時をかける少女のレビュー・感想・評価
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1983年版の続編!
本作品は「時をかける少女」と1983年版の映画「時をかける少女」と全く同じですが、内容は1983年版の続編になっています。
1983年版は一人の少女が理科実験室でラベンダーの香りを嗅いでしまったためにタイムリーㇷ゚をしてしまう話。
今作はその娘が主人公で、前作の主人公である母を助けるために過去へタイムリーㇷ゚する話です。
今作だけでも楽しめる内容になっていますが1983年版を見てからだともっと楽しめます。
ノスタルジーに浸れる感動のラブストーリー
原田知世さん主演の同タイトルの映画から27年経過した2010年に劇場公開された。
同タイトルだが新しいストーリー。
アニメ版の主役の声優を担当した仲 里依紗さんが、今作の実写版でも主人公に扮する。
今はおしどり夫婦として知られる夫の中尾明慶さんとの初共演。
中尾明慶さんの魅力的なキャラクターも見どころ。
アニメ版は、芳山和子(筒井康隆原作本の主人公)の姪が時をかけた。
実写版は、芳山和子の娘が母のために時をかける。
劇中(1974年)で制作した映画『光の惑星』という未来(2011年)の全貌(音声付きフルバージョン)は、円盤の特典DISKに収録されている。
芳山あかり(仲 里依紗)が笑えば笑いたくなるし、彼女が泣けば泣きたくなるほど感情移入した。
1970年代の様子が再現されていて、ノスタルジーに浸れる。
何だか心地よい作品
まず主演。アニメ映画版の主演の仲里依紗で驚きました。
しかも凄い合っているんですね、このキャスティングは本当良かったです。
こちらもアニメ版と同じくオリジナルストーリー。
オープニングから惜しげもなく、オリジナルの主題歌を使ってきましたね。
舞台が昭和で、その再現された部屋や街並みが良い感じです。
その他小物の集め方がハンパなくて、そっちばかりに目がいってました。
あまりタイムリープ感がなく、何だか終始ノスタルジックな落ち着いた作り。
やはりというか、仲里依紗の可愛さだけが印象に残ってしまいました。
それでも何だか心地よい作品ではありました。
アニメ版とは違う、原作その後
夢を壊された…
まー、ヒドイです。
コントみたいな演技、コメディ風な作風…
序盤10分ぐらいは特にヒドイ、マジでコントみたいで、早々と観るの、やめようかと思った…
絶句した(苦笑)
なんで、こんなコメディタッチなの?
20~30点ぐらい。
脚本は、概ね良いです。
役者は、石橋杏奈さん、青木崇高さん、石丸幹二さん、は良いです。
それ以外は、
演出、演技、キャスティング、いきものがかり、基本的に全部ダメです。
低評価!!!!!
昭和ノスタルジー
1974年の人に今年何年て聞いたら、ほぼ「昭和49年」と答えますねwww
この作品、とにかく当時のセット、小道具ばかりに目が行ってしまいます。
あぁこんなかなぁとか、これはちょっと後の時代とか、デフォルメされてるなとか、、、
いやいやよく集めてきたなぁとか、ロケ場所を探してきたなぁとか、セット作たなぁとか、
楽しませてもらえました。
昭和49年だとノストラダムスの大予言が出てたので、2010年から来たっていったら、「生き残ってたんですか?」と言われそうwww
終盤にかけて泣けてしまう“時かけ”。
細田版からオリジナルの要素を活かしつつも違うストーリーを構築させようとしている潮流。この作品でも改変というよりアナザーストーリーといった雰囲気で、芳山くんの娘のタイムトラベル恋愛を描いている。タイムリープした先で出会った映画監督志望の大学生・涼太に手伝ってもらい、なんとか深町一夫を探すことになった。2010年から来たと言ってもそれほど驚いた心理描写もなく、もしかすると既に死期を察していたんじゃないかと思える節もあった。吉田拓郎や、『海底大戦争』、ブルース・リーのポスターなど懐かしいグッズもさることながら、登場する懐かしい車など、かなり凝っていると感じる。リアル神田川のカップル、“ウケる”という言葉が通じない・・・サイケなヒッピーの恰好はちょっと時代が違うと思うが・・・
1974年に高速バスで38人が死亡という事故があったという設定。絶対、後半に絡んでくるとは思っていたけど、途中で忘れてしまっている。そう。この“時かけ”は記憶や忘却という動物の本能が見え隠れする映画なのだ。深町=ケン・ソゴルは例外に洩れず、この映画の主人公の記憶を消そうとするのであるが、あかり(仲)は好きになったオタク大学生が秋田行きのバスに乗り込むのを何とか止めようとするのだ。しかし、「未来から来た者は歴史を変えてはならない」とルールに忠実なケン・ソゴルに邪魔され、彼女は記憶を消される・・・そして撮った8ミリ映画のフィルムをあかりのポケットに忍ばせる優しさも見せる。まぁ、これがノスタルジックな雰囲気を盛り上げるんだけどね。
もう一つ、涼太の相棒カメラマンが芳山母子から去った実の父親だったということも伏線として存在するが、ここはもうひとつ脚本をひねってほしいところか。
アニメが良かっただけに。
アニメが良かっただけに期待して、残念でした。ほとんどタイムトラベルしないし、最初と最後ちょっとだけ。
無駄に、拒否してから、受け入れたり、タイムトラベルできないと見せかけてしたり無駄も多い。
中尾夫妻による中尾夫妻のための映画!!
ストーリーがつまらない上、中尾夫妻に魅力が感じられず苦痛です。仲里依紗はさすがに現在より若いですが騒がしい黒ギャルのような印象で、70年代のキャストさんの方が断然清楚で可愛いです。中尾夫婦のつまらないやり取りが続き、1時間20分過ぎまでSFの本筋は進まずとてもテンポが悪いです。ラストも特に感動はなく大昔のドラマのような感じでした。70年代の部屋はテレビも当然スマホもなく、会話中心の生活なのは現代が大きく失ったものなのでそこは良かったです。
原田知世、そしてアニメバージョンがとても素晴らしいことが、この映画...
原田知世、そしてアニメバージョンがとても素晴らしいことが、この映画の評価を下げている気がします。
なかなかどうして良い映画です。ラストの衝撃展開は予想出来ませんでした。仲里依紗もとてもかわいい。かわいすぎて、中尾明慶が懇ろになりすぎたことが、この映画の評価を下げている第2の原因かも(笑)
見る価値は充分ありです。
もうすぐテレビドラマが始まるようですね。楽しみです。
更なる"時かけ"現象は起こるのか?
このシリーズの凄いところは、基本的な設定・ルールをそのまま生かして、その時々に合わせた新たなストーリーを構築しているところ。
それぞれに違った味わいが有るのが大したものだと思う。
角川3人娘の末っ子として売り出す為に製作された原田知世版。まだまだ彼女の知名度自体が無かった為に、当時は薬師丸ひろ子と松田優作主演の探偵物語との2本立てで、初日の舞台挨拶も、薬師丸が華やかなフラッシュを浴びていて主役だった。あの時同じ舞台に原田知世が立って居たのかどうか?その記憶すら危うい。
所詮『時をかける少女』は添え物扱いだったから…。
それが長い年月をかけてジワジワとカルト的な人気を受ける様になるのだから!
2006年、新たな《時かけ》伝説がアニメ化によってもたらされる。
上映終了直後、劇場を出る若者達(寧ろオタク族に近い感じの…)が全員、怖いくらいのテンションで誰彼構わず(そんな感じに見えた)感想を話し始める異常とも思える雰囲気には圧倒された。
あれから4年。更なる《時かけ》伝説は果たして起こるのだろうか?
結論から言えば、おそらくそれは無いかも知れない。
何故ならば、原田版。アニメ版。そして今回と、常に《切ないラブストーリ》なのは同じ。実は原田版の予習を怠っているので、アニメ版との違いで考えて見る。
アニメーションとなるとちょっとした考え方の違いだけでも、物凄い反論をされたりする事も有るので、予め“あくまでも個人的な意見なので”と、先に断っておきます。
笑って笑って、最後に泣かす。複雑に絡み合ったストーリーに、巧妙に貼られる伏線。
何よりも2人の感情の盛り上がりから、「行け〜!」や、「絶対会いに行く…」※1
等の名場面を生んだ。“恋愛ど真ん中”で描かれた男女の恋愛劇。
そんなアニメ版と比べると、今回は分かり易さを追求した普通の娯楽作品を目指している。だから数多い伏線は、それ程巧妙には仕掛けられていない。寧ろ呆気ない位に画面に提示されたりするので、構成上の深みは無い。いや、どちらかと言えばそんなオタクの心を虜にする様な要素は、初めから拒否している感じにも見受けられた。
但し、肝心の母親がどうしても《深町君》に伝えたかった気持ちは、映画を観終わるとそれ程観客にその意図は伝わり難いし、主人公の少女がどうしても知りたかった父親の存在。その父親と母親との、一見『バック・トゥ・ザ・フューチャー』になりそうな設定すら、どこか中途半端なまま終わらせてしまっている感じなのは勿体無い。
1974年とゆう時代設定を知っていると、より楽しめるのは間違い無いところでは有ります。「ああ!そうそう!!」…と。
こればかりは年寄りの特権ですな(1972年だと、ブルース・リーのポスターは貼れないのですよ!)※2
原田版にはその過去の描写はそれ程重要では無かった様な記憶が有るのですが、なにぶん確認をしていない。
アニメ版は寧ろ時代に逆行した様なグラフィックが、ひと夏の陽炎の様に多くの人の感受性を刺激していたと思う。
今回の時代設定による違和感は、観る人によって様々な反応が有りそうな気がする。
予告編で使われていた携帯等の小道具は、(写真機能等)もっと上手い使い方が有るだろうし。
今の若い人にとっては、当時の風俗的描写は、アニメ版の反応に比べたら低いだろう…と言った推測は容易い。
(8ミリの撮影中に映り込む室外機が思いっきり最新式だったりするのには、敢えて目を瞑ろう)
また、相手役の中尾明慶の“未来から来た人”に対する反応がすんなりし過ぎている…って言うか、まぁ!彼のキャラクター設定が、映画ファンの心をチクチクと刺激する元祖オタク系だから、許せる範囲では有りますが…。
映画の冒頭に映る蟻。母親が密かに開発した薬で有る出来事が起こる。
ラベンダーの匂いに隠された1972年の思い出。
《歴史を変える事は許されない》
タイムリープに課されたルールの掟は守られなければならない。
その為に主人公のあかりには、悲しい現実が最後には待ち受けている。
しかし、本当に歴史は変えられなかったのか?
映画本編の描写には描かれなかったのだが、実際には歴史はほんのちょっぴり変えられていたのだ!
冒頭の蟻の○に、僅かにヒントが隠されていた。
蟻は問題じゃない。蟻の○も本当は問題じゃない。
母親が作り上げたタイムリープの薬の○は、蟻の○にヒントが隠されていたのだった。それによって命を救われた人物が居た事実。
母親は、《彼》から写真を渡された事で記憶の糸が繋がり、急いで“1974年”へ飛んだ筈なのだ。だからこそ帰り道では、《深町》くんに“その罪”を告白する為に、初めて出会った1972年に飛びたかったのではなかったのか?
だからその○しか薬は作っておかなかった。
歴史を変えてしまい。その罪を告白し、今の時代に帰って来られる為には、その○だけの薬がどうしても必要だったのだから。だから残りの薬でどうしても…。
だから、そのメッセージを娘に託したのでは?
アニメ版の様にお互いの「好き」とゆう気持ちを確認する様な事は無い。
あくまでも、気持ちを伝えたいけど伝えきれない…その2人の“切ない想い”が映画の中盤からどんどん増して来る。
“もう2度とは会えなくなる”
その想いが胸を強く締め付けて来る。
それをより鮮明に浮き上がらせるのが、最後に伝わった一行の慎ましいまでのメッセージ。
好きな人と同じ時代を共有したいのに、それが叶わない。同じ時代を生きてはいけないとゆう掟。
だからどうしても「好き」とゆう一言が言えない。
想いだけがどんどん増幅されて行く。2人の慎ましい恋愛事情。※3
だから最後の、8ミリに映し出された彼女の後ろ姿には、本人同様の涙がこのシリーズを観て初めて流れた。
やはり仲里依紗は、若手の女優さんの中に有って、抜群の演技力が有る事を確認出来る。
だから個人的にはこう叫びたい…。
「この《時かけ》が一番好きだ!」
※1 「絶対会いに行く…」→「未来で待ってる」でしたね。全く忘れっぽいな俺は…まぁいいや、残しちゃえ(汗)
※2 以前レビューを書いていたサイトにリンクしていたサイトには、『ドラゴン怒りの鉄拳』等のポスターが、1974年2月の時点で手に入り、部屋に貼られているのはおかしい…との指摘があり、「嗚呼!確かにそうかもしれないなぁ〜」と思った。『燃えよドラゴン』の公開が確か1973年の12月で、延々1年間のロングランヒットとなり、『ドラゴン危機一発』。続いて『ドラゴン怒りの鉄拳』と、公開が続いて行く訳だから…。
まぁ、個人的には大騒ぎする程でも…とは思うんですが。
※3 数年後に作品のファンには大サプライズが待ち受けていたのであった。
(2010年3月15日新宿ピカデリー/スクリーン6)
仲里依紗の存在感のみ
1983年に大林宣彦監督が製作した『時をかける少女』を、その後の続編的位置づけで再構築した作品。監督の谷口正晃、脚本の菅野友恵、ともに初作品。
大林版で原田知世が演じた和子が大人になり、あるキッカケから深町一夫との約束を思い出す。そんな時に事故にあった和子は、自分が開発したタイムリープをするための薬を娘・あかりに託し意識を失う。あかりは過去に行って母との約束を果たせば、母の意識が戻ると考えて、過去へと向う……。
圧倒的に娘・あかりを演じた仲里依紗の存在感だけで成立している。
『時をかける少女』といえば、細田守監督がアニメ版として見事に再構築しているわけだが、本作は、そんな細田版のような作品的な面白さはない。その細野版で主人公・真琴の声優を担当し、視聴者に強烈な印象を残した仲里依紗に、実写で『時かけ』を演じさせるためだけに企画されたんだろう。
細野版は、大林版の設定をあまり借りずに、むしろ筒井康隆の原作から設定を借りて、現代的でかつ細野監督オリジナル構成の『時かけ』を作り出したのだが、本作は、大林版をベースにし、その後の世界が主人公の住む世界という設定だ。そこから1974年(和子が深町と出会った2年後)にタイムリープする。ところが、設定が大雑把すぎる。そもそも、冒頭で和子がタイムリープの薬を完成させるんだが、なぜそんな薬を開発する事になったのか、どうやって開発したのか、全く不明のままだ。そこからして雑過ぎる。その後も、設定や構成が雑のまま過ぎて行く。これが、細野版の前に製作されていれば、まぁ悪くなかったんだが、細野版の後でこんな『時かけ』を見せられても、どうにも微妙な気持ちにさせられる。
もっとも、大林版も設定や構成はかなり雑(というか難解)で、あの作品も原田知世ありきだったのだから、本作が仲里依紗の存在感だけであったとしても、それはそれでアリなんだろうと思う。
どうせつまらないんだろう
そう思って早4年…。
まず反省しました。
アニメしか知らない人は特に抵抗を感じるのかなとか考えながら見たのですが、…多分こんな結末は誰も予想もしないと思います笑
もし、アニメの”マコトとチアキ”の関係で切ないと感じていたのなら実写の映画は切ない所ではないでしょうね!!
この映画を観に行った方の大半は原田さんの時かけを知っている人だと勝手に思い込んでますが…
アニメのファンの方でも(内容が好きなのであれば)確かに楽しめるかもしれません
昭和というだけで抵抗する人もいる世の中なので…
正直光を浴びることは…ないのかもと思ったりします
ボロ泣きする可能性がありますが果たしてそこまで見てられるかな?笑
これを読んで一人でも興味が湧いたら嬉しいですね
特にラストシーンのリアル感に好感
このシリーズは外れがない気がする。アニメ版も面白かったし、ご都合主義的な展開にはならないし、話の筋は通っているし、良作。特にラストシーンのリアル感に好感。
若さを感じる(公開時に書いたブログから抜粋)
「見に行ってよかった」
ほかの人がどう評価するのか知らないが、おれにとっては今まで見た映画の中でもいちばん良かった(かも)くらい。
今回の「時をかける少女」の内容だけによるものじゃなく、原田知世主演のをロードショーで見に行った(たしか舞台挨拶も見たような気がするので有楽町とかで見たんだろう)記憶にもすごく気持ちを揺さぶられた。
(前作、その後テレビ放映とかで見ると背景合成シーンのあまりのできの悪さに笑ってたけど)
今回の映画見てて「本当に映画っていいな!すごいな!」って思った。
前作、たぶん26?27年前に見て、今年版見て、自分の中で思い出される記憶と映画の中で再現されるシーン(当然演者はちがうんだけど)と絶妙に気持ちに絡んできて泣いた。今年版の主役の女の子(仲里依紗ちゃんと言う子)良かったし、前作の主人公が母で娘が今年版の主人公となるんだけど今年版の主人公もまた消される記憶の中に涙を残して終わる・・・。
前作を見ててよかった、と思った。
今年版見て、映画じゃなければ絶対こんな気持ち感じられないなー。と思った。
アニメ版も全く違うストーリーとして素直に「いい映画だな」と思った。
リメイクとか毎年「1」「2」「3」とかのシリーズものじゃなく、時間が経ってるからこその絶妙のストーリー。
おれが生きてるうちにまたいつか「時をかける少女」新作見られるかな、って気持ちになる。
例えばアバターとか見て間違いなく面白い映画だと思った。
でもアバターはDVD出て借りてきていつ見たとしても「単品ではすごく面白い映画」として見られる。
「時をかける少女」は、映画館で前作を見た”時”と今年版を見た”時”が(多分作品にもそういう意図が)絶妙に絡まる。
前作と今年版をDVD借りてきて続けて見てもきっと今日感じた気持ちにはならなかった。
映画じゃなきゃできないことってこれだよなー!って今日、心のそこから思いました。個人的には最高の気分です。
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