キャタピラーのレビュー・感想・評価
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「お国にご奉公出来ない」とは「生産性のない人間」のこと
戦場で両手足を失くし、口もきけぬ体で帰って来た夫は、寝て食って妻と「やる」だけの生き物・イモムシ(catapillar) になってしまいました。しかし、戦時下では妻は「軍神の妻」として黙々と彼の世話をするしかありません。村人は無責任にそれを称賛します。
彼を戦争の被害者と呼ぶならば加害者は一体誰なのでしょう。敵兵なのか、自分の上官なのか、敵国なのか、日本国なのか。しかし本作は、彼こそが加害者でもあった事から目を背けようとしません。臓腑を抉られる強烈な主張と描写。これが戦争なのです。
作中の「お国にご奉公出来ない」は、そのまま現在の「生産性のない人間」に、「軍神の妻ですから」は「自助」・公助・共助に、時代におもねる村人の言葉はSNS世界にそのまま繋がっています。イモムシの時代は近未来にすぐ続いているのです。
両手足を失って戦場から送り返された男と言うと、『ジョニーは戦場へ行った』(1971)を思い出しますが、あの映画には多少なりともあった抒情性が本作には一切なく、戦争の愚劣さをグイグイ押し付けられるだけでした。キツい。
作品終盤の広島に湧き上がるキノコ雲のシーンを『オッペンハイマー』を観た日に目にするのはやっぱり辛かったなぁ。
手と足を もいだ丸太にして帰へし
石川県の鶴彬 つる・あきら
川柳作家。享年29歳。獄死。
手と足を もいだ丸太にして帰へし
この川柳でもって、戦時中、彼は警察に連行されて、獄死しました。
容疑は治安維持法違反の思想犯。
ベッドに縛り付けられておりましたが、拷問等は行われず赤痢による死亡ということになっております。
東京・中野区の野方署でした。
若松監督は、この句にインスパイアされて、たぶん本作を撮りましたね。
我が家に傷痍軍人会のおじさんが二人来て、
白装束で玄関に立ってアコーディオンを弾きました。
物悲しい奏曲が終わったときに、うちの母がおじさんたちに言った言葉が忘れられません。
「ご苦労さまでしたとの一言も言わないんですか?」
「いや。あなた方の体をこんなにした国と闘いなさい」
そう言って母は台所に走り、大きなおにぎりを彼らに持たせました。
国を挙げての 「軍神ご っこ」を痛烈に描ききった究極の反戦映画
戦争中に大陸(満州あたり)で女性に乱暴し殺した若い日本兵の久蔵には、帰りを待つ妻のシゲ子がいた。
狂った戦場の実態。
戦争することが立派という価値観と同調圧力、命令した者も従った者達も狂っていた。
久蔵は四肢と声帯と聴力を失って帰還する。
藁葺き屋根の家に住む夫婦(久蔵とシゲ子)にとっては、長く苦しい試練の日々が始まるのであった。
終戦(昭和20年8月)までの夫婦の性事情に焦点が絞られている。
シゲ子に扮する寺島さんはノーメイクで出演、ヌードも披露する。
エンディングテーマ『死んだ女の子』(元ちとせ)が戦争の歌なのでマッチする。
低予算で僅か12日間で撮影した伝説の若松孝二監督オリジナル作品。
この作品、気持ち悪いとかあまり良い噂は聞いてなかったが個人的には大...
この作品、気持ち悪いとかあまり良い噂は聞いてなかったが個人的には大丈夫でした。もちろん終始暗く重い雰囲気でしたが伝わるものもしっかりありました。
寺島しのぶさんの体当たりの演技と彼女にしか持ってないあの独特のオーラ、寂しげな表情の中にある艶さがこの役にとても合っていて素晴らしいと思いました。
大西信満さんも負けてなかったですよ!
喋る事が出来ない役でしたが目力と顔ほぼ半分の表情だけでも凄い迫力でした。
作品全体の評価はとても難しいですが(捉え方が難しいと言いましょうか)
このお二人の演技には満点を差し上げたいです。
軍神さま
雑に思う。ラストの戦争を集めてなんでもかんでも乗っけて、元ちとせの歌に投げてしまって始末に負えない。作りのチープさは我慢できるが、原爆の話に着地するような話か?
やたらと濡れ場シーンが多いが、悪趣味に思えるほどの数である。ここまで描くのならば、もう少し変化があっても良さそうだし、性欲、特に女性を描けているように思えなかった。
【第二次世界大戦中に多大なる過ちを犯した国と、その国の命により戦地に赴いたある男への強烈すぎる因果応報を描いた映画。】
ー 故、若松監督は今作を製作するにあたり、どの様なメッセージを伝えようと思ったのだろうか。反戦映画のようにも見えるし、その要素もあったかはと思うが、私は人間の根源的な欲求の奥深さと愚かさを描いた作品ではないかと思った。ー
◆感想
<今作の着想の一つに、江戸川乱歩の”芋虫”がある事を知っている上で記す。>
・村の期待を担って戦地に赴いた黒川久蔵(大西信満:若松組の常連とは言え、良くこの役を受けたものだと思う。)は、中国に赴き、彼の地の女性に非道なる行為をするシーンが冒頭に描かれる。
そして、その因果応報により、四肢と言葉を失い、顔にはケロイドを負った人間とは思えない姿で久蔵は村に戻る。”軍神様”という称号と、”3つの勲章”を持って・・。
ー 妻のシゲ子(寺島しのぶ)の最初の驚愕の反応。
だが、徐々に何もできない久蔵に対し、サディスティックと言っても良い接し方に移行して行く姿を演じる、寺島しのぶさんの冷徹な目と振る舞いが怖すぎる。
且つては、自分を虐げていた夫に対して、ジワリジワリと主導権を握って行く姿。ー
・シゲ子が、夫の根源的な欲求に、積極的に”ご褒美”と言いながら応える姿と、四肢を失った夫に軍服を着せ、見世物のようにリヤカーに乗せて村内を連れまわす姿。
ー 強烈すぎる、シゲ子の夫に対する復讐である。
”3つの勲章”を、割烹着につけて。
そして、昭和天皇、皇后の写真と軍神の記事と、勲章のアップが度々映し出される。ー
・敗戦を迎え、喜ぶ知能の足りないクマ(篠原勝之)と、シゲ子たち。
一方、久蔵は芋虫の様に這いながら、池に向かい水面に映ったケロイド状の自分の顔を見て・・。
<ラスト、敗戦一直線の旧日本帝國が壊滅していくシーンと、玉音放送。
戦犯たちが処刑されるシーン。
そして、流れる元ちとせの『死んだ女の子』
この曲は、広島の原爆で亡くなった子供達に捧げた坂本龍一プロデュースの苛烈な曲である。
この映画は反戦映画なのであろうか・・。
嫌、違うな。
この作品は愚かしき国と、その命に盲目的に従い、敵地の女性達に非道なる行為を行った男達に対しての、強烈すぎる因果応報を描いた映画である。
そして、その報いを受けてしまった無辜なる女性や子供達への鎮魂歌なのである。>
軍神という歪さ
個人評価:3.0
とても乱暴で差別的なタイトルと感じ、若松作品としては、それを上回るメッセージ性を感じられなかった。軍神とあの姿と実際の過去との対比。人間が神として扱われる戦時下の状況。軍神という歪なモノを描いていると感じる。
芋虫ごろごろ~軍神さまごろごろ~♪
新聞の一面にもでかでかと“生ける軍神”として掲載され、村人からも軍神として崇められ、軍神の妻としてお国に奉公するのだという義務感。食べて寝て、そして性欲処理のためにシゲ子は身を削る。田んぼを耕し、織物をし、食事、下のの世話の辛い日々が続くのだ。時には大八車に軍神さまを乗せて村を歩く。召集令状がきても狂喜する人々。死んで灰になって戻ってきた家はまだまし。生きた屍を戻された人はどうすればいいんだ?
口も聞けない、耳も聞こえない芋虫。最初は殺して自分も後を追って死のうと考えたシゲ子だったが、色んな思いがあったのだろう。せっせと世話をして、世話をすることで自分を見出そうとしたのだろうか。村人は軍神さまのためにと米や食料を分けてくれるし、外に出たら皆合掌し拝んでくれるのだ。
若松孝二ならではの反戦映画。しかも障害を受けたことへの悲しみだけではないのだ。久蔵(大西)は中国の戦地で女性をレイプしたことへの罪悪感が次第に膨らみ、毎日のようにシゲ子の体を求めていたのに勃起しなくなってゆく。冒頭でのそのレイプシーンが強烈な芋虫映像のために忘れてしまいそうだったが、フラッシュバック効果によって、その彼の罪も思い出させる趣向だったのだ。軍神?敵国の女をレイプすることが崇められるのか?夫婦生活の性欲を表現するとともに、そんな戦争の非情さをも描くのだ。
物語途中、戦争のドキュメントフィルムとともに皇軍が連勝し続けているというニューステロップが流れるのだが、映像は真逆の東京大空襲や米軍が沖縄上陸するというものを流す。当時の大本営による情報操作、マインドコントロールがいかにいい加減なものだったかと強烈な皮肉をもって表現しているのだ。
もうひとつ、暗いままの映像にするのではなく、赤い着物を着た知恵遅れのおっさん(篠原勝之)を入れることで色彩面で退屈しないようにしている。これがまた面白い。
戦争により四肢を失い帰還した夫、周囲からは軍神様と崇められる。 し...
戦争により四肢を失い帰還した夫、周囲からは軍神様と崇められる。
しかしこの夫、とんだ軍神様だ!食欲と性欲は人並み以上。まあそれしか楽しみがないのかもしれないが。
献身的に支えた妻が途中から逆にイニシアチブを取る壊れっぷりが良かった。
反戦をテーマとした映画らしいが、何か、どこか違うと思う。
戦争から戻ってきた後の話。 手足無くなり、耳も聞こえず、しゃべるこ...
戦争から戻ってきた後の話。
手足無くなり、耳も聞こえず、しゃべることもできず、三重苦とも四重苦ともなった夫が戦地から英雄となって戻って来る。戦争体験を語る方をTVで見るが、そのような五体満足な状態で戻ってこれるのはごくごく少数でしかないのだろうな。
英雄とは名ばかりで、何もできないので食事・トイレ・セックスすべてにおいて介助してあげないといけない。
お互いの葛藤が痛いほど伝わってくる。英雄とは呼ばれているものの、外に出て大衆の目にさらされるのは自分のプライドがどうしても許さないあたりと、こんな姿になった夫を見て面倒みながらもストレスや惨めさから夫本人に辛くあたってしまうあたり。そのせめぎ合いは見ているこちらが圧倒される。
キャタピラー(芋虫)のようにしか前に進めない夫。戦争でトラウマになったことから、最後は自分を責めるあまり、自死という選択肢を選ぶ。
人間の欲望は睡眠欲・食欲・性欲というが、その欲望のはけ口になってしまう妻。世間では神の域まで持ち上げられ、英雄という闇を支える辛さ。その諸悪の根源は戦争である。お国のためは、人を破滅させることでしかない。
エンディングの元ちとせ
原作の江戸川乱歩の「芋虫」よりも
原作を丸尾末広が漫画にした「芋虫」の方に
似てるなって思いました。
エンディングの元ちとせの歌がとても怖かった。人間はやっぱり何を言っても死に方な気がしました。
うーん……
この映画単品でという話だと、反戦映画ですね、という感想になるだけなのだけれど、乱歩の「芋虫」がベースとなると、ちょっと辛い。原作には反戦色が無く、乱歩自身がそういう目で見られることを嫌っていたといういきさつがあります。
金銭的な問題でクレジットから「芋虫」を外したということですが、設定だけを借りて物語の本質を変えてしまうのは、もう別物だと思うので、外されていてよかったと感じてしまいます。
♪軍神様ご〜ろごろ
寺島しのぶ演じるシゲ子の夫・久蔵は、戦争で両腕両足を失い、顔面に火傷を負い、耳も口も不自由な体で還って来る。お国に奉仕し、村の者から“軍神様”と崇められる。
シゲ子は軍神様の妻の義務として、懸命に世話をする。
しかし、それは虚像。
不自由な体になりながらも、久蔵は食欲と性欲を貪り続ける。
やがてシゲ子は苛立ちを久蔵にぶつけ始める。
軍神様としての重圧、兵役中に犯した罪により、久蔵ももがき苦しむ。
時に生々しく、時に激しく、寺島しのぶと大西信満が体現。
戦争の残酷さと醜さを若松孝二が怖ろしく描く。
別の作品のレビューでも書いたが、今戦争映画を作る一番の意義は反戦映画である事。
リアルな戦場シーンや英雄譚など要らない。
苦しむ庶民の姿を通して、鮮烈に反戦を訴えた。
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