「見方を変えれば、「文〇省推薦映画」」冷たい熱帯魚 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
見方を変えれば、「文〇省推薦映画」
「愛のむきだし」で世界的に高い評価を獲得した園子温監督が、吹越満、でんでんという個性満ち満ちる俳優陣を迎えて描く、サスペンス映画。
「嘘は、いけません」「我慢は、してはいけません」通っていた小学校で、年齢不詳の教師が私に教えてくれた。この文句がまだ現代においても通用するのならば、本作は実際のところ、極めて健全な映画なのかもしれない。
冒頭から、嘘や見せかけに寄り掛かる不健全な人間が乱れ出てくる。目の前の曖昧な幸せ、安心のためにどれだけ無理をしているのかが一目で分かる無機質な人間達が、笑顔を振りまいて現れてくる。
本作は、暴走と妄想の赴くままに作られているように思えるが、実は何度も推考に推考を重ねて組み立てられたような、明確なリズムを刻んで描かれている。
自分の行動が嘘で塗り固められていることに気付かないまま、毎日を過ごす人間がつくる比較的穏やかな序盤。その不健全な偽りと憎悪に気付き、怒号と艶やかな歓喜、そして叫びによって猛進していく中盤。そして、全ての仮面が剥がされ、剥き出しになった感情と本能を静かに、ドキュメンタリーの如く見つめる終盤。
そう、終盤にこそ物語の本質がある。中盤の猟奇的殺人のくだりに熱が注がれているように思えるが、その先だ。その先にある自分の本性を理解してしまった主人公、社本の衝動と落ち着きが本作の強烈な気味悪さと痛々しさの源になっている。
「嘘を超えて、我慢を超えて、自分らしく生きたいという貴方・・じゃあ、そうしてごらんよ。こうなるから。」そんな作り手の無邪気な、陰湿な笑顔と主張が観客の心を傲慢に痛めつけてくる。でも、その結末はストレスから開放された健康な人の姿。健やかな安心と、安らぎが見え隠れする。何とも、憎々しい皮肉である。
では、本作は子供に薦めても良いのか。終盤、大人同士のとある行為を非難した子供が、社本にぶん殴られて気絶する場面がある。このシーンが強引に書き殴られたその瞬間から、この映画は成年のための映画となったのだ。恐らく。
久しぶりに、吐き気を覚えた映画である。