マイ・バック・ページのレビュー・感想・評価
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白いブリーフ履いてみるか
このテのヤツってエログロがデフォルトだと思い込んでいたのでちょっと反省。そのあと観た事にも反省したけどな。
まず内容。普段オレたちが経験していることを盛り上がりも何も無く映画にしてんじゃねえっての。経験豊かな諸先輩にやめとけ、って言ってくれてんのに、てめえがヤレるヤツだと勘違いして、のっかっちゃったら、やっぱ先輩の言うとおりでした、えーん。乗っかる対象が小物なのもあるある。
映画なんだからさ、小物っぷりをもっと面白おかしくみせてくれちゃっていいじゃん。冒頭で小物っぷりをちらっと見せてくれたんだから、やっぱ最後は彼女の所在をばらしたりしたことや取調室だけじゃモノ足らず、裁判はテロップでなく、描いてほしかったな。そこしか盛り上がるとこねえだろが。
キャスト。松山さんはその小物ぷりがイイ。だけど想定内の配役なので、妻夫木さんと逆にしたほうが面白えんだけどな。だけど小物ぶりは松山さんがやるほうがいいかもな。妻夫木さんがやると逆に小物じゃなくなりそうなんで。
あとな、みんな白いブリーフ世代じゃねえんだからさ、監督ぐらいはその世代のほうがよかったんじゃねえのか?
長いし分かりにくいかな
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学生運動が盛んだった頃の新聞記者の妻夫木が主人公。
妻夫木自身も学生時代に運動には参加したが、中途半端だった。
いつも安全な位置にいたがる弱腰な性格だった。
そこで革命家を名乗る松山に合い、本物と信じて取材する。
松山は実は口先だけでポリシーなんてないハンパ者だったが、
彼らの行動で自衛官が死んで一大事になる。
妻夫木は社に記事掲載を要望するが、さすがに犯罪だと却下され、
警察に通報されて松山らは逮捕される。
妻夫木も自分のキャリアを棒に振った感じになる。
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何が何だかよう分からんかった。
長いのもあって、早く終わらんかなってずっと思ってた。
内容が分かればおもろいのかも知れんけど。
屈折した正義感
70年安保の迸る情熱は薄れつつある時期。熱く新しい世界を求めた純粋さは、そこに参加できなかった男たちに負い目を与えたのか?
主人公は距離を置いていた負い目から、活動家もどきにのめりこんでいく。活動家は乗り遅れて追いつこうとするが、そこには培った理論や思想はなく、自分の言葉に酔い次第に活動家になっていく。
当時の学生運動、幼い頃のかすかな記憶はお茶の水の学生・デモ行進・ヘルメット、喧騒と情熱。その後の連合赤軍への怒りと恐怖。
これが入り交じったのもあり、思いのほか適当な活動家の行動に共感できず、むしろ怒りを覚えどうも好きになれなかった。
お前に足りないのは、そういう覚悟だよ。
映画「マイ・バック・ページ」(山下敦弘監督)から。
1960年代後半の学生運動を舞台に、物語は進んでいく。
その混乱の中に入って、真っ正面から向き合うタイプの人間と
ちょっと距離を置いて、動向を眺めるタイプ。
そんな人間の2つのタイプを、当時の世界の出来事で表現して、
こんな会話で、妻夫木聡さん扮する、若手ジャーナリスト・沢田に
仕事に対する姿勢をアドバイスする先輩が眩しかった。
「月かベトナム、どっちかに行けるといったら、
俺は迷わずベトナムに行くな。
お前に足りないのは、そういう覚悟だよ。」と。
世界中の人々が注目し、誰もが憧れる宇宙の「月」よりも、
生きるか死ぬかもわからない「ベトナム戦争最前線」を選べ、
そんな感じなんだろうか。
取材とは、それだけ覚悟がいるんだ、と言い聞かせるように。
会社の上司も「俺たちは、社会の目なんだよ。大事なのは、具体。
そこで何が起こっているかが重要なんだよ」と叱咤する。
そういう覚悟を決めて立ち向かう経験をしないから、
お前が一番伝えたいのは何なのか、俺たちにはわからない、と。
実は、この選択はジャーナリストの話だけではない。
どんな職業でも通じる仕事に対する姿勢であるし、
「現場第一主義」を忘れがちな、私たち管理職には特に、
意識しておかなければならないことだな、とメモをした台詞。
「覚悟」という単語、胸に響くなぁ。
あの時代の空気を肌で感じたような気がして、ふるえました。
今年20歳になった学生です。
物語の舞台となった1970年前後というのは、ちょうど私の両親が生まれた頃。
私たちの世代は、学生運動はおろか、バブルも知りません。今思えば、物心ついたとき時代にはすでに、なんとも言えぬ閉塞があったような気がします。
私たちの世代にとっての「学生運動」は、中学や高校の教科書の中にしかない出来事です。試験のため、事件につけられた名前のひとつひとつにアンダーラインをひくことはしても、けっして現実味をともなって感じられることのなかった「歴史」のひとつです。
「若者が、自分たちの力で社会を変えられると信じていた時代」。
学校の先生や、当時のことを書いた本ではしばしば、このような言葉をつかって説明されます。頭では、なんとなくわかります。本当に漠然とだけれども、それは今ではとても考えられない、あらゆる意味ですごいことだったのだとわかります。
でも、10代の私には、ちょっとやそっと教科書を読んで写真を見ただけでは、自分と同じ世代の学生たちが、ヘルメットをかぶってバリケードを築いて、機動隊と衝突する、ときには死者まで出して、そんな場面をうまくイメージすることは、到底できませんでした。
彼らは、どうしてそんなに怒っているのか、何と闘っているのか、どうして闘っているのか、何を目指しているのか、どうしてそこまでするのか。中学や高校のとき、私には全くわからなかったし、深い興味をもつことも考えることも誰かに尋ねてみることもしませんでした。「時代は、変わったのだ」と、あの時代に青春をすごした人々と自分たちの世代の間に、けっして埋めることのできない断絶のようなものを感じていました。
そんな私に、あの時代に触れるきっかけを与えてくれたのが、この『マイ・バック・ページ』という映画です。
正直、「観ても、やっぱり、わからないかもしれない」という不安もありました。
だから、当時の時代背景を、年表でいくどか確認してから映画館へ行きました。
ジェネレーション・ギャップを覚悟してスクリーンに向かう中、物語に登場したのは、「お前は、何者なのか」という問いに、常にさらされ、もがきながら闘っている若者たちの姿でした。
それは、現代を生きる私たち若者の抱く、今の自分に対するコンプレックスや焦り、将来への不安と何も変わらないんじゃないか、あの時代と私たちとの間に横たわる途方もない距離が、ぐっと縮まったのを感じました。
若さゆえの判断の甘さや行動の中途半端さ、葛藤、矛盾、弱さ、反発のようなものが絶妙な具合で描かれていて、活動家・梅山も記者・沢田も、そのほかの登場人物もすごく人間らしかった。
活動家や当時の学生たちがつかう言葉や、その理想、考えはやっぱりよくわからなかったけど、彼らの根底にある「人間臭さ」に触れることができたような気がしました。
たまたま、あの時代の中に生きたから、時代の流れにおされて梅山は「活動家」に憧れ、沢田は「ジャーナリスト」としての理想に燃えたのかもしれません。もし私が、あの時代に大学生だったとしたら、同じように一刻もはやく「本物の何者か」になりたくて、苦しみ、もがいていたのではないかと思います。
そして、スクリーンに再現された60~70年代の空気が、なんとも形容しがたいほどに、魅力的でした。ああいう音楽や映画が、青春の思い出として残るなんて、本当にたまらなく格好いい。
しかし物語は、終末が近づくにつれ、ジャーナリスト・沢田の挫折へ、どうしようもなく暗く、はがゆい展開へと転がり落ちていきます。悲しい、悔しい、むなしい、情けない。
「これは後味のよくない終わり方になるのではないか」と、内心覚悟していたのですが、ラストシーンに救いがありました。
また、真心ブラザーズと奥田民生がうたう主題歌も本当によかった。「最後の最後にこの曲が流されて、救われた気がした」という妻夫木さんのインタビューでの言葉のとおり、この曲なくしてこの物語は終わりえなかったのではないかと思います。
映画館をあとにしてからも、ずっと余韻の残る、考えさせられる映画でした。
原作である、川本三郎さんの『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』も買いました。読み終えた今、もう一度、映画を観に行こうかなと思っています。
素敵な映画をありがとうございました。
面白いと言い切れないほど心に残る。
遅すぎた、早すぎた、そんなふうに後悔することは人生に何度もある。
過ちを起こしたこともあるし、思い出したくない過去もある。
これはそんな物語だった。
わたしが生まれた年に起こった事件を中心に
なぜこんなことが起きて、どう時代に落とし前をつけたのかが
丁寧に描かれている。
その丁寧な描写が、時代は違っても、誰にでも心当たりのある
後悔の念を思い起こさせ、気持ちをえぐり取られてしまうのだ。
冒頭の、まだ事件を知らない無邪気な沢田役の妻夫木聡の瞳が
なにもかもが中途半端、なのになぜか魅かれる強い瞳を持った梅山に
引きずられるように熱気を帯びていく様子や
「何にもなれなかった自分」や失ったもの、それでも残ったものに気づき
涙を流すシーンなどは非常に見ものである。
松山ケンイチは、理想だけは立派な口先だけの男、梅山の
どこか憎めなさと空虚を上手く演じていた。
そして山下映画といえば個性的な脇役陣。
どの役者の演技も主演の2人を支え世界観を作りあげている。
これが骨太な作品となった理由ではないだろうか。
特に、全共闘の生き残り、唐谷役の長塚圭史登場シーンは鳥肌が立つ。
「面白かった」と言う度に自分の傷をえぐられそうで辛い映画なのに
『あのシーン、誰々出てたよね』というマニア心もくすぐられる
何度でも観たくなる作品だった。
ちゃんと涙を流せる男。
全共闘運動、大学紛争が盛んだった頃、私はまだ子供だった。
その後の連合赤軍による事件など、TVで連日放送されていた。
当時の私には、何が起きていたのかも分からなかったのだが、
どう見ても学生そこそこの年代の若者が、武装しては立てこもり、
一体何を要求しているんだろうと不思議だった。
当時の学生運動に身を馳せた人々はまた違う感覚で観ただろう。
そんな想いを抱かせるほど、周囲には年配の男性客が多かった。
でもブッキーと松ケンというWキャストに惹かれて、若い女性陣も
観ていたようだ。何れにせよ、こんな時代があったことを知るのが
まずは最重要課題になるんだろう。。。
面白い話ではない。胸の梳く話でもない。そもそもベトナム戦争が
人々の心に何を齎したか、若い学生達ですらその疑問を何らかの
形で訴えなければ先が見えてこなかった時代、巨大権力に歯向かう
には武装蜂起といった過激な思想派が増えていった時代、もし今の
日本がこんな時代の渦中にあったら、現代の若者はどうするだろう。
私の思いが想像の範囲を超えないように、今作で描かれる若者達の
理想もまったく想像の範囲を超えていない。…というかそんな歳で、
すでに世界が見えていたら大したもんなんだけど^^;そんな奴いない。
沢田(妻夫木)にしても梅山(松山)にしても、遙か彼方の理想に向かい、
歩き始めたばかりの、空論に振り回される、普通の若者に過ぎない。
その覚束なさ、危なっかしさ、それらは周囲の大人達に見抜けるほど
甘く、いちいち説教をされてはムッとする二人が私は微笑ましかった。
反面、例えば沢田の書いた東京散歩のコラムが好評だと誰もが褒め、
こんな物書いてる場合じゃないのにと思う本人の気持ちを欺くあたりが
面白い。当世で過激な弁論や社会派が持て囃されている中にあって、
どうしてこんなのほほんとした物が一般にウケるのか、当時の彼には
分からなかったんだろう。大衆が求めていたのは、むしろそっちだった。
混沌とした時代だからこそ、平和を味わえるものが読みたい。
物事の方向性を見誤るのは、若い世代には必ずあって然るべきと思う。
道を踏み外して初めて、大人世界というか、理想と現実の狭間というか、
あぁあの人が自分に向けて言ってくれたのは、これだったんだと分かる。
ことに、お坊っちゃまお嬢さま育ちで挫折を知らずに育った世代には、
(先輩記者が何度も言ったように)口先で語るんじゃない、やってみろ。と
言うのが妥当なんだけれど、そのやることに関しての目的も分からない。
だからとってつけたように(ここでいえば梅山のように)やたらデカい事を
抜かしておきながら誰かの真似でしかない、説得力に欠ける行動をとる。
冒頭の大学サークルでの討論で、簡単にやり込められた彼が発したのは
相手を「敵」とみなす言葉だった。ここですでに彼の子供っぽさが露出する。
沢田が彼に興味を持ったのは、自分と同じ理想を秘めた若者だったから、
ともいえるが、大人びた高校生モデルの女の子がいう「カッコいい男」とは、
ただ「ちゃんと泣ける男」だった。おそらくこの子が小さい頃から身を置いて
きたその華やかな世界では、欺瞞に満ちた大人達が横行していたのかも。
普通であることや、素直であることが、どれほど大切で愛おしいものか。
心が平和であることは、みんなにその安らぎを与えることができるものだ。
まぁ、そんな当たり前が分かっていたら戦争など起きないんだけど。。。
大スクープを独占でモノにできると、自負し喜んだ沢田が味わう結末は
実に苦く、このタイトル通りの(忘れられない)過去の一頁となってしまう。
ただ今作で監督が描いたこの二人における世界観は、どこか第三者的で、
必ずしも寄り添ってはいないので、私たち観客もそんな目で観られるはず。
もしも私があと20歳(汗)若かったら、彼らの気持ちに共感できたかもだが、
いまの私が共鳴できたのは先輩記者の中平の放つ言葉や取材姿勢だった。
彼も決して巧い生き方はしていないが、経験を極めた言葉はズシンと重い。
のちに沢田が流す涙が実に素直で感動的。ちゃんと泣ける男は確かにいい。
それぞれの年代で、それぞれに考えが及ぶ、地味で静かな青春問題作。
(私はこの川本氏の町歩き本が読んでみたくなった。散歩ブームの火付け役)
ミスマッチ
良くも悪くも分かりやすいストーリー。
妻夫木が忽那汐里に「私泣ける男の人って好きだな」と言われた場面で、この映画のラストが想像出来てしまった方は何人いただろう?
まあそのラストで、旧友の「お前マスコミに入れたのか?」の問いに妻夫木が「結局だめだったなぁ」と返した言葉、その心情にはやけに共感してしまい、涙したのも事実だが。
そんなこんなで、ストーリー自体は悪くはなく、脇を固めるキャストもなかなか秀逸なのだが、いかんせん主演の二人がキレイ過ぎる。
特に松山ケンイチは「ノルウェイの森」を思い出してしまい。ほとんど感情移入できず。(浅はかで夢見がちな革命家気取りはあれで良かったのかもしれないが・・・)
もう少し「青臭さ」「安っぽさ」なんかが出れば、もっと良い映画になっただろうに。
まあ、「学生運動」「サヨク」といったものを知らなかった人々がこの映画を見て、そういったものに少しでも関心を持ってくれることがあれば、この二人が主演した意味があるというものだが。
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