終着駅 トルストイ最後の旅のレビュー・感想・評価
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悪妻ではなく生き方が違ってきただけ
総合70点 ( ストーリー:70点|キャスト:80点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:75点 )
今まで知らなかったが妻ソフィアは世評では悪妻といわれているらしい。だがソフィアが自分の家庭のことを考える一方で、トルストイは自分の理想とロシアのことを考え、さらに自分の崇拝者と支持者によって自由が効かなくなる。作品の中では気が強くても普通の常識人であるソフィアと、どんどんと浮世離れしていく夫との間に生き方の違いが生まれ溝が出来ていくのは自然なこととしか思えなかった。トルストイについて事前知識がないと深い理解がし難い部分もあり、自分はやたらと重いロシア文学が元々苦手で、トルストイにあまり関心がなくて彼の思想にも生き方も知らない。問題を抱えつつも高度に発達し成功している現在の資本主義国家に生きていると、崇高な理想を追求するトルストイ主義など現実離れした夢物語にしか思えない。そのためそれほど物語にはのめりこめなかった。
しかし登場人物の演技と演出はいいし、音楽と美術もいい。そのように情緒的に人間関係を描いていく様子は質が高いし評価できる。トルストイの生き方に特に共感はしなかったが、このような部分を楽しめたので退屈はしなかった。
私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと
映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。
ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、
ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。
困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。
タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、
それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。
誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗)
気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。
「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」
しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と
メッセージが発せられる。
また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に
「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、
突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、
富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。
献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、
「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。
夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、
50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。
私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。
P.S.(参考に・・「世界3大悪妻)
ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」
偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」
ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」
夫婦の愛の変遷を想う・・・
ずっと観たいと思っていたのだが、近くのレンタル・ビデオ店に置いていなかったので、封切りから1年以上経ってやっと観れてうれしかった。思いのほかおもしろく観たし、涙もこぼれた。配役順では最後のWITHジェームズ・マカヴォイが意外に中心的役割を果たしていて、彼から観たトルストイ夫妻像となっている点が客観的に描かれる遠因になっていて良かったと思う。世界三大悪妻の一人ソフィアはどんな悪妻なのか楽しみだったが、意外にかわいい女に描かれていた。アカデミー賞主演女優賞受賞のヘレン・ミレンが演じていたからなのか、わがままというより、たくさんいる子どもたちの行く末を心配していたからだけなのかなと思う。夫婦はお互い愛し合ってはいるのに、夫の理想についていけなくてすれちがってしまう。これって、トルストイみたいな偉い人じゃなくてもそうじゃないかな。いくら夫婦だってすべて同じ考えなんて無理だと思うから。トルストイは読んだことはないけど、作品の名前だけは知っていた。映画化もされているし「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」など・・・ でも作家自身のことはほとんど知らなくて、貴族だったこととか、晩年の活動とかには驚いた。自分が妻でもソフィアの立場になってしまうと思う。それに逃げるのはずるいとも思った。だからワレンチンの恋愛は一種の清涼剤のような初々しさが感じられた。この作品のそれが救いといえるかもしれない。
完全無欠の神様と突っ走るニワトリ
『戦争と平和』等の著作で知られる文豪レフ・トルストイ。
本作は彼が晩年起こした騒動の顛末を、
彼の助手ワレンティンの視点から描いた作品。
僕は彼の著書を読んだ事は無いが、映画ではいわゆる
“トルストイ主義”の一部について簡単に説明してくれる。
私有財産権の放棄——つまり財産は皆で共有すべきという考え。
実に高潔な思想だ……実現できるかどうかは別として。
彼の思想に心酔する男チェルトコフは、トルストイ主義を
より多くの人々に伝えるため、彼に死後の著作権を放棄するよう迫る。
しかしトルストイの妻ソフィアにとっては、彼の著作権は
家族の大切な財産。奪われないよう躍起になる訳で……
板挟みのトルストイ、大いに悩む。
劇中、トルストイが微笑みながら言う台詞は実に皮肉が利いている。
「私は純粋なトルストイ主義者ではないよ」
トルストイ主義者が生み出した彼は、彼の高潔な理性だけが
抽出された完全無欠の神様で、彼自身とはもはや別物なんすね。
どんなに優れた思想を示そうが、人から崇められる行動を
してみせようが、それでも人間は神様なんかじゃない。
時々とんでもないヘマをやらかすし、本能の赴くまま、
まるで理にかなわない行動をとる事もある。
だけど、目の前でニワトリの鳴き真似をしてみせた所で、
その神様は腹を抱えて笑ってくれるだろうか?
理性だけじゃこの世界は理解できない。
それができたら世界はどれだけ楽で、味気無いか。
トルストイはソフィアのヒステリックな行為が、保身ではなく
「家族の将来を案じているだけ」の行動だと理解している。
ソフィアはトルストイが、立派なスピーチの録音よりも
美しい音楽に聞き惚れる事を知っている。
夫婦してニワトリの鳴き真似をしながら笑い転げる姿なんて
恋する子どもみたいに無邪気で幸せそうじゃないか。
トルストイ主義を頑なに守ろうとしながら、『愛してる』
という説明不能の情熱に任せて突っ走るワレンティンも然り。
映画『マリー・アントワネット』のサントラに収録されている
『Fool Rush In』の歌詞を思い出した。
“愚か者は賢い人間が絶対に行かないような所へ突っ走ってく
けど賢い人間は絶対恋になんて落ちない
そんな連中に何が分かるって言うの?
あなたと出会った時に、人生が始まったと私は感じたの”
ニワトリみたいに突っ走りたくなる(?)素敵な映画でした。
<2010/11/27観賞>
老いてもなおLOVE & HATEを貫く、可愛い“悪妻”の純粋な愛
クリストファー・プラマーとヘレン・ミレンという、
英国の名優ふたりがトルストイ夫妻を演じる本作。
観る前は、静かで穏やかな「老人映画」を想像していました。
が!!!
まさか、こんなに激しいとは~~~!!
いや、私がトルストイについての知識が乏しすぎたからいけないのです…。
ちょっとでもトルストイについて知識があれば、
晩年のトルストイが思想活動に没頭し、
そしてそんな夫を罵倒し続けた妻ソフィアは、
世界三大悪妻の一人として悪名高いというのは周知の事実でしょう。
しかし、ここで描かれるソフィアは、ただの悪妻ではありません。
むしろ、いつまでも夫を愛し続ける、少女のような可愛い女性。
ま、思いが強すぎて激しすぎる…というのは事実ですけが、、、
そしてトルストイも、潔癖で四角四面な人格者などではなく、
むしろ遊び好きな、話のわかる曲者のじーさん。
ソフィアは、そんな楽しくて遊び人の彼を愛していたのに、
なぜか神のように崇められてしまう夫を
「そんなのちがーーーーーう!!!」と全力で歯向かっていたように見えました。
それは、単に「そんなの間違っている」という思いもあったでしょうし、
単に「自分から離れてしまうのが寂しい」という
ワガママからくる思いもあったでしょう。
ただ、この作品を見ている限り、
トルストイを崇めていた取り巻き(実の娘も含めて)のほうが
計算高く「トルストイを利用しよう」としているように見え、
ソフィアのほうがずっと純粋に夫を想っているように見えます。
トルストイは結局、最後はソフィアのもとを離れて
家を出てしまうのですが、
それにしても、自分の信念のためというよりは、
売り言葉に買い言葉とゆうか
じーさんの癇癪とゆう感じ、、、
まさにLove & Hateのお手本のような二人です。
それでもやはり、息を引き取る間際に呼ぶのはやっぱりソフィア。
本当に信じて、愛していたのはソフィアだけだったのです。
こんな年をとってまで、ここまで激しく愛し続けるなんて、
辛く苦しいけれど、なんてチャーミングで素晴らしいんだろうと
心を打たれ、憧れました。
トルストイの本当の理想とは・・・?
トルストイが掲げる思想は決して四角四面なものではなく、自由奔放な考えの上に立っている。ところが美的な理想の部分だけが取り上げられ、弟子のウラジミールに代表されるように、いつしかトルストイを神のごとく崇拝し、屈折したかたちで独り歩きしてしまった。トルストイが顔に止まった小虫を叩き潰したことも、回りに口止めするほどの異常さだ。
自分の作品の権利まで放棄するトルストイの行動は彼の本意だったのか、この作品を観ているとトルストイ自身が大きなうねりに巻き込まれているような気がする。
遺書を書かせようとするウラジミールを敵視し、トルストイの愛をいまいちど勝ち取ろうとするソフィアは、ときに荒々しく、ときに優しく、また可愛い女であろうとする。愛されているのは自分であり、トルストイに必要なのは自分だけという絶対の自信も持つソフィアにはヘレン・ミレン以外考えられない。
三つ巴の関係の中に何も知らずに入ってきた助手ワレンチンはもうひとりの主役と言っていい。少しずつそれぞれの立場を理解し始めた純朴な青年は、渦巻く策略の中で何を信じればいいのか、誰に与したらいいのか大いに迷い翻弄される。
そんな彼に自由な愛とその考え方を突きつけるのがマーシャだ。物事に囚われず純粋に愛に生きる考え方は、ある意味、彼女がトルストイの理想主義をいちばん正しく継承しているといえる。
82才にしてトルストイは家を飛び出してしまう。自分を取り巻く環境や陰謀にうんざりした結果だ。
あてもなく小駅アスターポヴォ駅に辿り着く。
まもなく終わりを告げる愛と、新しく始まったばかりの愛、ふたつの愛を通してトルストイとソフィアの関係を知る手掛かりを得た。
p.s. エンドロールに投影される当時の映写フィルム。本人と役者があまりに似ていることに驚く。とくに、弟子のウラジミールと思われる人物とポール・ジアマッティはそっくりだ。
ソフィアは本当に悪妻か?
ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻ソフィア。以上が世界三大悪妻だ。ロシアのみならず世界的な文豪トルストイは、ソフィアのあまりの仕打ちに耐えかねて、80歳を過ぎて家出をし、自宅から遠く離れたアスターポボォ駅(現トルストイ駅)で客死した。これがソフィアを悪妻とする「史実」である。しかし「真実」はどうか?
本作は史実を基としたフィクションであるため、どこまでが「真実」かは解らない。しかし、ソフィアが本当の悪妻であったのなら、何故トルストイは50年近くこの妻と連れ添い、13人もの子供をもうけたのか?それ以上に、妻の協力なくしては『戦争と平和』も『アンナ・カレーニナ』も出版されなかったに違いないのだ。
トルストイは文豪であると同時に、“トルストイ主義”と呼ばれる自然思想を提唱した思想家でもあった。人道主義、戦争反対・非暴力、自然主義、土地私有化・農奴解放を唱えたトルストイ主義は、若者の熱狂的な支持を集めた。トルストイだけではこの思想は単なる”理想”で終わっていたろう。しかし、実際に行動できる若者たちによって、トルストイ主義は「形」をなし、トルストイ本人は神格化された。
トルストイと妻ソフィアの諍いは、熱狂的なトルストイ主義者たちによってもたらされたもので、50年近く連れ添った夫婦は実は深く愛し合っている。ただソフィアが少し感情的な性格だったのが災いしただけだ。確かにこの夫婦の価値観は大きく違う。しかし、トルストイの弟子たちの存在がなかったら、これほどまでの争いにはならなかったはずだ。弟子たちは「神」であるトルストイを主義の異なる卑俗な女の「夫」であることを許さない。妻は人類の幸福よりも家族の幸福を願い、家族である「夫」を奪い取った弟子たちを許さない。ここには「主義」以上に互いの「嫉妬」があるにちがいない。夢見る「夫」は、現実に疲れ「家出」という逃避に走る。これこそトルストイが「神」ではなく、たんなる理想主義者(夢見る人)であることの裏付けだ。弟子たち任せではなく本人が現実と向き合えていたら、妻との和解も簡単だったろう。えてして作家というものはそういうものだ。浮世離れしているからこその文豪だろう。しかし女は現実的だ。妻が家族の利益を主張するのは当然の権利なのだ。ただ、エキセントリックな性格ゆえ、時に醜態をさらし、夫や弟子たちの顰蹙を買う。
家を出た年老いた夫が、小さな駅で病に倒れた時、弟子たちは妻が看取ることを拒む。混濁した意識の中で妻の名を呼ぶトルストイのちぢかんだ姿を見ても、なおも主義を通そうとうする弟子に向かって、私は「主義主張なんてクソくらえだ!」と大声で叫びたくなった。自由を提唱するトルストイ主義者が、その主義にとらわれて、「不自由」になっていることに何故気づかないのか?しかし最後は「主義」よりも「愛」が勝つ。文豪は妻の見守る中静かに息を引き取る・・・。
さて、ソフィアが本当に悪妻かどうか。その答えは、この臨終の場ではなくラストシーンにあると思う。夫の棺と共に、静かに汽車で去る夫人に、集まった群集が声をかけるのだ。「奥さん、早く元気になってください」と・・・。真実を知るのは、主義主張に囚われなず、純粋にトルストイを愛した人々なのだ・・・。
トルストイアンにとっては涙、涙
映画「終着駅 トルストイの死の謎」原題「THE LAST STATION」を観た。
作品:独 英 露 3カ国共同製作
監督:マイケル ホフマン
原作:ジェイ パリーニ
キャスト
トルストイ:クリストファー プラマー
妻ソフィア:ヘレン ミレン
娘サーシャ:アン マリーダフ
弟子チェルトコフ:ポール ジアマテイ
秘書ワレンチン:ジェームス マカウェイ
マーシャ:ケリー コンドン
2010年アカデミー助演男優賞ノミネイト:クリストファー プラマ
主演女優賞ノミネイト:ヘレン ミレン
レオ トルストイの「戦争と平和」、「アンナカレーニナ」を 若い日に読んで、影響を受けた人は 多いだろう。ロシアの文豪トルストイは「われわれは他人の為に生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである。」と 言った。
彼の人道主義と、徹底した非暴力と自己犠牲の思想に共鳴したトルストイアン{トルストイ信奉者}は 彼の理想とする生き方を追求し その動きは運動となって ロシアだけでなく世界中に影響を与えた。
晩年のトルストイは ヤースナヤ ポリャーニャーの生家に住まい、近くの農場では、トルストイアンたちが トルストイの思想を生活に取り込んで自給自足のコミュニテイーを作っていた。そのコミュニテイーを馬で訪ねて行き そこで生まれた子供達を祝福し、和やかな田舎の暮らしを トルストイは楽しんでいた。
世界に名を知られたトルストイの一挙一動は 新聞社によって報道されていたが、厳しいツアーリズムの政権下、彼の一番弟子チェルトコフは 官憲によってモスクワで自宅軟禁され自由を奪われていた。彼は若い秘書ワレンチンをトルストイのもとに、送り込む。
82歳のトルストイには 死が近ずいている。彼は遺産も著作権もみなロシアの国民のものに残したいという意志を持っていた。しかしそれを実行するためには 新たな遺書にそういった意志を明記する必要があった。新しい遺書を作らなければ すべてのトルストイの遺産は妻のものになってしまう。それで 自由を拘束されているチェルトコフは 自分の息のかかった秘書ワレンチンをトルストイのもとに送り込んだわけだった。
画面が美しい。
趣味の良い家具、調度品。サモワールや優雅なお茶のセットやテーブル。庭園での夏の午後のお茶。美しい印象画を観ているようだ。
そして、衣装の素晴らしさ。妻ソフィア演じるヘレン ミレンが シーンが変わるごとに美しい19世紀の貴族女性の服を纏って現れる。凝った刺繍の立て襟、裾の長いドレス、美しい帽子いレースの日傘。やがて貴族階級が民衆の力で引き摺り下ろされることを予兆するかのような哀しいほどの華麗さだ。
トルストイアンたちのコミュニテイーで、自給自足の生活に挑戦する知的女性ミーシャら、自由を求める人々の農婦姿と対照的だ。
またトルストイが晩餐と旅行に出る時以外は いつも百姓服なのも、印象的だ。古い習慣に捉われず 飾らず 実直な作家の生きる姿が胸をうつ。
映画の中で はじめてトルストイが画面に登場する場面が感動的だ。秘書のワレンコフがモスクワから長旅でやっと 彼の家にたどり着く。と、しわくちゃな立て襟シャツにブーツといった農夫姿に 笑顔いっぱいで現れるトルストイの魅力的なこと。弟子のチェルトコフが送り込んだ秘書ならば 大歓迎というムードで 若い秘書を抱きしめて 「僕のことは知っているでしょう。君のことを聞かせてくれ。」と好々爺の顔で覗き込むトルストイに、秘書は感激して言葉を失って涙ぐむ。 良いシーンだ。
また秘書ワレンチンが トルストイの妻ソフィアに始めて会うシーン。「あなたは”戦争と平和”を読んだ?」と問われて、彼は「勿論です。何度も。」と答えて、ソフィアに睨まれ、「い、いえ、2回読みました。」と答え、ふたりで微笑する そんなシーンも良い。何度も何度も 簡単に読み返せるような小説ではないものね。
そして、ソフィアは トルストイがこれを書いている時 わたしが清書してあげたのよ、小説の中の女性の会話ではわたしが沢山アドヴァイスしたのよ、だから”戦争と平和”は、わたしたち二人で作ったようなものなのよ、と言ってきかせる。そんなソフィアの言葉に嘘はないだろう。本当に仲の良い夫婦だったのだろう。
しかし、トルストイは 愛人をもつ。自由に羽ばたいて因習や拘束を超えて創造を続ける。嫉妬に狂いトルストイを独り占めしたい妻の心情などおかまいなしだ。トルストイは愛人との性交渉、ベッドの中のことまで隠すことなく秘書のワレンチンに語って聞かせる。若いワレンチンには恋愛経験がないので、理解できずにいて、トルストイに笑われる。
そんなワレンチンも コミュニテイーのなかで生活している女性 ミーシャに出会い、恋に陥る。はじめて出合った愛に有頂天のワレンチン。しかし、ミーシャは刹那の感情よりも、自由を求めて止まない女だ。習慣からの自由、拘束からの自由、婚姻からの自由、を求めてワレンチンのもとを去る。
弟子のチェルトコフが自由になりトルストイのもとに帰ってきた。
遺言の作成が急がれる。時間がない。トルストイの偉業をロシア国民に残さなければならない。
一方、妻のソフィアは仮病を使ったり 様々な方法で夫の目を自分に向けさせて、遺言状作成の妨害をする。困難を乗り越えて チェルトコフはトルストイを家から離れた森に呼び出して遺言にサインをさせる。それを知って 狂ったように夫を責めるソフィア、、、安住の場を失ったトルストイは 妻も家も捨てて旅に出る。
しかし、高齢に無理がたたり旅の途中、ロシア南部のアスターポポ駅で肺炎を患って、彼は倒れる。心の平静を求めて妻や家を捨て旅に出た はずのトルストイが 熱にうかされて帰っていく場は、ソフィアのもとだ。ソフィアの腕に抱かれてトルストイはその人生という長い旅を終える。
わがままで嫉妬深く 独占欲のかたまりのようだったソフィアが 長い生涯を共に連れ添った夫が息を引き取る間近に、聴こえないトルストイの言葉を聞きとり、他の誰にもできない会話を交わし 優しく見送ってやった。毅然としたソフィアの顔が光を放つ聖母の顔になる。美しい瞬間だ。
総じて原作「トルストイ死の謎」より ずっと映画の方がよくできている。トルストイを愛する人々の心を裏切らない。
トルストイを誰よりも愛していながら 真の彼の理想を決して理解することのなかった妻ソフィアと 芸術家として自由を求めるトルストイとの軋轢がよく描かれている。老練のふたりの俳優の演技がみごとだ。
対する 若々しいミーシャの新しい時代を切り開こうとする女の知性と行動力、ケリー コンドン演じるミーシャが きらきら輝いている。
ミーシャの「自由」がまったく理解できなくて 傷つくワレンチン、、、内気で チェルトコフと、ソフィアとの間で どちらに組することも出来ず 苦しむワレンチンを 今がシュンのジェームス マカォイが演じていて適役だ。この映画、ヘレン ミレンにしても、クリストファー プラマーにしても、英国俳優のなかで一番うまい役者だけを引き抜いて集めてきたみたい。
とても良い映画で、これを機会にトルストイが好きになって読んでみる人も多いかもしれない。トルストイアンはハンカチを持って行ったほうが良い。
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