アンストッパブル(2010) : 映画評論・批評
2011年1月11日更新
2011年1月7日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
われわれの住む場所はどこかを、この映画は教えてくれる
この映画に悪役はいない。例えば「スピード」や「サブウェイ123/激突」などのように、誰かが明確な意図を持ってバスや列車を暴走させたり乗っ取ったりするわけではない。きっかけはあくまでも偶然、単にスイッチが入ってしまった。ただそれだけである。問答無用。ただそれだけのことで、列車が暴走するのである。
システムの暴走、と言ったらいいだろうか。なにしろその列車は運転手不在。スイッチが入ったら走る、というシステムがそこにはあるだけなのだ。それこそIT産業の作り出した管理社会。それが貨物列車という姿となり、世界を脅かすというわけだ。そんなファッキングな世界に私たちは生きている。
その暴走するシステムにどうやって対抗するか。つまりシステムの奴隷となるかどうかを、登場人物たちは試される。もちろんわれわれは奴隷ではないと、主人公が叫ぶ。デンゼル・ワシントンである。その意地と勇気と経験と智慧を振り絞り、彼はシステムの前に立ちはだかる。なりふり構わずそれまでの人生を賭けるのだ。そんな父親の思わぬ暴走に驚喜する、フーターズでバイトするビッチな娘たち! この生活感がたまらない。そこにこそ人間がいて生活があり歴史が作られる。われわれの住む場所はどこかを、この映画は教えてくれる。列車を暴走させるだけで。「痛快」とはこういう映画のためにある言葉だと思う。
(樋口泰人)