱
お化けも殺人鬼も出てこないのに、ヒェ〜〜っと言うしかない恐怖の連続に肝を冷やした…🥶
スノッブっぽくてあんまりこの言葉は好きじゃないんだけど、本作ほど「カタルシス」という言葉が似合う映画もそうそうお目にかかれない。
元バレリーナである毒親からの期待、セクハラ演出家からの厳しい指導、憧れの存在であるベスからの妬み、黒鳥を演じ切ることが出来ない自分自身への焦りと苛立ち…。
色々なものに抑圧されて抑圧されて抑圧されて……。バレリーナとして「完璧」になる為に自分を殺して殺して殺して……。
その過程を嫌というほどた〜ぷり描いてからの、全てから解放されたかのようなクライマックス。
矢吹丈ばりに真っ白な灰となったニナの姿は、悲劇的ではあるのだがどこか爽快さすら感じさせる。
前半はとにかく閉塞感が凄くてとにかく重たい。観ていても気が滅入るばかりで全く楽しくない💦
でもこれは多分わざと。ニナと観客の気持ちをシンクロさせるための儀式のようなものなんだろう。
とにかく辛い90分を我慢すれば、地獄の底へと直滑降するかのようなグルーヴ感溢れる20分を体験する事が出来る。
物語はニナを中心としたものなんだけど、カメラも常に彼女の姿を追っている。ほとんどが彼女のクローズアップやバストショットなので、まるで自分がニナになったかのような没入感が味わえること間違いない。
清廉潔白な白鳥のようなニナが生み出した、淫らで蠱惑的なリリーの幻想。
リリーの幻想は、抑圧されたニナの性的欲求の具現化に他ならない。
彼女は自らが生み出したリリーとのセックスを通して、内に秘めた淫らさを受け入れる。
それだけに留まらず、ついにはリリーを殺すことにより、完全にそれを自らのものとして支配するようになる。
自分のことを白鳥だと思い込んでいたアヒルの子供、それがニナ。
既にペルソナを被っている状態なのに、さらにもう一枚黒鳥というペルソナを被ろうとしている。
一度に何枚もペルソナを被ることなど出来はしない。黒鳥という新しいペルソナを被るためには、一度白鳥のペルソナを外す必要がある。
本作はニナが自分はただのアヒルの子供だったということを理解し、それを受け入れることで自由にペルソナを付け外しすること、つまり「完璧」な表現者へと変貌を遂げる物語である。
パラノイア・ホラーという仮面の下に、女性の成長と自立というレイヤーを忍ばせているからこそ、この映画のクライマックスはこれほどまでに爽快感があるのだろう。
一人の女性の成長譚としても面白いし、ホラー映画としても面白い!
「白鳥の湖」をなぞった物語である以上、話の筋や結末はわかっている筈なのに、映画がクライマックスへと進んでいくに従って、どんどん未知の領域へと観客を誘ってくれる。
パラノイア映画なので苦手な人もいるとは思うが、名作なのは間違いないし、清純派なイメージのあるナタリー・ポートマンがここまでやるのかよ!という驚きもある。
これは誰もが一度は観るべき映画なんじゃ無いですか!?
内容が最低
俳優の演技もバレエも凄いと思うけど、主人公が錯乱していくという方向に持って行こうとする、演出的な演出的な無理やり感が凄いんですよね。ひとつひとつの錯乱ネタもチープだし、音楽で驚かせようとする必死さもチープです。多分「サンセット大通り」のような往年のノワールをやりたかったんだろうと思いますが、話の流れがマンガチック、ナタリー・ポートマンの演技も単純。これは監督の演出のせいです。また日本には「アタックNo.1」とか「スチュワーデス物語」といった"スポ根物'.がありますが、この映画もそれと全く同じ構成要件です。ただラストの方向性がハッピーエンドではないという違いだけ。そう考えるとやはり、こういうラストに持って行きたかったから無理やり話をつないでいるという、監督のわざとらしさが目立ってしまいます。大体次のセリフが想像できちゃうんですよね。意地悪なチームメイトが寄ってきて今から何か言う「あんた、あの人と寝たの?」…ほらなやっぱりって感じです。言われたナタリー、ポートマンの表情も。これがそんなに高評価だったというのが理解できません。クラシックバレエのような芸事は厳しいものだというのは皆んな知ってる。だからといってその内幕を、大袈裟にドロドロに描いて何になるのかわかりません。クラシックバレエ界をディスってるようにも思えるし、本当のバレリーナはこの映画を見たら嫌な気分になるでしょう。結局企画を立ち上げ、構想していった監督の自我が非常に強い作品だったなあと思います。監督のさじ加減でどうにでもなるじゃん、と思えてしまうのがダメでしたね。
見ていて痛い
なんの前情報もなく視聴した。パッケージや名前からそういう暗い向きの映画だとは予想できてはいたが、サイコスリラー映画だけあり、精神的幻惑によるホラー要素とそれに付随するニナの背中の一箇所にできる蕁麻疹の描写が幻惑と血の表現によりその視聴者へのインパクトが増強され、見ていて何度も平手打ちを受けるようだった。時折ニナに感情移入がすぎて、その痛々しい演出に舌打ちをしてしまう場面もあるほどだ。スプラッター映画のような安いグロテスク描写が無いのにR15+映画指定を受けているのは納得が行く。心が元気な時に見た方が良いだろう。自分は途中でつらくなって視聴を中断し、時間をおいて最後までみた。
1hr30min頃からそこまで引っ張ってきた展開が見ることができ、そこでやっと救われる思いがあった。それは痛みを伴うものでもあったが。その表現方法については原理主義者であればそのような演出は不要で、リアルな描写だけで表現すべきだったと思う方もいるかもしれないが、BGMや目、腕のアンリアルな描写については違和感はなく、それまでの不安や苦痛の描写に対するカタルシスを演出するにたる表現だったと思う。
そしてこの作品は物語の絶頂で終焉を迎える。自分が最近見た映画の仲ではロッキーと同じだ。その続きが非常に気になる。ニナが今回成功したのはその後を保証するものではなく、その後の悲劇が容易に想像できるからだ。
序盤から自分とすれ違う場面もあるし、幻覚と現実の境のない場面が至る...
序盤から自分とすれ違う場面もあるし、幻覚と現実の境のない場面が至るところにある。終盤は妄想が現実をこえて...みたいな。
白鳥の湖の女王役へのプレッシャーから幻覚を見るニナ。白鳥は完璧に踊れるが黒鳥との演じ分けは無理と舞台監督から判断される。
黒鳥は誘惑する。ストイックで美しく技術も才能もあるが、ざっくり言うとニナにはエロさがない。厳格な母の影響もあって自分を解放できないニナ。やはり黒鳥がダメで落ち込み続ける。
サンフランシスコからやってきたイケイケなリリーは黒鳥役にピッタリな美女。リリーがすすめてきたドラッグを断るが、それを酒に混入させたのを見るもあえて受け入れるニナ。
この後レズシーンになるけど、最後にリリーが自分の顔に変わるからやっぱりこれも妄想。
舞台監督に捨てられた元看板バレリーナのベス(ウィノナライダー)との事があって、話の流れでトーマスがなんかエロ師かのように思っちゃうが別段そういうことはない。
はじめはベロニカに、最後はリリーに女王の座を奪われそうになり、その主役への固執が邪悪な心を生み、役を奪う者がいるのなら殺すまでの思いが黒鳥ニナを完成させたみたいな。真面目で臆病な娘だったのが、濃く化粧して監督に主役にしてと直談判しにきたその欲に忠実な行動を買ったのが始まりだし。ホラー妄想や幻覚にはエクスキューズが入っていたしラストまでみっちりな映画だった。
話は面白いけどちょっと皮剥がすとことかグロくて💦 もう一回は見たく...
話は面白いけどちょっと皮剥がすとことかグロくて💦
もう一回は見たくない笑笑怖い怖い。
そんな元気じゃない時にみたから余計落ち込みました笑
怖かった、、、。
バレエをやってる人が観るにはお勧めしません。笑
実際はここまでははないだろうけど、バレエの世界のかなりダークな部分が描かれています。
配役発表の後は、プレッシャーを感じたり、悔しかったり、頑張ろうと思ったり、色々なことを感じます。
またバレエをしている人のお母さんは劇中に出てくるような、娘のバレエに角に期待して、逆にプレッシャーをかけてしまっているような人も見かけます。
白鳥の湖は、美しく繊細なオデットと王子を誘惑して騙すオデットと両方を演じ分けなくてはなりません。
ニナのように真面目で繊細な女の子には、大きな挑戦であり、プレッシャーもあります。
人は新しいことに挑戦する中で大きく成長するとよく言われますが、ニナはどんどん役に飲み込まれて、幻覚に苦しめられていきます。
その姿をみて、新しいことに挑戦することが少し怖くなりました。笑
主演のナタリーポートマンはとにかく凄いです。
バレエが大好きでひたむきに努力してきた純粋なバレエ少女、幻覚を見てどんどん狂っていく様、もちろんバレエをしている姿も、どれも本当に素晴らしかった。
ニナの追い詰められた姿は本当に、黒鳥という役に苦しめられているバレエ少女そのものでした。
これから白鳥の湖の主役を踊っている人をものすごい尊敬の目で見ると思います。笑
痛い
ぶつぶつが定期的に気持ち悪いです。
痛みと気持ち悪さの表現が特化してましたね。
見ていて、ウワァって何度もなりました。
ストーリーとしては、飽きずに見られるけど個人的には良さがあまりわかりませんでした。
なにがなんだかよくわかりませんでした。
最後刺してたのは自分自身で、白鳥の湖のショーのラストと共に死んでしまうかんじでした。
いやもうほんとわけわからぬ。
夢に取り憑かれて狂う心
DVDで鑑賞(字幕)。
ナタリー・ポートマンの迫真の演技が印象的でした。
最高のプリマを目指し、ひたすらバレエの練習に励む主人公。完璧を求めるばかりに、心身に変調を来していきました。
彼女を襲う幻聴、幻覚の数々がとても怖い。精神を蝕まれていく様が強烈で、アカデミー主演女優賞の受賞も納得。
主人公がひたすら追い詰められていき、きらびやかなはずのバレエの世界でどん底へと滑り落ちていく。心を掻き乱されました。その様があまりにも悲惨だったので…
私はこう云うジャンルの映画を観るのには向いていなのかもしれないな、と思いました。面白かったのですが、もう一度観る気は起きないなと確信し、DVDは売りました(笑)。
※修正(2024/03/13)
「白鳥だけなら君を選ぶのにな」と言ってたトマス・ルロイ(カッセル...
「白鳥だけなら君を選ぶのにな」と言ってたトマス・ルロイ(カッセル)に突然キスされたときに唇に噛みついたニナ(ポートマン)。そのおかげでプリマに選ばれたのか?
最初から自分陰の部分のの幻影を見ているニナ。狂ったように幻覚に悩まされるのはリリー(クニス)からもらったヤクのせいだけじゃないのだろう。全ての幻覚の始まりは、ニナが憧れのベス(ウィノナ・ライダー)から盗んだ口紅やらナイフなどのせいじゃなかったろうか。
肩甲骨あたりにある引っ掻き傷。幼い頃からの癖で寝ている間に掻き毟っていたのだろう。そこから生えてくる黒い羽根なんてのはどことなくゴシック・ホラーだ。逆剥けをむしり取ろうとして指の根っこまで皮が剥けるとか、深爪するとか、皮膚を掻き毟るとか、足の爪が割れるとか、顔にナイフを刺すとか、まるで80年代のホラー映画のよう。
バレエに関しては完璧さを真面目に追い求めてきたプチ優等生のニナ。しかし、自分をさらけ出すべき演技に限って言えば、臆病さが邪魔して自分を解放できないままでいる。トマの唇を噛んで誘惑を断ち切ったことが、ちょっとだけ自分らしさを表現したと思われ、プリマに選ばれた。しかし、ホワイト・スワンとブラック・スワンの両方を演じ分けねばならぬ「白鳥の湖」。相当なプレッシャーだ。しかも舞台監督トマさんは、官能的という要素を加えたアレンジで芸術を追い求める。そのため、処女か?とかセックスをエンジョイしてるか?などという質問で性的抑圧から解放しようとしたりするのだ。彼女もそれに応えたい・・・そんなとき、サンフランシスコのバレエ団からやってきたリリーの存在が大きくなる。彼女なんかは背中に刺青しているし、もろブラック・スワン向きなのだ。彼女の誘いに乗ってしまい、クラブで酒を飲むことになったニナ。クスリを酒に入れてる現場を見ながらも、つい飲んでしまった。ラリってしまったので、そこで男とセックスしてしまった(よくわからないが)。その後、アパートに2人で帰り、レズプレイに走るニナ。クンニでイってしまったニナ。そういやプリマに選ばれたとき、監督からオナニーせよという宿題を与えられてたっけ。
稽古していても鏡に映る自分の動きがおかしい。自分が他にも見えるし、蹴落としたライバルのヴェロニカの顔も何度も現れる。そして、プリマの代役として選ばれていたリリーがニナの主役を奪おうとしていることに危機感を覚える。さぁ、初日の舞台。王子役のダンサーに落とされたりしたものの無難にこなし、衣装替えのために楽屋に戻り、黒鳥役を奪おうとしたリリーを刺し殺してしまった・・・実は自分の腹を刺していたというオチ。
心理スリラーなどという触れ込みだったけど、よくできた作品。妊娠したため意に反して引退したママ(バーバラ・ハーシー)も娘への嫉妬があり、プレッシャーに苦しむ彼女を精神的に追い込んでいく。公演当日に寝坊したというのに、「気分が悪いと伝えといた」だもんな。じゃ、なんで今までバレエやらせてたんだよ!(笑)
それでも一番の追い込み役はリリー。プリマを奪おうとは思ってないのだけど、自由奔放で小悪魔的な彼女の存在は、黒鳥そのもののような性格を真似しようとしていたに違いない。しかし、初日の演技は完璧そのもの。楽屋で刺したのが良かったんだな。
「パーフェクト」って、呟いて
優れた監督は、常に自分にとって新しい作品を撮ろうとする。そして、飛翔する。
だがそれと同時に、同じ話を、何度も撮る。
例えばイーストウッドの『ミスティック・リバー』と『ミリオンダラー・ベイビー』はある意味で同じものを撮っているし、コーエン兄弟の『ファーゴ』と『ビッグ・リボウスキ』もそうだし、クリストファー・ノーランの『メメント』と『インセプション』もそうだ。
これはおそらく、小説にも同じことが言える。かつて村上龍は、『愛と幻想のファシズム』のあとがきで、冬二とゼロとフルーツを『コインロッカー・ベイビーズ』の「キク、ハシ、アネモネの生まれ変わり」であると言った。
ダーレン・アロノフスキーという超絶的に頭のいいこの監督の作品を僕が初めて観たのは十九歳の頃で、作品は彼のデビュー作である『π』だった。
神の数字というアイテムも魅力的だったが、僕が『π』で何より気に入ったのは、天才数学者マックスが作中で唯一笑顔を見せたのが、「神にもらった頭脳を捨てた」後のラスト・シーンだった、という点だった。「何が幸せかなんてわからねえぜ」というその結論はおそらく、天才的な頭脳の持ち主であるアロノフスキーの自意識に他ならなかったのだと思う。
ハッピー・エンドでもあり、バッド・エンドでもあるという、人生そのものの縮図であるかのような両義性。それが『π』という映画の核心であったと思う。
その十年後、アロノフスキーは『π』と同じ物語を、『レスラー』で描ききってみせた。天才数学者のサスペンスと、落ちぶれたレスラーのヒューマン・ストーリーで、全く同じことをやってのけたのである。
そしてこの『ブラック・スワン』を、アロノフスキーは「『レスラー』の姉妹編」であると言った。僕のような素人が外から見ていて指摘するまでもなく、この天才は、確信的な反復を繰り返している。
ストーリーの基本線は、究極の芸術性を求めるが故に墜落し、破滅へと向かうバレリーナの物語である。こう書くと、ちょっと『地獄変』みたいだが。
例えば街を行くナタリー・ポートマンを手持ちカメラで追っかけるブレブレのカメラ・ワークなんかはいかにもアロノフスキーらしい演出で、正直、そういうことをやられると「わざわざそんな撮り方する必要あんのかよ」と思ってしまう僕の趣向には合わないのだが、ただまあ、アロノフスキーはきっと、そういうふうに撮りたかったのだろう。撮りたかったら、撮るべきである。
アロノフスキーらしいと言えば、作品の空気感は、かなり『π』に近い。サスペンスの形態をとったデビュー作で発揮されていた不穏ないかがわしさは、リアルなヒューマン・アプローチの『レスラー』では影を潜めていたが、本作ではその病的な不吉さが全編を覆い尽くす。僕ははっきり言って、こういう圧倒的な映像的予感みたいなものが大好きである。このあたりは、アロノフスキーの面目躍如といったところだろうか。
その一方で、例えばラストのバレエのシーンで見せる、実に映画的な創意と寓意に満ちた、真っ向勝負の「画」としての美しさ。技術を駆使しながら、決して「小手先」で終わらないその力技。
ここに、アロノフスキーの成長があり、飛躍がある。突出した頭脳の中で転がして映画を撮ったような若者が、いつの間にか、本物の画を撮る監督になっていた。
悪魔が舞い降りた瞬間の、鳥肌が立つような刹那の衝撃性。善も悪もとっくに超越して、どうにもならないほど狂っているのに、あり得ないくらいに美しい。
これは、転落の物語であり、破滅の物語である。
でも、阿呆な僕も、ラスト・シーンでようやくわかった。嗚呼、結局この人は、『π』や『レスラー』と同じことをやろうとしていたんだな、と。
これは墜落の物語であり、飛翔の物語だったんだな、と。
それが、アロノフスキーという人の物語なのであって、きっとそれは、永遠なんだろうと思う。
通常の文脈においては対照的に位置する二つの物事が、人生というわけのわからない舞台の上では、ときには手の平に握りしめられた一枚のコインの表と裏に過ぎず、咲いて枯れて、飛んで落ちて、生きて死んで、ひとつのシーンの中に、その全てが、ある。
その二つの極点が同時に見えたとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
そんな、奇跡のように素晴らしく、狂おしいほど美しい一瞬を、恐ろしいほどの正確性をもって切り取った映画を観たとき、人はときに、「パーフェクト」と呟いたりする。
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