「あの時代の空気を肌で感じたような気がして、ふるえました。」マイ・バック・ページ kitamiさんの映画レビュー(感想・評価)
あの時代の空気を肌で感じたような気がして、ふるえました。
今年20歳になった学生です。
物語の舞台となった1970年前後というのは、ちょうど私の両親が生まれた頃。
私たちの世代は、学生運動はおろか、バブルも知りません。今思えば、物心ついたとき時代にはすでに、なんとも言えぬ閉塞があったような気がします。
私たちの世代にとっての「学生運動」は、中学や高校の教科書の中にしかない出来事です。試験のため、事件につけられた名前のひとつひとつにアンダーラインをひくことはしても、けっして現実味をともなって感じられることのなかった「歴史」のひとつです。
「若者が、自分たちの力で社会を変えられると信じていた時代」。
学校の先生や、当時のことを書いた本ではしばしば、このような言葉をつかって説明されます。頭では、なんとなくわかります。本当に漠然とだけれども、それは今ではとても考えられない、あらゆる意味ですごいことだったのだとわかります。
でも、10代の私には、ちょっとやそっと教科書を読んで写真を見ただけでは、自分と同じ世代の学生たちが、ヘルメットをかぶってバリケードを築いて、機動隊と衝突する、ときには死者まで出して、そんな場面をうまくイメージすることは、到底できませんでした。
彼らは、どうしてそんなに怒っているのか、何と闘っているのか、どうして闘っているのか、何を目指しているのか、どうしてそこまでするのか。中学や高校のとき、私には全くわからなかったし、深い興味をもつことも考えることも誰かに尋ねてみることもしませんでした。「時代は、変わったのだ」と、あの時代に青春をすごした人々と自分たちの世代の間に、けっして埋めることのできない断絶のようなものを感じていました。
そんな私に、あの時代に触れるきっかけを与えてくれたのが、この『マイ・バック・ページ』という映画です。
正直、「観ても、やっぱり、わからないかもしれない」という不安もありました。
だから、当時の時代背景を、年表でいくどか確認してから映画館へ行きました。
ジェネレーション・ギャップを覚悟してスクリーンに向かう中、物語に登場したのは、「お前は、何者なのか」という問いに、常にさらされ、もがきながら闘っている若者たちの姿でした。
それは、現代を生きる私たち若者の抱く、今の自分に対するコンプレックスや焦り、将来への不安と何も変わらないんじゃないか、あの時代と私たちとの間に横たわる途方もない距離が、ぐっと縮まったのを感じました。
若さゆえの判断の甘さや行動の中途半端さ、葛藤、矛盾、弱さ、反発のようなものが絶妙な具合で描かれていて、活動家・梅山も記者・沢田も、そのほかの登場人物もすごく人間らしかった。
活動家や当時の学生たちがつかう言葉や、その理想、考えはやっぱりよくわからなかったけど、彼らの根底にある「人間臭さ」に触れることができたような気がしました。
たまたま、あの時代の中に生きたから、時代の流れにおされて梅山は「活動家」に憧れ、沢田は「ジャーナリスト」としての理想に燃えたのかもしれません。もし私が、あの時代に大学生だったとしたら、同じように一刻もはやく「本物の何者か」になりたくて、苦しみ、もがいていたのではないかと思います。
そして、スクリーンに再現された60~70年代の空気が、なんとも形容しがたいほどに、魅力的でした。ああいう音楽や映画が、青春の思い出として残るなんて、本当にたまらなく格好いい。
しかし物語は、終末が近づくにつれ、ジャーナリスト・沢田の挫折へ、どうしようもなく暗く、はがゆい展開へと転がり落ちていきます。悲しい、悔しい、むなしい、情けない。
「これは後味のよくない終わり方になるのではないか」と、内心覚悟していたのですが、ラストシーンに救いがありました。
また、真心ブラザーズと奥田民生がうたう主題歌も本当によかった。「最後の最後にこの曲が流されて、救われた気がした」という妻夫木さんのインタビューでの言葉のとおり、この曲なくしてこの物語は終わりえなかったのではないかと思います。
映画館をあとにしてからも、ずっと余韻の残る、考えさせられる映画でした。
原作である、川本三郎さんの『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』も買いました。読み終えた今、もう一度、映画を観に行こうかなと思っています。
素敵な映画をありがとうございました。