「素材はいいのに、ただ ただ かったるい」まほろ駅前多田便利軒 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
素材はいいのに、ただ ただ かったるい
便利屋の多田は、真面目で受けた仕事はきちんとこなす性格。暗い過去を持つ経験から、時間の重みを知る。
対して行天は、いい加減だが、時折、物事の本質を突く。決して思慮深いのではないが、核心を突く先天的なものを持っている。
それでもいい加減で奇怪な行動を取る行天に、多田は翻弄され、しかもその危うさを放って置けないというのが、主人公ふたりの関係だ。
そこに“まほろ”の人々が絡む。バスが間引き運転しているのではないかと疑う頑固爺さんの岡だの、ヤクザの星といった厄介な人物の相手も便利屋の仕事のうちだ。
便利屋を中心に起こる小競り合いを描きつつ、架空の小さな町“まほろ”で生きる人々の、まったりしたあったかみを出す。それさえクリアしていればエピソードはなんでもありというのが、タイトル「まほろ駅前多田便利軒」の骨格だろう。
ところが、この基本部分が崩れている。人物描写といい台詞まわしといい、かったるいだけだ。“まったり”と“かったるい”は違う。
オープニングの音楽は雰囲気があるが、画ヅラが安直で芸がない。
もうひとつ、小競り合いの結末は人情味があるオチでなければ、“まほろ”のほろ苦い温かみが出てこない。そうして考えると、真に描きたい人物は行天ということにならないだろうか。
行天の奇怪とも思える行動が、実は物事の核心を突いていて、周りの人々が翻弄されながらも徐々に行天という人間を理解していくという本筋が見えてくる。
多田と行天では、行天が頭半分飛び出た演出が必要なはずだ。ふたりのキャスティングを見ても、ひとクセありそうで掴みどころのない雰囲気を持った松田龍平を行天に振ってある。松田の持ち味を充分に引き出したとは思えない。
岸部一徳ももったいない。こんな意味のない使い方をした映画は観たことがない。