あしたのジョー : インタビュー
曽利監督を口説き、段平の造形が完成した時点で、香川にとっての役づくりは完結していたという。むしろ心血を注いだのが、山下と伊勢谷がいかにボクサーとしての動きができるか。テーブルに置いてある作品資料の2人の写真をトントンとたたきながら、その熱血指導ぶりを披露する。
「ウチにあるビデオやDVDをひっくり返し、試合のダイジェストを全部編集して、『これ、明日までに見ておいて』みたいな。自分のことなんてどうでもいい。もっと言えば、丈と力石もどうでもいいんですよ。2人が『今のいい動きだったな』と言えるものを作りだしたい。彼らはボクシングをやったことがないのに、僕の要求は30何年見てきた中の最高の動きを狙っているから、つらかったと思います。監督がOKと言っても、僕がOKを出さないんだから。監督もいやだったと思います。この人、本当にうるさいなって(笑)」
山下と伊勢谷も、トレーニングと減量で体脂肪率4%というアスリートの体を作り上げてきたが、決して満足することはない。自らの出番がないときも常に現場に張りつき、連日、トレーナーの梅津正彦氏と協議を重ねながら、1カットずつ動きを確認する。その際、頭をフル回転させ、実際にあった試合のデータを“頭の中のウィキペディア”から引き出して付きっきり指導する徹底ぶり。シャドウを交えながら動きを説明する、熱を帯びた話しぶりからも、自然に山下との師弟関係が構築されたことがうかがえる。
「僕の中には、ボクシングのフィルターが40枚くらい入っているから、何を見ても満足しないです。本当のボクサーを連れてこないと(笑)。そのフィルターを抜いたら、2人はよくやったと思います。もう付きっきりで、動きに対してこうやれ、ああやれと言って全部見ているから。山下くんは頑張ったと思います。ボクシングとはそれほど折り合いが良くなかったから、苦しいところを歩いてきたと思う。顔つきも違ってきたし、いろいろなものが変わったんじゃないかな。振り返ってみれば、それこそが丹下段平の姿ですよね」
減量に対しても、妥協はしない。「あしたのジョー」の撮影に入る前、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で正岡子規を演じた際、結核を患い衰弱していく設定のため5カ月の食事制限やランニングで体重を17キロ落とした経験があるからだ。特に2階級の減量を強いられた伊勢谷には、相当なプレッシャーとしてのしかかったようだ。
「伊勢谷さんも、ノーとは言えないですよ。最後は骨だけになっていましたし、いら立ちがものすごかったから、僕自身もよく分かる。僕は死ぬ役だから、ただ食べないだけで、おなかがすいたら走って忘れるということだけをやっていましたけれど、彼は食べられないうえにトレーニングをしなきゃいけないから大変。しかも、水分まで止めていたので、そりゃあ唇も紫になりますよ。伊勢谷さんは力石をやるという重みを肌で感じている世代だから、ちゃんとやらなきゃダメだというのはすごく感じていたと思います」
30余年で培ったノウハウをすべて注入し、あらゆる角度から「最高の動き」を追求して1カットずつ積み重ねていったボクシング・シーン。最終的に使うかどうかの判断は監督にゆだねるという、俳優としての線引きをしっかりとしたうえで、「この映画は、僕にとっては映画ではない」と言い切る。
「そういう特殊な映画って、時々あるんです。『劒岳 点の記』を撮ったときは、カメラが回っているかなんてどうでもよくて、ただ山に登って生きて帰ってきたという人生の経験であって映画ではない。これも、今まで見てきたボクシングを、2人を使ってどう見せるか一生懸命周りから尽力した、ボクシングをどう見せるかというショーに参加したという記憶です」
ただ、ボクシングと俳優業の初めての邂逅(かいこう)には、充足感があったと強調する。そして、頭の中には早くも実写版「あしたのジョー2」の構想が芽生えているそうで、ひときわ目が輝く。“燃えつき症候群”の心配はなさそうだ。
「僕の中では、カルロス・リベラとホセ・メンドーサのキャスティングは決まっています。メンドーサは、メキシコまで行って元世界チャンピオンを連れてくるし、ハリマオはナインティナインの岡村(隆史)くんにやってもらいたい。バカだよね、そんなこと考えるなんて。でも、2があったら、今度は僕が真っ白になるね(笑)」
絵空事だとは分かりつつも、もしかしたらと思わせる説得力が香川の言葉にはある。自ら丈を演じてはと水を向けてみると、「(オファーが)きたら死ぬ気でやるけれど、さすがに動けない。人には相応というものがあるから」と辞退したが、まんざらでもなさそう。人生の4分の3をささげたボクシングを俳優業に生かしたことで、香川の戦うリングはますます広がりを見せそうだ。