借りぐらしのアリエッティのレビュー・感想・評価
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冒険以外のカタルシス
2010年代のスタジオジブリの最大の課題は、世代交代だった。この映画は2010年代、最初のジブリ作品で、当時30代だった米林監督が抜擢。米林監督はそれまでのジブリになかった新鮮なセンスを混ぜつつ、ジブリの作品を壊さないバランス感覚で本作を見事に仕上げた。
主人公のアリエッティは小人だが、これは文字通りに小さな世界の物語で、宮崎駿風な大きな冒険活劇ではない。そういう作品に仕立てることも可能な原作なのだが、米林監督と脚本の宮崎駿は、これを一つに家での出会いと別れに物語へと集約した。結果、ジブリ作品にはめずらしく甘く切ない物語となった。
米林監督は少女漫画好きなので、こういう作風のほうが良いだろうと脚本の宮崎駿も思ったのだろうか。家を追われたアリエッティが待ち受ける苦難や、病気を患う翔の苦しみよりも、ひと夏に少年と少女が出会うことのロマンスと、すぐに別れねばならない切なさを全面に持ってきている。血湧き肉躍る活劇を求めていた人には肩透かしなのかもしれないが、活劇とは異なるカタルシスのある良作だ。
「狩り」ではなく「借り」
2010年公開作品
2度目の鑑賞
前回はDVD
今回はDVDが貸し出し中だったので久々にBlu-ray
原作は『ベットかざりとほうき』『ボロワーズ/床下の小さな住人たち』のメアリー・ノートン
監督は『思い出のマーニー』『メアリと魔女の花』『ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間「カニーニとカニーノ」』の米林宏昌
脚本は『ルパン三世 カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』『君たちはどう生きるか』の宮崎駿
脚本は他に『海がきこえる』『ゲド戦記』『コクリコ坂から』『思い出のマーニー』『劇場版 アーヤと魔女』の丹羽圭子
原作はメアリー・ノートンの小説『床下の小人たち』
企画段階当初のタイトルは「小さなアリエッティ」
「借り暮らし」というタイトルは鈴木敏夫プロデューサーと企画を持ちかけた宮崎駿との話し合いの中で決まったらしい
粗筋
12歳の少年の翔は病弱
両親とは離婚し親権は母親に
父親は出て行った
母親は仕事で忙しく翔とはなかなか住めない
翔は祖母の妹貞子の屋敷に御厄介することに
床下には小人の家族3人が住んでいた
生活必需品を手に入れるため人間たちから「借り」て生きている
ただし人間に見られてはいけない掟があり見られたら原則引っ越さないといけない
しかし夜中にアリエッティは父とテッシュを「借り」ている最中にベットで寝付けなかった翔に見つかってしまう
母親は52歳
父親は61歳
アリエッティの両親の年齢が「滅びゆく種族」を象徴している
一番の見せ場ははホミリー救出作戦
所謂サジェスト汚染が気になる
借りパクが許せないのだろう
借りたものは返さないといけないのは当然のことだが小人は人間じゃないのでそもそも返す必要がないのは全くの正論
作り話に法律を持ち出して躍起になること自体おかしいがそれを100歩譲って受け入れてもやっぱりおかしい
ホリミーはパニック障害なのか知らないがテンションが他の2人の全く違う
過去にとても怖い思いをしているのだろう
悪役は家政婦
表情が良い
ホリミーと家政婦に強いストレスを感じる人が世の中にいるようだ
感受性が高すぎるんだろう
そりゃ生きづらいはずだがそれは世の中のせいだけではないので専門家に相談した方が良かろう
明らかに三浦友和
明らかに樹木希林
だがそれでも良い
洋服の青山のCMを思い出した
そもそも田中真弓だって野沢雅子だって明らかにそれじゃないか
評価が異常に低い人もいるようだ
自分には理解できない
お近づきにはなれないかな
監督が違うのだからそりゃ宮崎駿監督作品とは別物
角砂糖より甘い評価かもしれないがそれでも構わない
自分は映画「評論家」とか映画「ライター」ではないし彼らには全く憧れはなく根本的に向き合い方が違う
公開からおよそ15年経つが最初観たときより2度目の方がなぜかしら良い印象が増幅している
理由はよくわからない
歳を重ねたからか
そもそも原作が良いためでこのジャンルはそれなりにしっかり作れば大外れになるわけがないのだ
声の配役
14歳の小人の少女のアリエッティに志田未来
アリエッティの母親のホミリーに大竹しのぶ
アリエッティの父親のポッドに三浦友和
森に住むアリエッティ一族とは別の小人の12歳の少年のスピラーに藤原竜也
12歳の人間の少年の翔に神木隆之介
アリエッティの家族が暮らす屋敷の主人で翔の祖母の妹の牧貞子に竹下景子
長年住み込みで働いている貞子の屋敷の家政婦のハルに樹木希林
宅配業者に羽鳥慎一
宮崎アニメにあって、この映画にないもの
ジブリも巨匠を抜かせば小物ばかり
絶滅危惧種大和民族の生末
続編がなければ、ただのドールハウス物語になってしまう。(様な気がするが)
絶滅する運命を嘆く少年。
その通りである。
そして、何一つ躊躇無く彼等は外の世界へ乗り出す。
原作は欧米なので、日本の事を言っている訳では無いが、正にに今の絶滅危惧種大和民族の生末語っているように思う。しかし、降って湧いたように突然何一つ躊躇無く、もう一人の同種族の男性が現れる。さて、彼女は後々彼と結ばれるのだろうが、それでも、絶滅危惧種には変わらない。少子高齢化の極端なお話。もう既にこの主人公達は終末旅行なのである。従って、中途半端に終わらせたのかもしれない。少女終末旅行でも実に中途半端に終わり、彼女達の生末を全く説明していない。しかし、展開するストーリーが実に哲学的だとほくはおもだた。だがしかし、このストーリーは、
果たして、それだけ深い意味を込めてストーリー展開しているのだろうか?何かもう一つ足らないような気がする。
僕としては実に物足りないお話に感じてしまう。
だがしかし、彼女達の世界になれば、エネルギー、食料、の必需品はさることながら、土地もわざわざ借りぐらししなくも膨大な土地を我が物顔に出来る事は言うまでもない。逆な一般の人種が滅べ!って言っているのからなぁ?
二人が出会った意味
以前、初めて見た時はすごく好き、面白いと思った記憶があるけど、今見ると何だか物足りないなと思ってしまった。
最初に見たのは多分まだ中学生くらいの時で、身近な生活雑貨が小人たちに工夫され色々な使われ方をしているのを見るのが楽しく、ピタゴラスイッチみたいでわくわくして、小さな可愛い妖精のような存在と遭遇してお話できるのもいいなぁと思ったり、ただそれだけだった。
今もミニチュアの可愛い世界にはときめくけど、それよりも、この出会いが二人にとってどういう意味があったんだろう…出会わないことでバランスを保っていたものを崩してしまったんだから、その分プラスになる面がないとマイナスでしかないよなと思ってしまった。
翔くんは「私達は絶滅しない!」と泣きながら訴えるアリエッティの姿を見て、またアリエッティ達の力になれたことで生きようとする前向きな気持ちを持てたみたいだけど
アリエッティ(と家族)は特にこの出会いで何か成長したとか絆が深まったとかはなく、ただ命の危険に晒され、絶滅への不安を拭えないままに住処を追い出されたようにしか思えずこれで終結しちゃうのかと思った。
犠牲に足るような大きな意味があれば、この先に繋がるようなアリエッティの変化が何かあればもやもやしなかったかも…
大人になるとやっぱり素直に世界観に浸りづらくなるんだなと思った。
もう私はトトロとか小さいおじさんには出会えないんだろうなぁ。
ジブリの中では好き
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「借りぐらし」の一族つまり小人は、人間の食料を「借り」て暮らして来た。
しかし人間に見つかったら終わりで、死んだり姿を消したりしていた。
主人公は両親と3人暮らしの借りぐらしのアリエッティ。
もうその3人以外に小人は残っていないのかも知れないと考えていた。
ある日、心臓病の人間の少年と出会い、少し話す。
人間に存在がバレたことで両親は引越をしようとする。
そんなある日父が外出先で怪我したところを別の小人に助けられる。
一家は、こいつの助けで引っ越すことを決める。
引越しの日、アリエッティは父に隠れて少年に別れの挨拶をしに行く。
その間、少年家の女中が小人の存在に気付き、アリエッティの母親を捕獲。
それに気付いて、少年とアリエッティは母を見つけ出して救出に成功する。
女中は小人が実際にいて捕獲したとか言うが、すでに救出済み。
他の証拠も全部少年が隠滅していたため、女中の悪巧みは崩壊した。
アリエッティらは引越先に向かうが、少年の飼い猫が教えてくれて、
少年は追いかけて見送って、ありがとうってことで終了。
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登場人物も少なく、地味な感じの映画だった。
最近のジブリ作品はつまらんのが多いが、これはシンプルで好感を持てた。
久々に主人公に同調できたのがその要因でしょう。
おそらく多くの人が心の中でツッコんだと思うけど、
「借りぐらし」じゃなくて「盗みぐらし」やんって思った。
まあ量が極小やから、おれんとこに来たら秘密厳守で物上げるけどね。
でもこの少年みたいな奴と女中みたいな奴、どんくらいの比でいるんやろ。
おれやったら100%前者やけどなあ、後者みたいな奴が多いんやろうなあ。
でも人間も善人がほとんどやのに、一部の馬鹿や悪人がいるせいで、
人を信じてはいけないみたいな風潮が広がってしまってるし、
規制ばっかりが増えて何かと過ごしにくくなってる。
そう考えると前者の奴も意外と多いのかも知れない。
途中出てきた別一族の小人は弓を持ってた。
これぞ「狩りぐらし」って思ったけど、それはそういうネタやったのか?
ミーア、仲良くね
終始優しい物語。人間と小人、虫や動物、それぞれが優しい繋がりになっていて、少しづつ借り物をしながら暮らす小人の暮らしや冒険が描かれている。数回観た感想はやっぱり短く物足りない、だった。けど、歳を重ねて観直すとこれでいいじゃない、になった。悲しい別れはあったけど、これからも生きなきゃいけないという素朴で当たり前の答えに行き着いた。これからのアリエッティのストーリーを観ていたい気持ちもあるが、そっと見守りたい気持ちが強くなったね。
この映画は、勿論声優に素人を採用しているが、お母さん役の大竹しのぶ以外違和感は無く、それぞれがキャラクターその者を演じた事により大変良かった。ハルさんがそのまま樹木希林で芸が細かく笑わせてもらった。瓶にラップして楊枝で空気穴開けるシーン、昭和臭漂うババア感が一番笑ったわ
BGMは終始最高。サウンドトラックCDはオススメ。
ゆっくりとした衰退と死を描くが…
テーマは死ですかね?
病気で死と隣り合わせの男の子と絶滅寸前の小人。種の死が迫ってきている薄暗さ、小人の両親は仄暗い将来に気付いているがまだ若いアリエッティは生きる希望に満ち溢れて…そこの対比は出来てました。
そしてもうすぐ死ぬかもしれない男子、小人のアリエッティが出会って………でどうなりました?
気づいたら引っ越ししましょうってなって、川下りして終わりですよ。カタルシスの雰囲気だけ。で????なに???どうなったの?????え??引っ越し?それだけ?で終わります。端的にいうと対人トラブルで引越せざるを得なくなった家族の話。とてもつまらないです。
小人の世界観がかわいくて観ていて楽しい。 小さな家具やキッチン、小...
偏見って怖い・・
「偏見」とは米林監督に対する偏見である。作品を見ることもなく世界観にも興味がないことからは鼻から駄作だと思い込んでいた。ところがどうだ・・この作品、突っ込みどころ満載でしかも粗削りではあるが可能性に満ちていて、何よりもジブリっぽいのだが過去のジブリ作品のどの作品にも見る事の出来ないロマンティシズムに満ちている。現在ジブリから独立しているというこの米林監督の他の作品を至急チェックする必要がある。ほかの作品はさておきこの作品、明らかにヒロインのキャラが魅力的である。様々なオマージュやジブリとのアイロニカルな隠喩的関連表現などについても数多く指摘されているが、それらは既にこの監督の虜になっているマニアの方々にお譲りするとして、ここではこの監督の非ジブリ的な魅力についてのアピールを優先したい。その魅力に到達する為の装置は極めてジブリ的なオープニングに仕掛けられていた。ジブリ作品を見たことがある人ならこの作品のオープニングはどこかで見たことがあるはずである。そして同時になんだ二番煎じかと言うことで取りあえず見てしまうはずだ。そしてこれこそが初めて米林監督作品へのプロムナードメカニズムであったのだ。後は作品を見たらわかるという仕組み。さぁご覧あれ・・・
うーん
宮崎駿監督ではないジブリ作品は興味なかったけど、たまたま観ました。
原作付きということで、いきなり小人がいる世界観。
人から物を借りて暮らす。
なぜかといえば、小人は人と同じ生活水準をしてるから。
キッチン使って料理してるから、ティッシュや砂糖が必要。
小人は己の力で生活するのではなく人に依存しながらその生活水準を保つ。でも人との共存は否定する。
そんななぞの生物。そもそも人と喋れるから過去には人間と共存してたのかもしれない。
でもそういった根本的なことを触れないまま話は進む。
小人とはなんなの?そこが謎でまったく入り込めない。
原作からそうだから当たり前の世界観だけかもしれないけど、宮崎駿の練り込まれた設定のファンタジーから比べるとあまりに薄っぺらい。
で、絵や演出はジブリの丁寧で高いレベルでイライラする。
そんななか、終盤に翔が小人について言った言葉、「滅びゆく種族」
種族なの?人ということ?
この言葉があまりに唐突すぎて、また、人は60億だから少ない種族は滅びるという話も強引だしキャラ変したみたいな冷徹な言葉で、翔は病で頭もイカれてしまったのかと思ったよ。
この種族の話は、制作側があまりに小人が謎のままだから、説明するための取って付けたシーンじゃないかと思ってる。
後期のジブリ作品ってこんなのばかりなのかな。
50点以上は付けられない作品
スタジオジブリの最新作。
宮崎駿監督ではない。米林宏昌という方が監督を務めている。初監督作品。
宮崎監督は昔からこのコンセプトの映画を創りたいと語ってた。小人や昆虫の目線で世界を眺めた作品。なので、間違いなく宮崎監督が企画して作られた作品なんだろう。。
だからこそ、残念。。
ストーリーが残念だったのではない。
割と単純な出会いと別れを描いた作品だし、作品自体のスケールが小さいのも、そもそも主人公が住んでる世界が小さい(狭い)ので致し方ない。話としては上手くまとまってたと思う。
セシル・コルベルの音楽は本当に良かったし。
もちろん突っ込み所が無かったわけじゃない。
というより、かなり多かった。
まず、主人公のアリエッティがあの庭だけで生きてるって設定がそもそも信じられない。なぜ外へ出ない!?
それに、あんな広い庭付きの一軒家なんて最近どこにも見かけない。リアリティが全く無い。
あと、アリエッティの初の狩りでティッシュペーパーを採ろうとしたとき、翔と目が合うのは都合が良すぎる。あの部屋じゃなくてもティッシュくらいあるだろうに。。
何より、未来少年コナンのジムシィや、トトロのネコバスを、ほぼそのまま使い回してるところはさすがに呆れた。
ただ、小人ならではの小道具、髪留めとか、1滴のお茶とか、お洗濯の仕方とか、アリエッティ達のお家の家具とか、細かいところでは楽しさがあった。その辺りの演出は良かったと思う。
しかし・・・自分が何より残念だったのは、やはりジブリは宮崎駿しかいない、という事実。
この天才の存在が大きすぎて、若手が全く育たない。育っていない。
他の有望なスタジオでは実力ある若手アニメ監督が何人かいるが、ジブリにはいない。
宮崎監督がストーリーテラーとしての立場をある種諦めてる(開き直ってる)のは、「ポニョ」を観ればよくわかる。「ポニョ」はストーリーが完全に破綻してる(・・ある意味、「アニメ」は子供のためのもの、という立場をより明確に示したのかもしれないが。。)。なので、今後宮崎監督作品でワクワクするようなストーリーの作品は期待できない。
それでは若手に期待できるかと言うと、今回のアリエッティはストーリーは平凡そのもの。良くもなく悪くもない。
しかも、宮崎監督がこだわってきた「キャラクターの動き」も、今回のアリエッティは明らかに質が落ちてた。
まぁ、これは仕方ないのだが。。子どもの頃に外で遊んでいない若い人達がアニメーターになれば、いくら「絵」自体がうまくても、面白い「動き」は表現できない。私は「アニメート」=「動きの表現」だと思うのだが。。宮崎監督の昔の作品「名探偵ホームズ」とかは、キャラクターの動きを観てるだけで本当に楽しい。こういう作品作る(作れる)人達は、おそらく日本ではもう居ないのだろう。。
ストーリーテラーとしても、「動き」を表現するアニメーターとしても、次の世代を担える人材がいない。かと言って、Production I.G.のようなCGを駆使した作品を作るわけでもない。。
残念だったのは、スタジオジブリの限界を、今作品でまざまざと見せ付けられたこと。
宮崎駿ファンの私としては、宮崎監督に少しでも長生きしていただき、良い作品を少しでも残していただきたいと願うばかりです。。
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