劇場公開日 2010年9月11日

「悪人はひょっとして私達だったのかも知れません」悪人 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0 悪人はひょっとして私達だったのかも知れません

2025年9月4日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悪人

2010年 東宝

悲しい
物語でした

地方の出口のない閉塞感
海のない町のように
海があっても、
それ以上どこにもいけないと感じるように
都会のような華やかなものもない
そもそも若者が少ないから車やネットがなければ、若者が顔を合わせることもできない
自転車しかなく、仕事と部屋との往復だけの生活ならば、それは孤独そのもの、牢獄のようなものです

仕事も少なく、やりがいを持って働ける仕事はない
働く場があるだけでまし
無論、男女の出逢いなどあるわけもない
生きているのだか、死んでいるのだかわからない毎日
それで若者といえるのだろうか?
若い日々は永遠に続くようでそうではない
焦ったところでどうにもならない現実
都会にいけないのは、彼等、彼女等なりに理由がある
誰だってこんな田舎を捨てて都会に行きたいのはあたり前だ
いつの間にか30代、いや40代になってしまう
先の見えない真っ暗な人生
いや先は見えてる
真っ暗だと

こんな東京とは全く違う地方の若者の生活が、まず活写されます

九州の福岡、佐賀、長崎の辺りとすぐわかりますが、町の様子は日本全国中ありふれた
光景で、日本のどこにでもある地方のことだと示しています

2025年の今
公開当時よりこういう状況は一層進んでしまっています

灯台
針路はこちらだと指し示す存在です

光代には、祐一は灯台の光そのものでした
この光を見失ったら、真っ暗な海の真っ只中でまた漂流してしまう

家庭を持つ普通の幸せな生活には絶対たどり着けなくなってしまう
子供をもつならタイムリミットも迫っている
そんな恐怖にとらわれたのだと思います
それが愛なのか?違うものなのか?本人にもわからないでしょう
とにかく幸せの方向を指し示していたのでず
体の中から熱く燃え上がるような思いだったのだと思います

祐一は母に灯台で置き去りにされ捨てられた子供です

それに反して、灯台に戻ってきた光代は自分を捨てなかった
本当に自分を愛してくれた女性だと、祐一は心の底が熱くなるほど感動したことと思います
その一方で母に捨てられた記憶はこう叫ぶのです
そんな訳がない!
自分は悪人なのだから、捨てられて当たり前の男なのだ
殺されそうになったなら光代だって逃げるはずだと彼は光代の首をしめます
彼女に罪がおよばないように狂言でやったことではないでしょう
でも光代は殺されることを受け入れようとしていました
祐一は母から捨てられた灯台で、確かな別の愛を得たと確信したのです
光代と祐一の二人にとっては、初めて生きていて良かったと思えた瞬間だったかもしれません
痺れるような愛の成就だったと思いました

誰が悪人?
それは一人を殺し、一人は殺人未遂した祐一に間違いありません
しかし、祐一と光代をこのような形でしか出逢うことが出来ない社会にした大人達のせいであるのかも知れません
きっと普通に出逢えていたなら良い恋愛をして二十代で家庭を持てたはずの二人です
子供もいたことでしょう
祐一は真面目に働き良い父になったことでしょう
こういう出逢いしか出来ない夢も希望もない21世紀にした世の中のせいです

祐一を捨てた母に代わって育てた祖母?
殺された佳乃をあのような娘に育ててしまった両親?
そんな訳がありません
祐一を捨てた母?
遠因はあるかも知れません
でもみんな、祐一をそのような運命に追いやろうとは誰も思ってはいないのです
彼等、彼女達なりにその時は自分たちにできる精一杯に生きてきただけだと思います

都会の大学生のくず男には、祐一と光代の関係は、理解できない純粋さだと思います

都会に暮らす私達も同じです
祐一の祖母に群がるマスコミのように、この事件がもし現実にあったとしたら、そのニュースをテレビでみて、悪い男がいるもんだとその背景を何も考えずに言っているに違いありません
都会の繁栄と地方の衰亡は裏表です
都会の自分達が幸せに暮らしているのは、地方の衰亡の上にあることなど考えたこともありもしません

悪人はひょっとして私達だったのかも知れません

深津絵里の美しさに驚嘆させられました

あき240
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