わたしを離さないでのレビュー・感想・評価
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あまりにも悍(おぞ)ましいシステム
<映画のことば>
執拗な破壊工作と戦うのは、容易ではありません。私たちを排除しようとする勢力です。
進歩的な考え方を排除しようとするのは、人間の常。
彼らは根拠のない価値観と、固定観念を尊ぶのてす。
キャシーやトミーや、そして、ニーナのような、臓器提供のためのクローン人間を産み出したのは、もちろん臓器の提供を望む数多くの患者があってのことでしょう。
(需要があるから供給が行われる…例えとし適切ではもしなかったら、ご海容をお願いします。)
延命のために治療を受けることは、もちろん悪ではありませんし、実際、亡父、亡母の余命を知らされたときも、「もう充分に生きたから」という彼・彼女の言とは裏腹に、打つ手があるなら何でも打って、一日でも長く命脈を保って欲しいと願ったのは、他ならぬ、当の評論子でしたから。
ましてや、本人が、臓器の提供を受けられれば命脈を保つことができるとも知り、それを切望するとともに、一日も早い臓器の提供を望むことを、とうてい非難することはできないー。
本作の設定で、ヘールシャムでなどで行われていたとする取組みは、確かに、ある意味では「進歩的」なものだったのだろうとは思いますけれども。
しかし、これは人のなすべきことではなく、もはや神の領域に属する事柄のように思えてなりません。評論子には。
(別に評論子は宗教的なに信心深いとも思いませんけれども。)
そして、これを「先端的な取組み」というには、あまりにも、おぞましさを禁じ得ません。
(その意味では、冒頭の「映画のことば」は、けっして賛同の意味ではなく、言ってみれば反面教師的な意味合いで拾わせてもらったものになります。)
そんな矛盾(?)にも思いが至ると、本当に胸が張り裂けそうな気持ちにもなります。
本作を観終わって。評論子は。
カズオ・イシグロが描く世界を作品として観たのは、おそらくは、これが初めてだったと思います。評論子は。
作家としての彼が描く世界というのは、こんな世界なのでしょうか。
他の作品も観てみたいということで、食指を動かされた作品でもありました。評論子には。
映画作品自体としては、佳作ではあったと思います。評論子は。
(追記)
介護役として提供者を見送る者も、やがては提供者となる立場の者。そういう立場の彼ら・彼女らから介護人を選んでいたのは、おそらくは、その「任務」の重圧には、普通の神経の持ち主(クローンではない普通の人間)は、精神的に耐えられないものだからということなのでしょう。
そういう非人間性をということでは、ナチスによってまさにガス室に送られようとするユダヤ人たちの世話係=ジェンダーコマンダーを(支配階層であるドイツ人にではなく、やがては自らもガス室に送り込まれる同じ運命が決まっている)同じユダヤ人にさせていたことを、評論子には、まざまざと想起されました。
(追々記)
<映画のことば>
私にも通知が来た。最初の提供は1ヶ月後だという。
ここには、過去に失ったものが、すべて流れ着く気がする。
もし、それを信ずるなら、ここで待てば地平線の果てに人影が現れる。そして、近づく人影はトミーだ。
彼は手を振り私を呼ぶ。
その先は、想像しない。したくない。
トミーを知っただけで幸せだった。
私は自分に問う。私たちと私たちが救った人々とに違いが?皆「終了」する。「生」を理解することなく、命は尽きるのだ。
ネットを見ても、本作の邦題の意味については百家争鳴の感がありますけれども。
しかし、もっともっと生きて、もっともっと愛したかったトミーから「私を(引き)離さないで」という意味に受けとることができました。評論子には。
(追々々記)
本作は、別作品『綴り字のシーズン』の監督さんの手になる一本でもありました。
あまり多くの作品を発表している方ではないようですが、本作も『綴り字…』と同様に、心に残る一本にはなりました。評論子には。
残る未鑑賞一本である『ストーカー』(2002)も、そう日を置かないうちに鑑賞したいものです。
地味だけど良作だと感じました。
カズオ・イシグロさんの同名小説の映画化。
よくできたストーリーだと思います。
淡々と話が進んでいくので、印象としては
地味ですが、このストーリーには合ってるような
気がします。ある事実が、ずっと隠されたまま
進んでいきますが…それは、見てのお楽しみですね。
いろんなことを考えさせられる作品。
単純な話ではないですね、たぶん。深いです。
生きる事の意味。
もし、これがお話でなく、
事実だとしたら、ありえない。
たとえ、お話だとしてもありえない。
人間がモルモットの様に生きる。
ただ、現実問題お金で臓器売買が有るのも事実。
命の重みを考えさせられます。
地味。
設定は良いのですがもう少し抑揚のある展開を期待してしまいました。
寿命が短くても「逃げよう!」とは思わないのですかね?
あと約束のネバーランドと設定が似てますが今作を観て、漫画を描いてるのですかね?気になります。
この作品が伝えようとしている核の部分は、物語の大事なキーなのですご...
この作品が伝えようとしている核の部分は、物語の大事なキーなのですごくレビューしづらい。人は遅かれ早かれ必ず死ぬっていう単純な事実が、こうも胸に突き刺さるとは。
何という映画
TVのミッドナイト📺で録画したものを
軽い気持ちで朝みたら、
ビックリ‼️
クローン人間の話だった。
それも、リアルに、丁寧に描かれていて
クローン人間は、作ってはいけない。
癌や精神疾患で、苦しむより良いでしょ。
と恩師は言うけど。。。。。
違うと思った。
【生きる】
序盤、教師のルーシーが、生徒に向かって、皆の命は短いことを伝え、
「自分というものを知ることで、生に意味を持たせてほしい」
と、声を詰まらせながら話す。
そして、エンディング、
キャシーが提供を前に、自らの短い生涯を振り返るように、
「生を理解することなく、命は尽きるのだ」
と呟く。
僕は、このキャシーの言葉は逆説的に用意されたもので、本当の意味は別にあるように思う。
この作品は臓器提供のために産まれたクローンを取り上げながら、生とは何かを見つめた秀作だと思う。
原作者カズオイシグロのテーマを決めてから、設定を綿密に構築していくイマジネーション力に改めて感心させられる。
特に、SFでありながら、未来ではなく平行世界に時代を設定したところも、皆のノスタルジーをも刺激し、キャシーの思い出と生きるという冒頭のセリフの意味を更に深めているようにも感じる。
なぜ、逆説的だと思ったのか。
それは、キャシーも、トミーも、ルースも明らかに生きたからだ。
愛したり。
奪ったり。
オリジナルを求めたり…、
自分は何者かと多くの人は考えることもあるだろう。
噂に惑わされたり。
何かを切望したり。
ジェラシーを感じたり。
性欲を覚えたり。
別れを悲しんだり。
憐れんだり。
勇気を振り絞ったり。
再会を喜んだり。
語らったり。
思い出に浸ったり。
何かを恐れたり。
後悔したり。
贖罪の気持ちを感じたり。
触れ合うことを求めたり。
僅かな望みにすがったり。
そして、絶望も、
覚悟も。
この作品で綴られるもの全てが生きた証なのではないのか。
少年トミーの校庭での叫びと、
死を目前にした夜のとばりに包まれた叫び。
この二つの叫びは異なるようで実は同じなのではないのか。
なぜ、自分を、自分の思いを分かってもらえないのか。
絵は、「魂を探るのではなく、魂があるかないのかを知るためのもの」
キャシーにもトミーにも魂は確実にあったのだ。
最後、微笑み合う手術台のトミーとトミーを見つめるキャシー。
短い生涯のなか、ほんの一瞬、愛し合った期間でも、二人の生には二人にしか分からない魂が宿っていたのだ。
魂も一様ではないのだ。
生涯を終える。
それは、短い生涯でも、長く生きても皆同じだろう。
人は人と繋がり、外の世界とも繋がり、様々な感情を呼び起こしながら生きているのだ。
ほんの少しであっても自由でありたいと考えたことも同様だ。
生きたからだ。
世界には、病気などで短い生涯を運命づけられた人もいるに違いない。
でも、確実に生きているのだ。
生とは、長さや経験の多い少ないだけが尺度であるはずがない。
どのように考え、どのように感じ、どのように自身を表現できたのかが重要なのではないのか。
※ 追記 この作品のような状況があってはならないのは当たり前だし、お国のために死ねと言われて、それを受け入れざるを得ないような状況も同じだろう。
とても怖い世界
淡々としているのだが、早い話、臓器提供のために生きている人間であって、その宿命が、フィクションの体裁ではあっても、腑に落ちなかった。
そんな宿命にもかかわらず、青春的なことをして、ちょっとはじけてみたりする彼らが、痛ましいといえば痛ましい。
──だが、そのペーソスを生み出すための「強引な設定」にも感じられてしまう。けっこう力技で悲劇をつくっちゃってるわけである。
原作のcontroversy/論争ポイントもそこだった。
すなわち、フィクションの設定が倫理を免れているようでいて、見ているほうは、そう易々と割り切れない。
これがどういうことかというと──、
たとえば先日ゾンビランドを見たが、不謹慎になるのを恐れて人は明言はしないものの、およそ、殺ってもいいゾンビを殺りまくるのは、楽しいに違いない──その「娯楽」が、ダブルタップの娯楽性に直結している──のである。
観る者が、倫理的であろうとすればするほど、出演者がたわむれに殺れば殺るほど、過激度が上昇する。
つまり、ゾンビを外したら主人公らは殺戮集団なのだ。
とりわけダブルタップはたわむれな殺戮を増し増しにし、狩る側のちゃら度も増し増しにし、むしろ積極的に「蔓延後の楽しいジェノサイド世界」を煽っている。
ゾンビ設定を笠に着たコメディなのである。
カズオイシグロのNever Let Me Goも、もしフィクションの設定を外したら、けっこう阿漕な話である。
子供が子供扱いされず、人が人扱いされない。
ここはそういう世界なんですよ、と叙説されるとはいえ、みょうに乗り切れない。
すなわち、そんな世界を笠に着て、強引にペーソスを引き出しちゃっているんじゃないの──というのが、反イシグロ派の言い分だった。
ただし、映画は原作よりも、エモーショナルトーンを抑えている。
彼らがどんな世界を生きているのか、あまり説明されず、ゆえに、彼らがなぜ酷い目に遭っているのかが──もし原作を知らなければ──衝撃をもたらしたに違いない。すなわち映画は原作の論争ポイントをほとんど免れた佳作だったと思う。
そこまで来ている
クローンについて、改めて考えるきっかけをもらった作品。下準備も無く見てしまったので、見終わった時は後味が悪く、自分にとって余計な世界を観てしまったと後悔した。
しかし、ずっと心に引っ掛かり、自分に灰色の得体の知れない何かを背負わせ続けていた。良くも悪くも、自分の心に引っ掛かり続ける、そういう話は珍しい。
それから暫くして、NHKの「クローン人間の恐怖」というドキュメンタリーを見て、ハッとした。余計な世界というのは誤解で、すぐそこにある世界であり、そこは、もう扉を開けるかどうかだったのだ。
もう少しクローンについて、学んでからまた書きたいと思う。
絶望
かなり淡々と進んでいくので、予備知識ゼロでは難しいかも。
気になってたのは、この臓器移植をテーマにして、
どーゆー終わり方になるのかでしたが、
割と救いのない終わり方が少し残念。
ラストの台詞が全てでしたね。
原作が小説なのにドキュメンタリードラマみたいでした。
移植(摘出)シーンも、もう少し見せて欲しかったです。
それでも私は生きていたいと願う
ずっと観たかった映画の一つ。
原作をすでに読んでいたので、何となく結末は分かっていたと思っていたはずが…。
映像としてみると、よりリアルな世界を感じることができました。
そして、より一層命の重さについて考えさせられます。
何を書いてもネタバレになりそうなので、内容には触れませんが、とにかく悲しくて切ない…。
みんな一人の尊い存在であって欲しいからこそ、生きることに必死になっている。
静かなる抵抗に、抗えない現実の無情さ。
何をしても無理なんだと分かってしまうその辛さが、キャシーの表情に表れています。
そして、彼女の語るラストの言葉…。
この物語の重みは、原作を読んだ当時からずっと心に残っていたものです。
キーラナイトレイさん、アンドリューガーフィールドさん、サリーホーキンスさんなどなど、今や大スターの役者が勢ぞろいした良作。
若かりし頃の彼らの姿を拝めると共に、繊細で美しい演技力に魅了されました。
やっぱり、カズオイシグロさんの作品の中では、私を離さないでが一番好きかも…(^^)
ストレートな悲しさ
原作を始め、他のカズオイシグロの小説にも共通する、回りくどいほどのきめ細やかで丁寧な描写が見られなかったが、映画という形での表現となるとこういう形になるのかと納得できる空気感がある。
ドラマで展開知ってるけど・・悲しい映画です
TBSで放送された綾瀬はるか主演のドラマで、この作品を知りましたが
まさか映画化もされてたんですね(・∀・)
2017年にノーベル文学賞を受賞したのが記憶に新しい
カズオ・イシグロ先生の作品です。
原作は読んでませんがドラマで内容知ってたので
違いは舞台が日本と海外ってだけですね。
かなり切なくて悲しい、考えさせられる内容です。
道徳的にはアウトです。
どうして逃げ出さないのか?と疑問に思う人もいるかもだけど
教育って怖いもので、洗脳されてた部分もあるんじゃないかな。
自分の使命を全うしようと思っていたのではないでしょうか。
もし逃げ出したところで手首のバンドですぐに見つかって連れ戻されるのかも知れない。
人間はみんな最後は死に行く運命なのだから、そこに向けてどれだけ精一杯生きられるのか、
自分が「全うした」と思えるような人生を歩むことの大切さを改めてこの作品で学べた気がします。
後味が悪すぎる。
後味が悪すぎる。
星5つは付けたけれど。
あと、エンディングの、突然のこちらへのむちゃ振りに怒りを感じた。
死を想わない事が生だと思う。
これは、
ホモ・サピエンス=( ラテン語で「賢い人間」の意)=の"賢さ"故の自己破壊か?
あと、ランプリング校長。この人僕は昔から大嫌いです。
以上。
.
冷たく痛みのないナイフ
個人評価:4.0
静かで痛みのない冷たいナイフでゆっくりと深く刺さっていくような、カズオ・イシグロの独特のタッチの物語。
誰かの生の為に生き、その誰かよりもより生を意識し最後を迎える。
誰もが訪れる死への恐怖と生の意味を、特殊な環境におかれた主人公達を通し教えられる。
映像には透明感があり、静かで淡々としたストーリーをより際立たせる。
最後にはまだ死が訪れない安全な場所から見ていたこちら側の空虚が訪れる。
驚いた。こんな内容だったのか。
カズオ・イシグロ氏の本は、まだ一度も読んだことがありません。
映画を通して、初めて彼の世界観を知ることができたような気がしています。
驚きました。
こんな内容だったなんて。
小説では、どう表れているのだろう。
読んでみたいと思いました。
ストンとすぐに腑に落ちるような映画ではなく、考えを巡らせることで、じわじわと味が染み渡っていくような映画だなと思いました。
もう少し余韻に浸ります。
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