「ちゃんと涙を流せる男。」マイ・バック・ページ ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
ちゃんと涙を流せる男。
全共闘運動、大学紛争が盛んだった頃、私はまだ子供だった。
その後の連合赤軍による事件など、TVで連日放送されていた。
当時の私には、何が起きていたのかも分からなかったのだが、
どう見ても学生そこそこの年代の若者が、武装しては立てこもり、
一体何を要求しているんだろうと不思議だった。
当時の学生運動に身を馳せた人々はまた違う感覚で観ただろう。
そんな想いを抱かせるほど、周囲には年配の男性客が多かった。
でもブッキーと松ケンというWキャストに惹かれて、若い女性陣も
観ていたようだ。何れにせよ、こんな時代があったことを知るのが
まずは最重要課題になるんだろう。。。
面白い話ではない。胸の梳く話でもない。そもそもベトナム戦争が
人々の心に何を齎したか、若い学生達ですらその疑問を何らかの
形で訴えなければ先が見えてこなかった時代、巨大権力に歯向かう
には武装蜂起といった過激な思想派が増えていった時代、もし今の
日本がこんな時代の渦中にあったら、現代の若者はどうするだろう。
私の思いが想像の範囲を超えないように、今作で描かれる若者達の
理想もまったく想像の範囲を超えていない。…というかそんな歳で、
すでに世界が見えていたら大したもんなんだけど^^;そんな奴いない。
沢田(妻夫木)にしても梅山(松山)にしても、遙か彼方の理想に向かい、
歩き始めたばかりの、空論に振り回される、普通の若者に過ぎない。
その覚束なさ、危なっかしさ、それらは周囲の大人達に見抜けるほど
甘く、いちいち説教をされてはムッとする二人が私は微笑ましかった。
反面、例えば沢田の書いた東京散歩のコラムが好評だと誰もが褒め、
こんな物書いてる場合じゃないのにと思う本人の気持ちを欺くあたりが
面白い。当世で過激な弁論や社会派が持て囃されている中にあって、
どうしてこんなのほほんとした物が一般にウケるのか、当時の彼には
分からなかったんだろう。大衆が求めていたのは、むしろそっちだった。
混沌とした時代だからこそ、平和を味わえるものが読みたい。
物事の方向性を見誤るのは、若い世代には必ずあって然るべきと思う。
道を踏み外して初めて、大人世界というか、理想と現実の狭間というか、
あぁあの人が自分に向けて言ってくれたのは、これだったんだと分かる。
ことに、お坊っちゃまお嬢さま育ちで挫折を知らずに育った世代には、
(先輩記者が何度も言ったように)口先で語るんじゃない、やってみろ。と
言うのが妥当なんだけれど、そのやることに関しての目的も分からない。
だからとってつけたように(ここでいえば梅山のように)やたらデカい事を
抜かしておきながら誰かの真似でしかない、説得力に欠ける行動をとる。
冒頭の大学サークルでの討論で、簡単にやり込められた彼が発したのは
相手を「敵」とみなす言葉だった。ここですでに彼の子供っぽさが露出する。
沢田が彼に興味を持ったのは、自分と同じ理想を秘めた若者だったから、
ともいえるが、大人びた高校生モデルの女の子がいう「カッコいい男」とは、
ただ「ちゃんと泣ける男」だった。おそらくこの子が小さい頃から身を置いて
きたその華やかな世界では、欺瞞に満ちた大人達が横行していたのかも。
普通であることや、素直であることが、どれほど大切で愛おしいものか。
心が平和であることは、みんなにその安らぎを与えることができるものだ。
まぁ、そんな当たり前が分かっていたら戦争など起きないんだけど。。。
大スクープを独占でモノにできると、自負し喜んだ沢田が味わう結末は
実に苦く、このタイトル通りの(忘れられない)過去の一頁となってしまう。
ただ今作で監督が描いたこの二人における世界観は、どこか第三者的で、
必ずしも寄り添ってはいないので、私たち観客もそんな目で観られるはず。
もしも私があと20歳(汗)若かったら、彼らの気持ちに共感できたかもだが、
いまの私が共鳴できたのは先輩記者の中平の放つ言葉や取材姿勢だった。
彼も決して巧い生き方はしていないが、経験を極めた言葉はズシンと重い。
のちに沢田が流す涙が実に素直で感動的。ちゃんと泣ける男は確かにいい。
それぞれの年代で、それぞれに考えが及ぶ、地味で静かな青春問題作。
(私はこの川本氏の町歩き本が読んでみたくなった。散歩ブームの火付け役)