ぼくのエリ 200歳の少女のレビュー・感想・評価
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私もエリに恋をした。
でたよ。邦題問題(てか副題問題)
勝手に「これ、判り難い映画でしょう?説明してあげるね」的な、余計な副題をつけないで!
しかも、映画の中では性別をわざわざ言及してないのに、"少女"って?これ、観ないでタイトルつけちゃうパターンでしょう?
こういうの、大嫌い!
雪深い、太陽が低い、寒い、冷たい、氷の結晶のような町ストックホルム。
離婚したオスカーの両親は、彼が陰惨な虐めにあっていることを知らない。しかもオスカーには、そのことを話す友人もいない。
エリは見た目は12歳の少女ですが、ヴァンパイアです。
エリが一緒に暮らしている男は父親のふりをしているだけで、エリの食事(血)調達係です。その男も、顔に硫酸をかけられた状態で死にます。
オスカーは孤独で、エリも永遠の孤独の中にいる。そんな二人が、少しずつ気持ちを通わせていく姿に、(ネット上では)小さな恋のメロディのヴァンパイア版との指摘が散見されます。ですが、本作はもっと残酷なラブストーリー(?)だと思いました。
オスカーはエリに「ガールフレンド」になってと云い、エリは「少女」でなくても構わないか?と問います。それでも、好きでいてくれるか?勿論エリは12歳ではないですし、女性でも男性でもないのです。そのことが明らかになるシーンがあります(映倫さんのせいで観客には分かりません。その際の台詞で推測)。
12歳でもない、少女でもない、少年でもない。そんな異形の者との恋を、オスカーはどう決心するのか?
オスカーの決心は、ラストのシーンで分かります。列車に乗るオスカーの横には、大きな木箱があります。ここで、モールス信号の伏線が回収される。素晴らしいです。
このシーンは、オスカーがエリと一緒に生きて行く決心をしたことを表していますが、と同時に、彼の運命が決まった瞬間でもあると思いました。オスカーも、顔を焼いたあの父親役の男と、同じ運命を辿るかも知れない……。あの男も、昔はこんな美しいオスカーだったかも。
印象的なシーンが、二つあります。
一つは冒頭にも書きましたが、舌にまだ血がまだ残る唇で、エリがオスカーに口吻るシーンです。湿った音を立てながら、エリが瞳を閉じて、また開ける。瞼が開けられる度に、少女の戸惑い、獲物を仕留めた獣の目、哀しみ、支配、愛情がくるくる浮かびます。こんなに心に迫るキスシーンは、初めてです。
次は、プールでいつものように虐められるオスカーが、水に沈められるシーン。水の中で苦しそうに藻掻くオスカーの周りに、千切れた手足が浮かぶ。オスカーが漸く顔を上げると、凜と微笑むエリがいました。この瞬間、私もエリに恋をしました。
この二人は全くの新人の子役さんのようで、演技のぎこちなさがリアルに繋がっているように思いました。
さて、原題が「(スエーデン語)Låt den rätte komma in」です。意味は「正しき者を招き入れよ」らしいです。これは、ヴァンパイアは「入っていい」と言われないと、部屋の入れないことに由来します。うーん。
凛として、輝く
北欧スウェーデンから届いた、ベストセラー小説の映画化作品。
孤立、孤独、そしてその中に小さく強くある希望を、力強く描く。吸血鬼という古典かつインモラルなテーマに主題を置きながらも、その裏で華奢な、そして繊細な一人の少年が辿る心の成長物語という側面を丁寧に、熱を持って作り上げていく、端正な佳作。
北欧スウェーデンの作品では、昨今「スウェーディッシュ・ラブストーリー」をはじめとした魅力満載の作品が日本で続々公開され、映画市場としての地位を確立しつつあるが、その多くの作品に貫かれる寂しさ、空虚な空気感は、日本にある曖昧さに通じるものがあり、心地よい。それが、スウェーデン映画に日本人が惹かれはじめている一つの理由なのかもしれない。
特に、目を見張る場面がある。それは、バンパイアとして常に血を求めている少女、エリのため、彼女の父が一般人を捕獲し、木に吊るし、血を収集する場面。ただ残忍に他人の血を吸い取る光景を見慣れている私達にとって、この場面は違和感の極みである。一瞬の殺戮から生まれる美学を超え、バンパイアが息を潜めて生きていく、その焦り、生々しさが凝縮される。他のバンパイア映画が目を背けてきた生活感が切り取られ、ただ狼狽させられる。これが、吸血鬼が生きていくということであり、バンパイアが凛と輝くための道なのだ。
題材・ストーリーに目新しさは無いかもしれない。だが、この作品にはバンパイアを神格化せず、一つの生き物として見つめる視線がある。これは、数多の類似品には真似できない、私達の思考への挑戦である。
混沌とした現代に、その中を生きる私達に突きつける物語への挑発。見事にはめられた先にある満足感、そして幸福感は予測を遥かに超える。吸血鬼は、物語の中で生きていく。焦りと、飢えと、その先にある輝きをもって。
永遠に続く孤独な旅の道連れ
「血と薔薇」のようにぞくっとする程美しく、「シベールの日曜日」のように
せつない映画を期待して、夫と娘と親子3人で見た。
映像は美しかったが耽美的というほどではなく、生き血をすする姿などリアル過ぎるほどで
狩猟民族の悲哀さえ感じられるし、
最後の場面、幸せそうなオスカーとエリは長い2人旅に出るのだから、
孤独な魂が呼び合うせつなさも無い。
少し物足りない思いで劇場を後にした帰り道、夫が「あの男の子は自分で硫酸をかぶった男
の代わりになるんだな」とぼそっとつぶやいた。
そうだったんだ。言われてみればその通りだ。それなら面白く、恐ろしい。
男が木に吊るした獲物から生き血を抜く場面で、こんなやり方で集め続けられるのだろうかと
余計な心配をしてしまったが、
エリの世話をしていた彼は疲れきっていて、終わりの時を待っていたのかもしれない。
「考えすぎかもしれないが」と夫が続けて言う。
「エリはオスカーに催眠術をかけたんじゃないだろうか。
死んだ男にもかかっていたが、エリに病室で血を飲ませた時に男の催眠術は解かれ、
彼は本来の自分を取り戻して死んでいったんだろう」
永遠に12歳のままで旅を続けるエリは、絶え間なく続くいじめに苦しむオスカーを
次の道連れに選んだ。
エリは彼に恋をしたのだろうか、オスカーは便利な世話人として洗脳されていくのだろうか。
映画ではオスカーの心情しか描かれていないので、エリの本心は読み取れない。
しばらくは、2人の蜜月が続くのだろう。
その後、どんな苦しみが彼に訪れようと、至福の時を過ごした記憶が彼に残るのだろう。
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余談ですが、ウチの娘は映画を見た夜、エリにかみつかれるのではないかと恐くて
眠れなかったらしい。
「日本には雪女や座敷わらしは居ても、吸血鬼はいないから大丈夫」と言うと、
「魔物だから海ぐらい飛んで来れるかもしれないよ!
日本で映画撮るなら、12歳頃のAKBのあっちゃんと神木隆之介君がいいな!」
と、結構気にいったようだ。
エリの映像のモザイクは、パンフレットに答があると聞き、楽しみにしていたが
売り切れでがっかり・・。
もしかして両性具有かと思っていたが、エリは人間として生きていた時は男の子だったらしい。
身震いするホラーに出来る内容だが、ホラーは全くダメな私でも大丈夫だった。
ハリウッドリメイク版の方は、ホラー映画になっているのかも。
すみませんが『トワイライト』なんて目じゃないよ…
『トワイライト』ファンには申し訳ないけど、この『ぼくのエリ』を見たら『トワイライト』はほんと子供だましっていうか、言葉は悪いが相手じゃないって感じです。モチーフは全く同じなのに。まあ、ターゲットも違うわけですし、別に『トワイライト』をおとしめるつもりもありませんが、どうしてもそう思ってしまう。それほど唸るのがこの作品。
恋ではあるけど、甘いロマンスじゃない。あくまでもダークに、そして残酷に。ラストはすがすがしいカットとは裏腹に、少年がやがて最初の老人のような運命をたどることになるのではと思うことは想像に難くない。雪の降る北欧の寒々しい雰囲気が物語にベストマッチ。
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