劇場公開日 2011年2月26日

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「主人公の背負ってきた心の傷に迫っていく、滋味深い深い大人の映画といった趣。音楽が素晴らしい。」英国王のスピーチ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0主人公の背負ってきた心の傷に迫っていく、滋味深い深い大人の映画といった趣。音楽が素晴らしい。

2011年2月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 アカデミー作品賞筆頭候補に相応しい作品でした。派手なアクションとか対人関係の葛藤がないけれど、静かに滋味深く、主人公の背負ってきた心の傷に迫っていく、大人の映画といった趣でしょうか。
 だからといって、重く退屈なところはなく、イギリス映画だけに随所にウィットを効かした洒脱なシーンが散りばめられました。試写会でも、ごく普通の「おばちゃん」がゲラゲラと笑っているレベル(^_^;)なんです。
 可笑しさの源泉は、まるで『釣りバカ日記』を地で行く、王様と平民のスピーチ矯正の専門家とが対等に渡り合う滑稽さなんですね。これを日本でやったら不敬罪ですよ。天皇陛下を○○ちゃんと呼び合い、吃音指導では平気で叱り飛ばすのですから。こうした作品が成立するのも、イギリス人のシャレっけを理解する粋な心意気だからでしょうか。
 さて、冒頭からピアノのメインテーマがとても心地良く奏でます。それはまるで、傷心の主人公を優しく包み込むような音色なんですね。
 すると1925年の大英帝国博覧会の閉会式で、スピーチを控えて不安げなジョージが登場します。案の定スピーチは、吃音によりほとんど語れなく失敗に終わります。
 けれども父王は、ジョージの吃音を認めず、様々な式典のスピーチを容赦なく命じるのです。妻のエリザベスは、見かねて片っ端から言語聴覚士をジョージに引き合わせるものの、かえってそれが逆効果に。だって、口の中にラムネ玉を入れるだけ押し込んで、普通にしゃべれなんて指導は、通常の人だって無理ですよ。ジョージが怒るのも無理はないのです。

 そこでスピーチ矯正の専門家・ライオネルの登場となるのです。ライオネルが自国の皇太子にため口を浴びせるように、地位の上下をなくして、一介の友人として接したのは、決して不遜な気持ちではありませんでした。ジョージをごく普通の悩める人間として、その悩みに触れるために、身分という殻をまず脱ぎさせようしたのですね。
 その真意には、生まれつきの欠点など無い、あるとしたら心が傷ついて、病んでいるだけだという同悲同苦の優しい気持ちと、必ず直るという圧倒的な善念が込められていました。
 けれども、ジョージは初めての指導で激怒して帰ってしまいます。だって、出来ないと分かっているのに、いきなりシェークスピアの『ハムレット』の台詞を朗読を強要されて、おまけに聞きたくもないその声をレコードにまで録られてしまっては、赤っ恥もいいところです。ジョージは、自分の酷い声を録音されてしまったと思い込み、治療の効果がないことに腹を立てて帰ってしまったのです。しかし、帰宅後に録音されたそのレコードを聴いてみると、ちゃんと朗読できているではありませんか。ライオネルは見抜いていたのでした。外部の視線や自身のコンプレックスや恐怖心をシャットアウトする環境さえ作れば、ジョージは普通にしゃべることができると。驚いたジョージは、一端は指導を断ったライオネルの元に、「無言」で押しかけるのでした。

 しかし、父王が死去し、兄エドワードが王位を継承したものの、「発展家」の兄は、ショージの忠告も聞かず離婚歴のあるウォリスとの恋を選び王位を去ってしまいます。国王は新教の教主を兼ねるため、離婚歴のある女性との結婚はタブーだったのです。
 国王への即位をためらうジョージに、ライオネルは即位の決断を迫ります。いくら対等の約束をした仲でも、ライオネルの立場をわきまえない発言に、ジョージは怒ります。
 但しその怒りは理性で抑えられて、ただもう来ないでくれと、静かにライオネルに告げるだけでした。
 ふたりが別れるシーンは、とても映画的な印象に残るものでした。寄り添って歩いていたはずのふたりなのに、突如ライオネルは歩みを止めて、その距離が次第に開いていくのです。その場で立ち止まってしまったライオネルの後悔の想いが滲み出てくるかのようなシーンでした。

 王位継承評議会のスピーチで大失敗したジョージは、恥も外聞もなくライオネルの元に訪ね指導を請います。ここでのやりとりで、初めてお互いの過去が語られます。
 ジョージはライオネルが予想したとおり、年少期から父王のしつけが厳しく、すっかり萎縮してしまっていたのでした。ライオネルが語るには、左利きを無理矢理に矯正された子供は、吃音になりやすいのだそうです。
 逆にジョージが、なぜ医者でもないのにまねごとをしているのかと、ライオネルの過去を聞き出そうとします。けれどもライオネルは一度も治療するという意識は持ったことがなかったのでした。戦争から戻ってきた友人が戦争神経症になり、言語障害に陥ってしまったのを、ライオネルは役者としての経験を活かして、発声指導を手伝っただけだったのです。でも、その中でライオネルは見つけるのです。どんな神経症の重症者でも、心の傷に耳を傾け、語らせてあげれば回復していくことを。そんな経験から、ライオネルはジョージが自らの心の痛みを語り出すのをじっと待ち続けていたのですね。なんて深い優しさなんだろうと思いました。だから医師の資格を持つ多くの言語聴覚士が尽くジョージの治療に失敗するなかで、唯一ライオネルの指導だけが有効だったのです。
 二人の絆が深まる感動的なシーンでした。

 ジョージが王位に就いたころ、ナチスと友好路線だったボールドウィン内閣に代わり主戦派のチャーチルが首相に就任。いよいよナチス・ドイツへ戦線布告します。そして、国民へ団結呼びかけるため、全軍の長たるジョージは、ラジオを通じて戦いの正義を呼びかけることになったのです。
 この本作最大のハイライトは、ベートーベンの交響曲7番第2楽章が用いられ、ジョージの緊張と決意を暗示するかのように、荘厳でドラマチックに描かれていきます。
 そしてジョージのそばに寄りそう、ライオネルの指導ぶりが実に分かりやすくて、言葉に詰まりそうになるジョージを的確に支えていたのです。

 ジョージ役のコリン・ファースは、吃音の発声をパーフェクトに演じるばかりか、彼が背負い続けてきた幼年期の心のトラウマまで、見事に表現しています。これはもうアカデミー賞主演男優賞ものの演技でしょう。
 またライオネルを演じたジェフリー・ラッシュの、表面では突き放しつつも、全てを飲み込んでいるかのような包容力を見せる、奥の深い演技を見せてくれました。

 全編を通じて、本作から伝わってくるメッセージとして、まず、自分だけに思えてしまう欠点やコンプレックスは、自分ばかりではないこと。みんな同じに悩んでいるのだということです。国王陛下ですら、人並みのことで悩んでいたのですから。そして、その欠点は、自らを愛することができて自信がつけば克服出来るのだということです。けれども、度重なる失敗の蓄積の結果、自己否定の思いに打ち負かされている人も少なくないでしょう。
 そんな時は、ライオネルのような人生を心から語り合える「法友」を持つことでしょう。単なる友人ではダメです。自分が生きてきた軌跡を打ち明け、これからの道のりを相談し合えるような関係の人と出会えれば、何とか打開する展望が見えてくるのではないでしょうか。そういうかけがえのない関係の友を得ることが、いかに素晴らしいことか、示唆に富む作品でした。

流山の小地蔵