イエローキッド : 映画評論・批評
2010年2月2日更新
2010年1月30日よりユーロスペースにてロードショー
登場人物たちのアクションが、ひたすら私たちの心に触れる
おそらくこの映画を見たほとんどの人が、重いしこりのような戸惑いを胸に抱くだろう。一体ここでは何が起こったのか? 主人公は何をしたかったのか? 主人公どころかこの映画の登場人物たちそれぞれは何故何のために生きているのか?
ストーリーを要約してしまえば、ボクシング漫画を書き続ける漫画家と、かつてその漫画家が描いた漫画に影響されてボクサーを目指す若者の、現実と妄想と漫画の世界とが交錯する物語、ということになるだろうか。しかしそんなことではこの映画の何の説明にもならない。物語でもなく言葉でもなく登場人物たちのアクションが、ひたすら私たちの心に触れる。その触れ方の強さや重さが物語となり言葉となる。メロディではなくビートと音色とそのエコー、そしてそれらの作り出すハーモニーが、空気のように私たちまとわりつく。
そこで描かれる激しく孤独な人生は、しかし一方で優しくほのかな人生として、私たちを包み込む。一体何が起こったかよくわからない物語はそれゆえに忘れられない響きとなって耳の奥底で小さくなり続けることになるだろう。映画の終わった後、私たちが現実の世界へと返って行く前のほんの少しの奇妙な時間の空白の中に、この映画は私たちを誘い込む。映画とともに生きる。そんな夢のような人生がそこには待っているはずだ。もちろんそれが、楽しいものかどうかは分からないのだが。
(樋口泰人)