最後の忠臣蔵のレビュー・感想・評価
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罪人の隠し子を守り育てていく男。ある日その娘が嫁ぐことに… 何故、...
罪人の隠し子を守り育てていく男。ある日その娘が嫁ぐことに…
何故、最後自決したのか…その隠された内心は一体!?
どこまでも美しく、どこまでも悲しい映画。
忠臣蔵の16年後の話。
ストーリーに引き込まれた2時間半、見ごたえがありました。
別所広司、佐藤浩市の2人の演技の安定感と武士の顔になたっときの凄みは流石です。
くわえて、安田成美と桜庭ななみの美しさに何度も見とれてしまいました。外見だけではなく、所作や佇まい、話し方すべてが美しい。
終盤の嫁入りのとき、家を出るときは別所広司の付き添いだけだったのが、浅野家の元家臣が次々と加わっていき、それに堂々と「まみえることの叶わぬ亡き父に代わり、御礼申し上げます」と立派な言葉をかける可音が気品に溢れていて、孫左衛門がいかに立派な育て方をしかたがわかる場面だった。
ラスト、孫左衛門がゆうからの一緒に暮らそうという涙目の申し出をと言い断り、可音との思い出を回想しながら最期を迎えるのを見て、「武士だから」というのはそういうことなのか、と意味を悟りました。忠臣蔵とはそういう世界観なのですよね。
どこまでも美しく、どこまでも悲しい映画でした。
最後の赤穂武士
Amazonプライム・ビデオで鑑賞。
原作は未読です。
吉良邸討ち入り前日に逐電した孫左衛門と、討ち入り後に大石内蔵助の命で生き残った吉兵衛―ふたりの赤穂武士の姿を通して、誰もが知る「忠臣蔵」のその後を描いた人間ドラマ。
孫左衛門が抱える秘密と、“おひぃさま”可音に秘められたものにミステリーを持たせて、背後に隠された人々の想いが交錯しました。吉兵衛の生き様が対比となる構成が秀逸。
殉じることを許されなかった。生き抜けと命じられた。宙ぶらりんになった心と、使命を果たさんとする心…。忠義と愛に彩られた想いの結末に、侍の矜持と美学を感じました。
家臣としての生き様と死に様
元禄の世に討ち入りを果たした赤穂義士討ち入りの話(以降、ここではあえて「忠臣蔵」とする)は、江戸時代から脈々と日本人に受け継がれてきた。その中心的な役割を果たしたのが、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』である。
この『仮名手本忠臣蔵』からして、討ち入りとは直接関係のない「お軽勘平」という悲恋のサイドストーリーを盛り込み、成功しているのだが、歌舞伎では、「忠臣蔵外伝」として様々なサイドストーリー、いま風に言えばスピンオフを生み出した。その代表例が、「お岩さん」の『四谷怪談』である。本作は、そんな「忠臣蔵外伝」である。
瀬尾孫左衛門という実在の人物が主人公。瀬尾孫左衛門といえば、忠臣蔵が好きな人の間では、とてもメジャーな人物である。彼は、赤穂浅野家の家臣ではない。瀬尾は、あくまでも大石内蔵助の家臣であって、浅野家にしてみれば陪臣でしかない。つまり、本来は、他の赤穂浪士のように浅野内匠頭という殿様の仇討ちに参加する資格がない。
そこを、大石内蔵助に懇願し、特別に仇討ちの盟約に加わらせてもらった。ところが、討ち入りの日程が決まってから、いざ討ち入りという段になって、2日前に脱盟した。矢野伊助という足軽の男とともに、最後の脱盟者である。赤穂義士討ち入りの中心人物である大石の家臣であり、大石の信頼を得ていたとされ、特別扱いされたにも拘らず、直前になっての裏切り行為は、多くの忠臣蔵関連のストーリーの中で取り上げられている。
本作の原作者である池宮彰一郎は、この瀬尾孫左衛門の行動を「裏切り行為に見えたが、実は大石内蔵助から特別な密命を受けていた」と解釈して独自のストーリーを構築した。
史実の討ち入り事件は「赤穂四十七士」とされるが、そのなかで唯一の生き残りが、寺坂吉右衛門という男だ。この男は、討ち入りの後に赤穂義士たちが泉岳寺にある浅野内匠頭の墓へ向う途中で、どこかに消えたとされ、赤穂義士たちが切腹による死罪となったのに対して、それを免れて生き残った。
この人物がなぜ生き残ったのかというのは諸説あるのだが、忠臣蔵モノの多くでは、この寺坂吉右衛門が、大石内蔵助から歴史の生き証人として、討ち入りの様子を正確に伝えるという役割を得ていたという創作をしている。本作もまた、その創作を前提に、寺坂吉右衛門が日本全国に散った浅野家家臣の遺族に、大石から預かった見舞金を届けるために行脚するという話から物語が始まる。
討ち入りから16年後、ようやく遺族の家をすべて回った寺坂吉右衛門は、十七回忌法要が行なわれる京へと向かう。その道中で、討ち入り直前に遁走した瀬尾を見つける。瀬尾と親しかった寺坂は、その真相を知ろうとするが、瀬尾は友人である寺坂にすら逃げた理由を明かそうとしない。
実は、瀬尾は大石内蔵助が妾との間にできた娘を育てていたのだった……。
前置きが長くなったが、とても良い映画だ。
「忠臣蔵」という美談の裏には、実は生き残った者たち悲劇がある。討ち入り後、江戸を中心に赤穂義士の忠義が美談として持てはやされる。それは全国にも飛び火する。討ち入りした遺族たちは、犯罪者の遺族であるにも関わらず、様々な支援を受けられたと言われる。子どもがいる家では、大名に家臣として取り立てられたケースもある。その一方で、討ち入りに参加しなかった元赤穂の家臣、とくに討ち入りの密盟に加わりながらも、途中で脱盟した人物たちは悲惨だった。一生、身分を隠して過ごす者も少なくなく、家族に言われて討ち入りを断念したにも拘らず、討ち入り後にその家族から勘当された者もいる。
劇中で、月岡治右衛門(柴俊夫)が、瀬尾孫左衛門(役所広司)を罵倒し袋だたきにするシーンがある。しかし、月岡自身が、相当に悲惨な体験をしていたはずである。その恨みつらみを、浅野家から見れば陪臣であり、身分が低く、裏切り者の代表者である瀬尾にぶつけているのだ。
そうした「生き残った元浅野家家臣」の悲劇が、このドラマの背景にある。
原作では、もっとミステリー仕立てになっているが、そこは2時間強でまとめるために、実に上手く整理している。徹底して、瀬尾と、大石の忘れ形見である可音(桜庭ななみ)との関係性にクローズアップした事が効果的に成功している。
原作にはない人形浄瑠璃の描写も効果的だ。この人形浄瑠璃の演目は、男女が道ならぬ恋の果てに心中する『曾根崎心中』だ。江戸時代、忠臣蔵とともに、爆発的にヒットしていた戯曲である。
この人形浄瑠璃を度々写し込む事で、まるで瀬尾と可音の間に、道ならぬ恋愛感情があったのではないかと匂わせる。しかし、ハッキリとそれは示さない。
瀬尾は、大石との約束通り、可音を伝説的な豪商・茶屋四郎次郎の息子に嫁がせる。その婚儀が終わらないうちに、瀬尾は一人で可音と暮らした山奥の自宅に戻る。そこに、人形浄瑠璃の映像を挿入する。ここで示唆されるのは、「心中」=自害である。つまり、「道ならぬ恋」として『曾根崎心中』を利用しているだけでなく、瀬尾が最終的に切腹する事を暗示させるために、『曾根崎心中』を使っているのだ。
そして瀬尾は、見事、一人で切腹を果たし自害する。
瀬尾は、自分が討ち入りに参加した赤穂義士の一人であるという自負を16年間抱きながら生きてきた。自分に与えられた役割は、討ち入りで吉良上野介を殺す事ではなく、大石が無事に討ち入りを果たせるよう、大石の家臣として彼の心残りを解消するため、隠し子を無事に育てる事。その役割を全うする事を支えに生きてきた。
役割を果たした赤穂義士にとって、最後にすべき事は、大石たちと同じく切腹し、大石の待つあの世に行って、自分の役割を果たしたと伝える事。
まさに「最後の忠臣蔵」である。
この創作劇の中で、もし瀬尾が死ななければ、瀬尾は美談の一人としてもてはやされる立場になったろう。何よりも茶屋四郎次郎の後ろ盾を得た事になり、一生遊んで暮らすことも出来たはずだ。しかし、瀬尾はそんな残りの人生を選ばなかった。
「武士として忠義とは何か」
瀬尾の16年の生き様は、まさにその事を見せつけるものだ。
原作ではもっと重要な扱いを受けている寺坂吉右衛門(佐藤浩市)が、小さい扱いになっているのは残念だが、映画化の整理の都合上、致し方ない。ただ、そんな寺坂は、大石から生き残るという役割を与えられた設定である。瀬尾の最期を看取った後も、寺坂は自害する事は許されず、役割を果たし続けなければならない。
瀬尾が最期に切腹して自分の役割を全うした事に対して、生き残る役割を与えられた寺坂。この対象が、本作を見終わった後に深い余韻を残す。
2000年頃から時代劇の新時代とも言える。様々な秀作・良作が生まれたが、本作の出来はその中でも特筆できると思う。
ドラマ『北の国から』の演出で有名な杉田成道が監督しているが、本作で映画史にもしっかりと足跡を残したと言える。
役者について言えば、役所広司が素晴らしい。元花魁を演じた安田成美も良かった。
また、長沼六男に撮影も素晴らしい。『魚影の群れ』『学校シリーズ』『たそがれ清兵衛』など、素晴らしい映像をたくさん残しているが、本作の映像もまた、長沼の代表作だと思う。
普通
直前に観てたTV時代劇「上意討ち」(田村正和主演)の方が一瞬も飽きさせなかった。何度途中で見るのやめようと思ったか。主人公が切腹するシーンは泣いた。歳とって涙腺が脆くなったからだきっと。区切り区切りで出てくる文楽人形を出す事の演出意図がわからず「(演出が)下手だな」と思った。役所さんは「KAMIKAZE TAXI」を見て以来の私の中で「最も注目すべき俳優」の一人だがその究極のオーソドックを極みつまりケレンミが足りない所が時々残念に思うところではある。今回もご他聞にもれず。
素晴らしい作品、邦画の雄!
まず、素晴らしい作品に出会えた興奮を皆に伝えたい。
不覚ながら、涙が止まらなかった。
素晴らしい、確かな演技力と、シナリオ、音楽。
そして、美しい季節の移り変わりの描写。
全てが近年の邦画の中では最高の評価としたい。
役所広司はもう流石の主役の演技力。重鎮です。
信念を貫く、忠義の男を実直に演じています。
それに、ストーリー上のカギとなる熱い男、佐藤浩市。
これまた、必要以上に重要ながら、さりげない演技。
最後に新人とはとても思えない、繊細な演技の桜庭ななみ。
この3人の紡ぐせつないも、感動的なもう一つの忠臣蔵。
いやーもう、これは凄すぎる。
正直、表題からは想像もつかない面白いストーリーでした。
何となく、年末になるとえんえん繰り返される、
おなじみの忠臣蔵かと、思っていたので、「おや?」
という感じで魅入ってしまいました。
冬、秋、春の季節感もうまく取り入れた絵面もきれいで
BGMとマッチしてこの作品の魅力となっています。
仕えた主君の為に、「卑怯者」と罵られても
自分の意思は捨ててその想いに一心に応える。
まさしく、忠義の人をこんなシナリオで演じるなんて・・。
嫁入りのシーンで自分は不覚ながら涙が止まらなかった。
娘の嫁入りがダブったのではない。男が生涯を賭けて
打ち込んだ結果がはっきりと出たからだ。
誰にも打ち明けられず、孤独で自分の心(気持ち)さえも
隠して打ち込んだつらい、つらい16年を思っての
我が涙である。
また、それを察した佐藤浩市の想いもその感情にさらに
感情を湧き起こす。
女の気持にも揺らがず、最後は自害して主君の元に逝く。
むしろ異常な同性愛的な重いさへ感じてしまう。
だが、私は思う「ザ・サムライ」とはこうあるべきなのだ。
男の生き方はこう有るべきかな。
そして、その爪の垢でも煎じて飲む様にしたい。
満足感一杯でした。
演技が映える!
アクションシーンがほとんどないため、役者の人たちの演技がとても映えていました。どのシーンをとっても素晴らしかったです。
改めて役所広司という俳優のすごさを実感しました。
他の役者さんたちにもとても目をひかれました。
「忠臣蔵」に詳しくない自分は、討ち入りから何年もたったのに、切腹しなければいけなかったのかと思うと同時に、新たに大切な人を作り、その人と幸せに、自分が育てた子の将来を見守るという選択はできなかったのかと思いました。
しかし、嫁入り行列のシーンでもわかりましたが、それだけ大石という人は素晴らしい人間だったのでしょう。
全体を通して静かな作品ですが、それによって登場人物たちの心情が浮き彫りになったように思います。そして役者の人たちの素晴らしい演技や、カメラワーク、音楽によってとても美しい映画になっています。最後までとても楽しめました。
時代劇ブームの真打ち
生き残った2人の武士に託された使命の重さを日本の美しき四季となぞらえ、繊細にかつ壮大な人情噺に仕上がっており、昨今の時代劇ブームの真打ちと評しても過言ではない力作で最後まで大号泣し、涙がとまらなかった。
『忠臣蔵』ならではの武士道を貫く男臭さと、人形浄瑠璃を取り入れた語り口はチョイと堅苦しいかな?と出足に不安を持ったが、敷居の高さを感じさせず、世界観に心酔できる。
純粋に感動できたのは主役2人のストイックな侍魂、協力する太夫の安田成美、上司の伊武雅刀etc.周囲の粋な計らいもさることながら、主君の忘れ形見の姫御陵・可音様を可憐で瑞々しく演じた桜庭ななみの眩しいぐらいの存在感。
全ては彼女に尽きる。
ストーリーとは別に、彼女にも百点満点。
つまり、今作は2百点満点である。
では最後に短歌を一首
『討ち入りの 果ての天命 尽くす四季 華と刀は 運命に染まる』
by全竜
完成度の高い職人芸。
今作の後にも年内は何本か観てるんだけど^^;
年の締めくくりに相応しく素晴らしい作品だった。
(例のサムライシネマキャンペーンもこれが最後)
…なんだろうか、この完成度の高さは。。
主役の二人+娘の見せ場はもとより、
とにかくその場面毎の風情がタダモノではない。
雪(は監督的に萌えるんでしょうが^^;)以外でも、
竹林・紅葉に彩られた四季の美しさ、
古民家の細部まで丹念に作られたセットの凄さ、
所々に挿入される人形浄瑠璃の様式と格式美、
照光の使い方(特にロウソクの灯)の的確な暗さ、
それぞれの衣装の色との相性もバッチリ決まり、
もうまるで、職人芸の世界。
この、要所要所での職人の的確な仕事ぶりが、
俳優陣にも伝わったんじゃないだろうか。更に
的確な演技の役所広司には非の打ちようがない。
彼に主演男優賞をあげたいくらいだ。
なぜこの物語がこういうタイトルなのか、は
彼の名演技で明らかになるが、それにしても…
劇場を出るまで涙がボロボロ流れて止まらない、
私も桜庭ななみ同様、孫左~孫左~(T_T)だった。
討ち入り直前に、大石内蔵助からの密命を受け
「死ぬことが許されなかった」赤穂浪士のふたり。
16年という歳月がどれほど長かったか(あるいは)
愛しかったか、辛かったか…まるで計り知れない。
しかし主君に忠義を尽す、という武士道の魂は
彼らの胸奥にしっかり根付き全く揺らがなかった。
それが故の悲しい結末が「忠臣蔵」となるのだが、
果たして本作の結末は…。
サラリと大石内蔵助を演じた片岡仁左衛門、
重要なお役目を演じた「北の国から」のあのヒト^^;、
美しすぎる安田成美、と豪華な顔ぶれに劣らない、
しっかりと筋の通ったテーマが最後まで続く。
私的に娘・可音とのケンカのやりとりなどが長いと
感じるシーンもあったが、その娘とのいきさつが
走馬燈の如く回想されるシーンでは、涙・涙・涙。。
娘を嫁がせる迄の父の気合と、
忠誠を誓い使命を全うする男。
頑固なまでに筋を通そうとする男を不器用と見るか、
潔いと見るか、扱い難いと感じるか、美しく思うか。
その全てが武士道に通じるような気がしてならない。
(可音が嫁いだのは商家。親心としてはそうなるか…)
感動感動やな
こうあったという武士の生き方を教えらました。男は自分をすてて主に忠実につかえ、女は見ず知らずの家に嫁に行く。どんなことがあっても自分の感情をすてて、すごいな昔の日本人は。
最後が納得いかない(>_<)
映画では終始、桜庭ななみさんの演技と美しさに圧倒されました。
役所さんも良かったですね。十三人の刺客の役よりもハマっていたと思います。誰かに尽くすタイプなんですね。きっと。
映画のテンポも良く飽きる事なく見れましたが、が、が、しかしあのラストはどうも納得出来ない気持ちでいっぱいです。切腹する前に可音と過ごした日々を思い返すほどなら、思い止まって欲しかった。嫁いだ後も彼が生きていれば支えになったはず。生きて責任をまっとうするのが本当の武士道だと思います。しかしここまで怒りが込み上げてくるほど作品の出来が良かったのでしょう。今年の時代劇映画No.1です。
大石内蔵助、もっと先を読んでよ
映画「最後の忠臣蔵」(杉田成道監督)から。
夫婦ペア割引で、一緒に鑑賞した妻は、帰り道で
「大石内蔵助、もっと先を読んでよ」と怒っていた。(笑)
その原因は、大石内蔵助が、
討ち入りの事実を後世に伝えるため生かされた、
寺坂吉右衛門(佐藤浩市)には
「生きて生きて、生き抜くのだ」と命令し、
「これがそちの大事な役目だ」と送り出したにもかかわらず、
自分の隠し子を守るために、密かに討ち入り前夜に逃亡させた
瀬尾孫左衛門(役所広司)には、
「生きて生きて、生き抜くのだ」と命じなかったことに、
納得がいかない様子だった。
目的を果たした武士(孫左衛門)が「武士道」と称して
割腹自殺するのは本人の勝手だが、
赤子から育てられ、全てにおいて頼りにし、恋心まで抱いていたていた
孫左衛門がいなくなったことをのちに知った時の、
姫の悲しみは、計り知れない・・と言うことだろう。
「私が嫁いだから・・」と結婚を後悔するシーンは、私でも想像できる。
だからこそ、大石内蔵助の隠し子を16年間育てた孫左衛門に
「生きて生きて、生き抜くのだ」と命じて欲しかったようだ。
最後の悲しい結末に、横で泣いているのかと思ったら、
その原因となった「もっと先を読まなかった、大石内蔵助」に
憤りを感じていた妻が可愛かった。
秀逸な作品だと思います。
まず、映画館に入って思ったこと。
あらっ、おじいさんおばあさんが多いわね~。
「忠臣蔵」って、日本武士の生き様をしっかり表したものですね。
そんな忠臣蔵の16年後の話。
身分は低くとも、武士として凛と生きる。
誰一人わかってくれる人がいない中、やり通さなくてはいけないこと。
生きることの辛さ、悲しみ。
≪武士とは不自由なもの≫
孫左衛門が守り抜いたのは、可音だけではなく、藩がなくなり、主君を失い、自責の念にかられながら生きる赤穂の元家臣達の、拠り所をも守っていたのですね。
役所さん、佐藤さんは元より、桜庭さんの存在感が話が進むに従って増してきました。
登場された皆さん、素晴らしいと思いました。
俳優さん達だけではなく、セットの素晴らしさにも驚きました。
すべてが、しっくりと馴染んでいるのです。
茶屋四郎次郎の大きな邸宅。店先。庭。
孫左衛門と可音が暮らす粗末な家。かまど。屋根。
夕霧の住む趣のある家。
浪士の遺族が住む粗末な小屋。
新藤のお屋敷。
その違いが、柱の一本であったり、壁の塗り方、剥がれ具合、畳の良さや粗末さ、掛け軸、襖など、隅々まで行き届いていたと思います。
人形浄瑠璃の使い方も、効果的だったと思います。
原作者池宮彰一郎は、晩年盗作嫌疑をかけられたのでしたね。
真偽のほどはわかりませんが、そんな原作者が生きた時代と、孫左衛門の生き様が、何だか重なって・・・、上映終了後も涙を拭きながら、しばらく席を立てませんでした。
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