武士の家計簿のレビュー・感想・評価
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大林さん、神格化され過ぎだと思う
好き嫌いの別れる映画だと思う。普通には無い視点の刺激的な武士物と見るか、ただただ地味な作品と見るか。正直自分としては後者かなと。
そことは別に不可解なのは、猪山家があそこまで経済的な窮地に追い込まれている理由が全く説明されていないこと。当時、例え大藩の上級武士であっても経済的には非常に苦しい状況であったとは知識として知っていても、「だからそういう事で」と乱暴に話を進められてはたまらないです。
地上波だからカットがあるのでは?、と勘ぐってしまうけど、それだと完全版観なければ
映画を語れないことになるので、敢えて無視します。
映画にする意味ある?
森田芳光の時代劇モノの特徴でもあるのですが、淡々としすぎ。
武家社会にも会計士的な役割がいて、その仕事や生き様を描いたものですが、いかんせん地味。
堺さん仲間さんをはじめ、皆さんいい演技だし、時代描写も細かく作っているだけに、「なんでこの話で映画作ろうと思った?」という感想です。
もっと軽快なやつだと思ったんだ。僕達急行 A列車で行こう
あれの監督かー。と思ったけど観てみたらこれか。急にみんな死んでく描写。ごはん満足に食べられなくなったから?せめて死に際 月の話のネタバレを教えてくれ。腑に落ちん。まあ至極退屈。フルで観てこれなのか。映画館でみるとかゾッとする
戦が長期化すると
兵站の重要性が増す。近代戦になるとますます重要。
大村益次郎(嶋田久作は私のイメージではないが)はいち早くこれを理解していたようだから、
成之を徴用したのは必然なのか?
加賀藩が鳥羽伏見以降幕府につかなかった事もきいていたのだろう。
新政府では海軍筋に人材を輩出したようだが、益次郎との関連もあるかも。
まあ、農民一揆と施し米ぐらいか。チャンバラを期待する人にはつまらないだろう。
午後ロードにて再視聴。
平凡
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武士である父親は算盤が得意で、藩で経理の仕事をしていた。
息子は父に教わり、その技術を身につけて成長する。
しかし家は貧乏で、色々な苦労をした。
やがて明治維新関連のドタバタで戦争が起こり、
息子はそんな時にも冷静で居続ける父親に反発して家出。
しかし世話になった先でも、これからの時代は剣ではなく、
計算が出来る者が世に必要とされる、と言われる。
やがて帰って来て父と和解。
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何が言いたいのか、あんまりよくわからなかった。
えらく平凡やなあって思ったら、よくあるパターンで、
史実の人をモデルに造られた映画みたい。
そら平凡になるのもしゃーないわな。
今の映画の主人公ってあり得んような奴多すぎるし。
コナン映画とか見てたら、そら普通の主人公は平凡に見えるわ(場)
いつしか借金が嵩んでいったのは、世間様に合わせていった結果
加賀百万石の財務を担った猪山家、倒幕進む幕末の時代に家芸を全うした算盤侍の生涯を描く。
末期とはいえ、江戸時代は何気ない日常生活にまで様式美が溢れている。
賛否はあるにせよ、家父長制のもと、食事の席次が決まっているのも、機能的にはたぶん何の役にも立たない裃を身につけたりするのも、様式美のひとつだ。
様式美は、その根源の意味が希薄になればなるほど、横並びの思考を肥大化させて行く。
とりあえずよそ様がやっているのだから、こういう時はこうするものだから。
大衆化した先に「世間様」「体裁」「体面」といった日本特有の過剰とも言える他者意識が産まれる。
猪山家は、特段、酒が好き、賭博好きといった破天荒なわけではないし、常軌を逸した派手好き、見栄っ張りというわけでもなさそうだが、いつしか借金が嵩んでいったのは、世間様に合わせていった結果と言える。(これは田舎に住むとよく判る)
そうした不可視な世間様に惑わされることなく、家芸を根っこに据えた家内再建と長男への教育に峻厳に臨む直之の、算盤侍といえども武士のプライドを大切にする姿勢がうまく描かれている。実際、世間様が希薄になった明治の世で、長男は家芸で出世する。
家って不思議な単位だ。寺の子は頭を丸め、侍の子は刀を握り、算盤侍の子は算盤をふる。たまたまそこに生まれてしまったが故に、何かに縛りつけられることを不自由と断じていいのか、ちょっと悩む。決まりきっているからの自由。益も不益もある自由が、日本らしくていいなと思ったのは、それだけ僕も歳を重ねたからだろうか。
微妙。大きな事件は起こらない。その分、静かなる感動が欲しかったが、...
微妙。大きな事件は起こらない。その分、静かなる感動が欲しかったが、それもない。
敢えて描かなかったのだろうが、そこを描いて欲しいのよ、感。
・第二子はどこいった?完全無視。
・突然老けすぎやろ(笑)
算用者という武士がいたんですね、勉強になりました。
お家芸とは
子煩悩だった父親が、子供が大きくなったある日から、お家芸であるそろばんを、厳しく教え育てた父親。
時には感情よりもそろばんを重視する。
その厳しさに、子を思う母親が胸を痛める。ただ、この時代は父親が絶対だったことが理解できる。
父親の教えの意図がよく分からなかった息子。
ただ、父親から教えてもらったことが、唯一の存在となり、明治の新しい時代で活躍することができた。
お家芸という言葉が重く感じられた。
原作が新書だったので気になっていてようやく観てみた。 実直に真っす...
原作が新書だったので気になっていてようやく観てみた。
実直に真っすぐと生きる主人公に感心。夫を理解し、寄り添う妻の姿もよかった。
後半はちょっと残念な感じだったけど、前半から中盤、火の車だった猪山家の家計を家族が一丸となって倹約をし、立て直していく過程はおもしろく観れた。
ちょっとぬけてて、ゆるい感じの家族のやり取りが楽しかった。
普通の時代劇とは違う。日本史に興味がある自分は楽しめた。
2度目の鑑賞
他の方のレビューにもあるが
私もNHK「英雄たちの選択」を視聴している
磯田氏の著書が原作となっているとのことで
日本史好きの人間としてはとても楽しみな作品である
加賀藩の下級武士で、現在で言うところの会計担当の猪山家8代目・直之(堺雅人)が主人公
良縁に恵まれ、子供も生まれるが
猪山家が大変な借金を抱えていること知り
家計を立て直すという物語
娯楽時代劇ドラマだけでなく、NHKの大河ドラマやドキュメンタリー番組などでも
下級武士どころか、藩の財政が火の車というのはよく聞く話
横田氏が「英雄たちの選択」で
『当時の武家たちには、収入に見合った支出という考えは一切ない』
と語ったのを思い出す
映画は直之の努力で借金を完済する一方で
息子にもお金と計算の勉強を叩き込む
息子は維新後の新政府軍で経理担当として活躍する
自分自身も若いころにお金の勉強をしていれば
無駄使いすることなく、もっと貯金できたのではと、反省した
残念な清朝銭の、どアップ
原作・磯田氏のファンで、主演陣の堺雅人・仲間由紀恵も大好きなので、期待して拝見。
加賀100万石の財務を握る、藩の中枢を占める上級武士一家の家計が、実は火の車。
家督を継いだ主人公が、これをユーモラスに立て直していく。いかに息子に家業を継がせたか。「昔の武士の厳しいしつけ」も見どころ。
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全体としては、楽しくみることができたのであるが、1箇所だけ、きわめてザンネンな場面があった。
映画の始まりから1:27-35ごろにかけて、父子の葛藤を描いた山場のひとつ(「四文銭の教え」)が描かれ、その中で、当時のコイン「穴銭(あなぜに)」が画面いっぱいに大写しになる場面が2度ある。そのうち1回が、日本の銭(寛永通宝)ではなく、隣国・中国(当時は清国)の銭なのである。
清朝銭は、表裏のうち一面に漢字で「年号2文字と"通宝"」、もう一方に満洲文字で「boo + "(生産地)"」が記されている。この、清朝銭の「boo」字が、息子の直吉のてのひらで2秒ほど大写しになるのである。
息子の年齢から考えて、この場面は1850年前後、このころの銭は、国産の「寛永通宝」ばかり、銅銭・鉄銭(1文銭)、真鍮銭(4文銭)の3種が入り乱れて流通していた時期のはず。
問題の場面にうつった銭が真鍮銭(五円玉と同じ材質の黄色い金属)ばかりだったのは良いとしても、せめて清朝銭は、文字が映らないよう2枚目より下で使い、てのひらの上で1番上に乗る銭は、寛永通宝をつかってほしかった。
映画としてのエンターテイメント性に欠け…
TVでよく見る「英雄たちの選択」に因み、
磯田道史原作物として観た。
そして、初鑑賞と思いながらも
導入部早々からそうではなかったことに
気が付いた。
「家族ゲーム」等で
エンターテイメントとしても優れた作品を
届けてくれた森田芳光作品にも係わらず、
随分と印象の薄い初鑑賞だったのだろう。
昨今、特に太平洋戦争を引き合いに語られる
武力と同様に重要な兵站の必要性や、
多様な価値観での様々な生き方や
人それぞれに存在する役割の評価の面からの
今風の一つの提示であることは理解するが、
話の展開そのものは平板で起伏に乏しい。
原作がドキュメンタリータッチの
ノンフィクションとのことだが、
しかし、原作がどうであれ、
映画ではエンターテイメントとしての
アレンジが必要と思う。
私としては、
家計の困窮の改善に苦しみながらも、
藩の財政を劇的に救う面を強調した位の
ダイナミックな展開を
期待したかったのだが。
ノンフィクションの原作本を
単にドラマとして置き換えるだけだったら
映画作品としての価値は生まれない。
例えば、藤沢周平の描く困窮する下級武士家
の描写そのものと共に、
一級のエンターテイメントに仕上げた
山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」と
ついつい比較してしまう。
脚本なのか監督の演出に問題があったのか
は分からないが、
算盤侍の日常やエピソードを淡々と描く
だけの作風に、映画としての面白味に
若干欠けてしまった印象の作品に思えた。
親子三代
算盤侍の家系で三世代の物語。二本差しは習いにしかなく、算盤が命の家系。
財政や経費の知識があるから借金しない、家財を売って金策する。江戸末期、武士よりはるかに商家が富んでいたこの時代にこれは立派。さらに、他の武士なら宝になりそうな脇差も売り払う。ここに未練がないのもすごい。
質素倹約は徹底していて、弁当箱はなくなり彩り豊かな弁当は、竹の皮に包んだ握り飯と芋に変わっていく。鯛の絵を並べた祝膳も含め、家族が不平を言うでもなく、むしろ楽しんで工夫していて、悲壮感なくなぜかホッとする。
森田監督の淡々として味のある演出に出演者がそれぞれのピースにうまくはまっている、そんな作品。算盤をはじくようなタッチの音楽も絶妙。
そろばんを家業とする三世代の家族史だが
当然といえば当然も、江戸時代末期、加賀藩にあれだけの経理担当武士がいて、あれだけの仕事量が有ったという映像に驚かされた。見栄を捨て、家財を売り払い節約に努力する武士家族の姿はかなり目新しく、興味深かった。
祖父の死にも関わらずそろばんにしか関心がない様に見えた堺雅人の父へ反抗し戦いに参加した息子が、結局父に仕込まれたそろばんで官軍から評価されるという史実も、面白い。
ただ、全体として淡々と家族史が描かれるが、起承転結的ものもなく、かなり退屈に感じた。最後の息子に城を見たいとのシーンから、金沢城で藩のために会計をすることに情熱と誇りを持っていた様だが、堺雅人演ずるそろばん侍の心意気の様なセリフ若しくは行動が脚本としてもう少しあった方が、良かった思ってしまった。
森田芳光監督作品であるが、亡くなる前年公開の映画ということもあってか、枯れた様な静かな演出。大島ミチルによる音楽は印象的で、まあ良かった。
わたしたちは思い込んでいる
You Tubeにある磯田道史さんの講演によると、江戸末期の武家社会の経済は破綻していた、そうです。だから、百万石の加賀藩ですらも、倹約に励まなければならなかった。
それは、武士の経済システム(年貢や武士のお金の使い方)が、江戸初期には社会のあり方にピッタリだったけれど、末期にはダメダメになっていた、ということ。町人がパワー全開になっていたのに、彼らからは0.?%の税金しかとらなかった、というからビックリ!システムは一度、安定的になると、徐々に破綻しても変革されにくい。徐々に、という点がポイントで、年貢とは「農民から米」という常識ができると、破綻していっても別の発想「町人から金」にいたらない。思い込みから抜け出せない私の生き方。現代日本のあり方。同じです。は~ぁ、って感じ。
そんな幕末に生きた、主人公の猪山直之さん。現代的視点から見れば、ちょっと、自閉症スペクトラムが入っているのかな。いわゆる、常識人がストイックに生きた、というのとは違う、そんな発達障害仮説の立場から、この映画を鑑賞させてもらいました。
そう考えると、彼の不正追及、家財の売り払い、駒との初夜や父親の葬儀のそろばん勘定も、彼にとっては自然な行動。社会常識や世間体など大した問題ではなく、勘定をきちんとしなければ気持ち悪くて我慢ならない、ってことでしょうか。
一家の生きる道は、お家芸『そろばん』!その真っすぐさが心地よく、幕末から明治への変遷を乗り切っていく力になります。でも、よく考えてみると、「そろばんしかない」っていう思い込みは、「米しかない」っていう幕府の思い込みと相似形。思い込みのおかげで、片や存続、片や破綻。人の世は、なんとも面白きもの、です。
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