キャタピラーのレビュー・感想・評価
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人間関係の希薄さと濃密さ。
すごいズッシリきた。久々。
寺島しのぶは、ヘルタースケルターを観たとき「ずいぶんどぎつい役やる女優さんだなぁ」と思って、以来なんとなく苦手だったけど、これを見たら迫真の演技すぎて、もう恐れ多くて苦手とか言えない。
変わり果てた姿で戦地から帰ってきた夫を初めて見たときの困惑。
誰も助けてくれない孤独な日々がずっと続いていくことに対する絶望。
夫を憎み、愛し、軽蔑し、哀れみ、感情の起伏がどんどん大きくなっていき、次第に理性では抑えられなくなっていく。
それでも夫のそばにい続ける以外の選択肢がない、愚かなまでの強さと、どうすることもできない閉塞感。
「千年の愉楽」を見たときの閉塞感と同じ印象を受けたよ。
絶対そうなるって結末はわかりきってるのに、何故逃げ出さない!っていうね。
周囲の徹底的な見て見ぬ振りも、マジ不気味、マジ不快。
現代の介護やシングルマザーの育児も似たように苦しくて孤独な状況なんだろうなぁ。
「この日々がいつまで続くんだろう」っていう先の見えない不安と焦燥感に、いつの間にか蝕まれて壊れていく。
周りも、気付いてはいるし、どうにかしてあげたいと思ってはいるけれど、それを行動に移すに足る余裕も思いやりはない。
外国人がよく「日本人は優しい」と言うけれど、完全なる他者と完全なる身内には優しくても、他者と身内の中間に位置するような中途半端な「知り合い」には、そうでもないよね。
そう考えてみると、戦時中の映画という感じがしない。
しかし一方で、最近の若者は「公開プロポーズ」とか言って友達100人巻き込んで手の込んだサプライズを実行したりする。
そんな関係を築けた友人がいる人間も、この世界にはいるんだよな。
エンディングの元ちとせ
原作の江戸川乱歩の「芋虫」よりも
原作を丸尾末広が漫画にした「芋虫」の方に
似てるなって思いました。
エンディングの元ちとせの歌がとても怖かった。人間はやっぱり何を言っても死に方な気がしました。
うーん……
この映画単品でという話だと、反戦映画ですね、という感想になるだけなのだけれど、乱歩の「芋虫」がベースとなると、ちょっと辛い。原作には反戦色が無く、乱歩自身がそういう目で見られることを嫌っていたといういきさつがあります。
金銭的な問題でクレジットから「芋虫」を外したということですが、設定だけを借りて物語の本質を変えてしまうのは、もう別物だと思うので、外されていてよかったと感じてしまいます。
♪軍神様ご〜ろごろ
寺島しのぶ演じるシゲ子の夫・久蔵は、戦争で両腕両足を失い、顔面に火傷を負い、耳も口も不自由な体で還って来る。お国に奉仕し、村の者から“軍神様”と崇められる。
シゲ子は軍神様の妻の義務として、懸命に世話をする。
しかし、それは虚像。
不自由な体になりながらも、久蔵は食欲と性欲を貪り続ける。
やがてシゲ子は苛立ちを久蔵にぶつけ始める。
軍神様としての重圧、兵役中に犯した罪により、久蔵ももがき苦しむ。
時に生々しく、時に激しく、寺島しのぶと大西信満が体現。
戦争の残酷さと醜さを若松孝二が怖ろしく描く。
別の作品のレビューでも書いたが、今戦争映画を作る一番の意義は反戦映画である事。
リアルな戦場シーンや英雄譚など要らない。
苦しむ庶民の姿を通して、鮮烈に反戦を訴えた。
映画芸術の難しさが分かる一作
映像で語るという映画の本質に於いては非常に優れている。
だが、これもまた映画の難しいところ、語りすぎてもいけないのである。
その点でこの作品は語りすぎている。
舞台や状況設定は非常に良いもの(まさに日本人にしか描けないテーマ)を持っているだけに非常に残念である。
戦地で強かんをしていて四肢を失い、帰還しても欲望にまみれている男を軍神と崇め、反戦の信念を貫いている男や他人を気遣い食べ物を分け与える男をバカだ、非国民だと決めつける。 日本軍の輝かしい戦歴のアナウンスと共に映し出される悲惨な現実。
狂った時代、戦争の生み出す"狂気"というこの作品の主題が例えセリフが1つも無いとしても理解出来るほど丁寧に描かれる。
しかし、この丁寧さこそがこの作品の奥深さを奪った、たった数十分で作品が理解出来てしまうようにした原因なのだ。
衣食住足りて礼節を知る・貧すれば鈍す・
衣食住足りて礼節を知る・貧すれば鈍す・戦死の恐怖に怯え続ける極限状態の戦場の兵士は戦地で何に救いを求めるのだろうか?
人間と動物は紙一重・・・
戦争映画の大半の作品は、戦争反対と言う願いから制作されていると、戦争犯罪をテーマにする事が多い。
或いは、過去の戦争は、歴史の流れの中では、止められなかった負の遺産で、否定するものではないと言う、美談を探してきて描いている作品もある。
しかし、どちらも、どちらって言う思いで、只、哀しくて、どの戦争映画も気が滅入るのだ。
この久蔵も田舎育ちで、きっと戦争さえ無ければ、農業を生業として生涯を閉じていただろうに・・・
戦地の現実を知らない、若い田舎の純情青年が、ポンと戦地に放り込まれると、常に何時
殺されるか分からない恐怖にさらされる。
そして戦地ではきっと、日々餓えと、厳しい規律でガンジガラメ!軍隊では、DVも日常茶飯事だろうし、家族から孤立している淋しさもある、第二次世界大戦の末期は、今で数えるなら16、17歳位の少年も、戦地に送り出される。
当時は、国民全員が、軍国教育を受け洗脳状態にあったとしても、17歳や20代で、御国の為に死ねと言われても、建前では納得していても、死を目の前にすると、動物的本能で死を回避したくもなるだろう・・・
決してレイプを肯定するのでは無いが、現実は残酷で有ると言うことか・・・
必ず戦争では、犯罪が付き物である、軍人ばかりでは無い。
一般の人々も、戦地には行かず、留守の家庭を護っていた人達の中でも、DVを行う人や食糧などの強奪もあっただろうし、久蔵の弟の様に弱体者に対しては、いじめや、差別も沢山あっただろう。
引き上げ者や、沖縄では、親が子供を殺すと言う集団自決と言う事件?犯罪もある。
それら、総ての犯罪の根底にあるのが、戦争と言う巨大な魔物だ。
人間には理性的で、精神力、自制心の強い人間もいれば、弱い人間もいる。様々である。
スティーブン・ダルドリー監督の『愛を読むひと』と言う素晴らしい作品があったが、この映画では、戦後ドイツの戦争裁判で、現在の倫理観だけで戦争当時の犯罪の批判をしてはいけないと言う下りが有ったと記憶する。
その時にその人がどう言う動機で犯罪を行ったのか、その理由を明確にする事、犯罪者の意思がどのように働いていたかを検証するものだった。
例えば、ある兵士が戦地で敵兵を殺す。その行為は正当防衛か、上官命令か、それとも仲間の兵士が殺された事への復讐をしただけなのか?同じ殺人行為でも、その加害者となった兵士が戦後その自分の犯した行為について、一生涯、人生を閉じるまで忘れずに抱え込む負の遺産だから、その動機は本当に大切であるし、例え裁判や、廻りには誤魔化す事が可能であったとしても、自分自身には嘘をつく事は出来ない。だから、戦後に帰国してから、家族の元に帰還しても、苦しみ続けて、元の生活が出来なくなり、麻薬に溺れたり、ホームレスへと転落してしまうケースが多い。
私が3歳頃、御寺の縁日などお祭りの日には、手足を失った兵士が物乞いをしているのを見た記憶がある。
戦争の時代を生きた人々にとっては、その生涯を終わらせる日が来るまでは、終戦出来ないのかも知れない、いや、被爆2世3世と子孫の人々も未だ未だ戦争が終わった平和な生活とは言えないだろう。
本当に、争いの無い、平和な社会を願って止まない!
今日の日本もその犠牲の上にあるのだ。一人一人が人生を大切にして暮して行きたいものだ。
寺島しのぶの体当たり演技も必見の価値有りですね。ベルリン映画祭主演女優賞獲得の貫録が映画で味わえます。彼女の、国防婦人に成りきった、あの表情は凄かった。
うーむー・・・
戦争映画にしてはなんかエッチなシーンばかり目に余り、私にはコンベンション向けの映画に思えました・・・なんかがっかり。ちゃんと最後までみれなかったなぁ。心をつかんでもらえませんでした。
ぶんどられたあたし、汚された貴方
「実録・連合赤軍」などの作品で知られる若松孝二監督が、寺島しのぶを主演に迎えて描く、人間ドラマ。
「戦争は、いけません」教科書やら説教で口を酸っぱくして連呼されても、実感として湧いてこない言葉である。しかし、この映画一本に向き合うだけで、観客は心底、その意味を知ることが出来るかもしれない。
戦争は、ぶんどる。そして、汚すものなのだ。
戦地から四肢を根こそぎ失って帰ってきた一人の男性。彼は日本国忠誠の象徴「軍神」として持ち上げられ、崇められるようになる。男性の妻は、変わり果てた夫の姿に困惑しつつ、その世話に日常を奪い去られていく。
その戦争は、何をぶんどっていったのか。物語は雄弁に語る。妻の、戦時中にあっても日々をやりくりしていく知恵と工夫、その活力をぶんどっていった。「軍神の妻」という厄介な地位に雁字搦めになり、「シゲ子」という女性のアイデンティティをぶんどっていった。それはそのまま、「シゲ子」という人間の変わり続ける未来を根こそぎぶんどったのだ。
その戦争は、何を汚したのか。物語は雄弁に語る。男性の、食欲と性欲という本能の持つ快楽と満足感を根底から汚していった。過去に、「シゲ子という女性」を愛し、一緒になったというささやかな幸せの記憶を、汚していった。そして、戦地で女性にした過ちが、自らの生きる意味をどす黒く汚してしまったのだ。
寺島、大西両者が演じ切った二人の人間はそのまま、日本が戦争でぶんどられ、汚された本質を生々しく、明確に提示する。理屈では分かっている戦いの悲劇。だが、ここまで分かりやすい例示を持って突きつけられると、もう「分かりません、そんな昔のこと」と目を背けることが出来ない。いや、許されない。
安易な好奇心で観賞すると、その力強くも観客に歴史に向き合う勇気を強制する姿勢に、強烈な力を持って心が張り倒される危険性を孕む。
それでも、この作品が世界で高い評価を得たことは素直に賞賛したい。これまで日本が巧妙に隠し、心の奥底に溜め込んできた戦争への率直な警告と視線が、日の目を見る第一歩となったはずだから。
痛々しい、胸が詰まる、忘れてしまいたい映画である。でも、いつかはもう一度この作品と向き合いたい。戦争が日本をどう、変えたのか。踏みにじったのか。日本に生きる人間として、真っ直ぐ、考える道標となる一本だ。
紛争解決は国連でやるべし
黒川久蔵は両手両足を失くして戦争から帰ってきた。
食う、寝る、セックスしかできない芋虫となった。
妻シゲ子は最初はいやいやのセックスも夫が不能になれば、
それしかできないのに、それさえもできない夫に失望。
やがて終戦。
戦中は世間体のため軍神様を養うが、戦争が終わればただの芋虫。
世話をしなくても非難はされない。
久蔵は自殺(or事故?)
戦地でやった悪事(だれでもやっていることか?)に苛まれ、
殺した亡霊から逃れるためか。芋虫として生き続ける気力の喪失か。
妻の負担をなくす思いやりか。妻に世話をしてもらえなくなった失望か。
手足がなくても希望があれば生きられただろうに。
畑を耕すシゲ子はなぜか輝いて見える。
人間のさまよえる性(さが)
ピンク映画でならした監督の作品だけあって、人間のいやらしさ汚らしさをグロテスクに描いていた。
しかし、寺島しのぶが主演していなければB級のまま終わった感は否めない。「軍神様」の頭部の造りがあまりにも雑すぎる。あれもグロテスクさを出すための、意図的な演出なのだろうか。
寺島と「軍神様」の寓話は戦時中だけのことではない。
軍神様→「天皇のため」というお題目がなくなれば、ただのいびつな見世物にすぎない。→身体障害者に対する人民の本質的な態度。(現代に持ち越されている。)
軍神様の死に方があまりにも陳腐。見世物には死に方さえ選べないというわけか。芋虫ごーろごろ♪
軍神様の妻→「力」をなくした夫をいたぶりながらも、軍神様の妻として周囲に勝ち誇る。やられたからやりかえす、どこまでも続く「許し」のない世界。暴力と暴力のせめぎあい、すなわち戦。
反戦映画らしいが、軍神様が戦争行為を行うことはない。あるのはただのレイプ殺人。
軍神様を登場させておいて、「問題」を戦時下特有のものと錯覚させておいて、言いたいことをドン!ドン!ドーン!と見せ付けた監督。
自分以外のものによって生み出された「テーゼ」を盲信し、よろこんで踊っている人間様。
太平洋戦争で行った行為は昭和天皇と帝国主義によるもので、私たちも被害者なんですとうそぶく人間様。
自身の罪を正当化したままで、アメリカの原子爆弾投下をどうして責められるのか。
太平洋戦争が終わったことを「終戦」という輩をわたしは信じない。
自分達が負けたという事実さえ受け入れられない人の、いったい何を信じろというのか。
最後の砦だったかもしれない「成長神話」が崩れ去った今、盲信したがる民族は何を信じて生きていくのだろう。
ピンと来ない。
寺島さんが賞を取ったからでしょうか。
来客の様子は非常に芳しい感じでしたが。
内容、描写が想像通り(まぁまぁ。そこそこ)だったので、
この客の入りは意外だなと思いました。
個人的感想としては、観終わって、
「わからん事もないけど、ピンと来ない」
という感じでした。
反戦を訴えているのであれば、
受ける現実味も、衝撃も
特に何もありませんでした。
日本が参加する戦争は
この先のいつの日かまた
あるかもしれません。が。
劇中に観られる、男尊女卑や
愛国を即すプロパガンダなど、
極端な風潮は、恐らくは
もう訪れない事象ではないでしょうか。
これらを繰り返すなというのであれば、
もう、その日は来ない可能性は大きいと
思います。
今作は戦争被害者の悲劇。
「戦争がなにがし」と、言うよりは、
他所の見ず知らずの夫婦の
紆余曲折にしか見えませんでした。
今ひとつ興味を持って見続ける事が
出来ませんでした。
題材として、
戦争の虚しさを訴えるのだとしたら
「戦地に赴いて殺し合いをする兵士」
を描くよりも、
「負傷して帰還した兵士」のその後の日常は、
確かに格好の題材ではなかろうか。と思います。
でも観ていて、なんかが足りないな。
と思いました。
恐らくは、諸登場人物の心情に感情移入や、
共感が持てていなかったのだろうと思います。
個人的に実体験も無く、想像も困難な有様です。
しかしたとえば、
四肢を失った旦那がまだ
元気に日常生活を送っていた頃の
人となりを知る物語が事前にあったら、
「あの人がこんな風になるなんて…」
みたいな感じで、
印象は違っていたかもしれません。
セックス、食事、セックス、食事と、
ストーリー性が希薄なので、
これが戦争だ。っつうよりは、
訴えてくるものが
結局人間て生きている限りは、
食欲、性欲、睡眠欲ですよ。
って言う生物としての摂理を訴える
だけの映画ではないかと。
ワタクシゃ観ていて思いました。
どっちかと言うと、被害者視点の映画としては
「蛍の墓」の方が、戦争って理不尽だな。
と思ったかもしれません。
12日間で製作された90分弱の作品
との事ですが
もっと製作、上映の時間をかけてでも
徹底的に観るもののメンタルに対し
グロテスクで、「観なきゃよかった」
と、思わせる鬼気迫るものであっても
良かったと思います。
今作で、戦争に対する嫌悪感を
掻き立てるものとしては、
多分実際の映像であろう、原爆のきのこ雲と
転がる焼死体の映像、元ちとせの歌う
エンディングテーマの痛烈な歌詞でした。
あと、画像が綺麗だった為、1940年代感が
感じられませんでした。
これも、のめり込めなかった一要因かもしれません。
バンドオブブラザーズなどの様に、
近代の作品でありながら、
映像の質感から感じるその時代の雰囲気
と、言うのは実に大切な要素だと思います。
邦画は全般的に、ここいら辺のこだわりに
欠けていると思いました。
女優・寺島しのぶ、シゲ子になりきる
四肢と聴力を失って帰還した夫・久蔵にとって、唯一のよりどころは、陛下から賜った勲章と、生ける“軍神”と讃えられた新聞記事だけ。
あとは、食べて、寝て、妻を求めるだけの日々だ。郷の人々は、“軍神”となった夫の介護こそお国のためだと言う。どこにも逃げ場のない妻・シゲ子のストレスは頂点へと向かう。出兵する前と立場は逆転し、夫を生かすも殺すも妻しだいだ。戦地で手も足も出せない女たちを陵辱してきた男は、ヒステリックになった妻に対して手も足も出ない。シゲ子によってその無残な姿を郷里の人前に晒され、己の無力さを知るのだ。そしてまた今日も、天皇両陛下の肖像を見上げ、勲章を見、新聞の切り抜きへと目を移す。その繰り返し・・・。
ここで、この作品はいったい何を訴えたいのだろうと疑問を抱きはじめる。カメラとカット割りが垢抜けないのも気になる。久蔵とシゲ子の営みを見るだけでは、背景が戦時中だからといって、そこから「反戦」の二文字は見えてこない。女優・寺島しのぶを撮りたかった、それだけのように見えてくる。もし、若松監督に反戦を訴える意思があったとするならば、クマさん演じる村の余され者の扱いが中途半端だ。村人がこぞって「お国のため」を唱えているところに、フラッと現れては、茶々を入れて怒られながらも、その言動はいちいち当を得ているという役どころのはずが、気の利いた台詞が足りない。クマさんは監督の代弁者であるはずだ。
終戦・・・、それも敗戦となれば、崇められてきた“軍神”もただの人に落ちてしまう。その不条理と惨めさで救いようのない男の心情はよく出ている。
だが、この作品で最大のメッセージは元ちとせによるエンディング・テーマ「死んだ女の子」であろう。反戦と平和への祈りを、簡潔な詩ながら魂を揺さぶるように歌いあげた楽曲は、原爆に対する恨み節ともいえる。エンド・クレジットになった途端、立ち上がる人がいるが、この作品はこの唄を聴いてこそ価値がある。本篇と思われた80分は、この唄に至るプロローグに過ぎない。
また、今の邦画界で、シゲ子を完璧に演じられるのは寺島しのぶだけだろう。
剥き出しの人間
「忘れるな、これが戦争だ」のコピーや公開日から反戦映画なんだと思います。
戦争はむごい愚かなことだとストレートに訴えかけてきます、
俳優が演じる撮影された映像、当時のラジオ放送の音声、当時の画像と映像によって。
加えて、当時と現代の価値観のものさしの違いも感じさせられます。
忘れてはならないこと、繰り返してはいけないことの物語が進行する中、
逆に変わらないものを寺島しのぶさんの演技から感じました。
それは人間そのもの。
食べて排泄して寝てヤル。奪い、犯し、争い、傷つけ、悩み、嘆く。
戦争も人間しか出来ない。
おしっこを受け止めて笑う表情。
村民の前で本心を隠す表情。
夫の欲求を妻として受け入れる表情。
軍神を犯す征服者の表情。
食べ物の恨みを抱く表情。
終戦を無邪気にバンザイと喜ぶ表情。
「忘れるな、これが人間だ」
剥き出しの人間の緊張感を寺島さんがず~っと演じ続けます。
観ているだけなのに疲れてしまうほどの演技です。
多分、反戦メッセージだけならばこんなにも疲れなかったと思います。
戦争とはリアル・ホラーなのかもしれない
映画を観た後にテレビやネットなどからの情報で、監督が江戸川乱歩の「芋虫」を題材にこの映画のストーリーを考えたという話を知り、その原作(?)を読んでみました。単にジャンルの問題ではありますが、小説は一応“ホラー”に分類されています。ただ「、乱歩は戦争によって四肢消失状態となって帰還した兵士を目の当たりにして、その姿に“不気味さ”を感じたのでしょう。実際、彼らがそういう姿にさせられたその場の状況はもっと悲惨というより文字どうり「生き地獄」だったに違いない。
ちなみに、誤解を恐れずにいうと、監督がこの題材を選んだのには、ある種「見世物小屋」てきな観点もあるのではないかという気もします。だから、この作品を戦争映画=小難しそうと感じる人も、ある意味「こわいもの見たさ」とか「興味本位」で観に行かれるのもアリだと思います。そこで、戦争の残す物=「リアル・ホラー」という図式が感じられればこの映画の本質が逆に分かり易いかもしれないという気もしています。
この映画が全国公開になったらどういう評価が下されるのかとても興味のあるところです。
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