まほろ駅前多田便利軒 : 映画評論・批評
2011年4月20日更新
2011年4月23日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
一人の人間の心を二人の男の行動で表現したような新しいバディムービー
自分勝手に行動する男と、ボヤキながら尻ぬぐいをしていく男。バディムービーでお馴染みのこんなコンビに似ているようで、実はかなり違うのが「まほろ駅前多田便利軒」の二人だ。確かに多田は常識の線を守って他人の生活に立ち入らないし、行天はそんなことはお構いなしにやりたいように行動する。だが決定的に違うのは、行天の行動を見ていてイライラさせられないところだ。むしろ、彼のズバリ言動が、多田に見て見ぬフリを許さないというか、やるべきことをやらせている。だから二人を見ていると、一人の人間の中にあるふたつの要素だと思えてくるのだ。
人によって比重は違うが、誰にでも多田的部分と行天的要素があるのではないか。常識の仮面に隠れて他人事を決め込もうとする時に、それでいいのかと異議申し立てをするもう一人の自分がいるのではないか。それは誰でも自分の中に変革の可能性を持っているということ。この映画を見て心が温々(ぬくぬく)してくるのはそのためだ。
親に愛されなかった行天と、子供を愛したかったのに許されなかった多田。便利屋の雑多なエピソードが、二人の過去にフォーカスし、ドラマのベースに親と子の関係が見えてくる展開も素晴らしい。チンピラの山下(柄本佑)の顛末で希望はあると見せてくれるのも嬉しいが、原作にある赤ちゃん取り違えエピソードも感動的なので、それも入れて欲しかった。それとも、続編用にとっておいたのか。瑛太と松田龍平はベスト・マッチ。
(森山京子)