ぼくのエリ 200歳の少女 : 映画評論・批評
2010年7月6日更新
2010年7月10日より銀座テアトルシネマほかにてロードショー
バンパイアと12歳の少年の交流を通して、人間の根源的な孤独を描く
ただ生き延びるため。主人公オスカーとエリは、そういうギリギリのところで結びつく。2人が他者とそういう形での結びつきしか持てないことが胸をえぐる。と同時に、彼らがそんな形であるにせよ結びつきを持てたという僥倖に、胸が熱くなる。「ぼくのエリ」は人間の根源的な孤独を描く物語だ。
12歳のオスカーは、学校で深刻なイジメに遭い、友人もいないが、離婚した両親のどちらも彼のそんな状況に気づかない。彼が住む団地の隣室に引っ越してきたエリは、12歳の少女の姿をしたバンパイアで、誰とも永続的な関係を持つことが出来ない。そんな2人が、おそるおそる、ほんの少しずつ、互いに向けて手を伸ばしていく。少年はそれを恋かと思うが、エリは少年に、自分が少女ではなくても気持ちは同じなのかと何度も問い、少年はやがてその問いの意味を知って答を出す。
この物語に相応しく、映像は端整だ。その冷気と静寂。冬のストックホルム郊外。夜。雪原、凍った河、室内プールという、水の変奏。静謐な映像で描かれる凍った世界の中、差し出される小さな手だけが仄かなぬくもりを持つ。
圧倒されるのは、クライマックスのエリの瞳の美しさ。この瞳を愛さずにはいられない。エリは血が不充分なときには容色が衰えるため、場面ごとに顔が変わるが、この設定は、クライマックスの美しさを際だたせるために違いない。
(平沢薫)