時をかける少女のレビュー・感想・評価
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記憶は消されても心で覚えている
2010年公開作品
2度目の鑑賞
今回もTSUTAYAレンタルDVDで鑑賞
なぜかこの劇場版だけどうが配信されていない
頼むよU-NEXT
監督は『乱反射(2011)』『スノーフレーク』『シグナル 月曜日のルカ』『BUNGO ささやかな欲望 【告白する紳士たち編】「幸福の彼方」』『ミュジコフィリア』の谷口正晃
脚本は『乱反射(2011)』『味園ユニバース』『影踏み』『浅田家!』『夏への扉 キミのいる未来へ』『わたしの幸せな結婚』の菅野友恵
『時をかける少女』の続編という形
主人公は前作のヒロイン芳山和子の娘の芳山あかり
父親は物心がつく前にいなくなり母の姓を名乗っている
交通事故の影響で頭を打ち昏睡状態になるも病院で目覚めた芳山和子
母の代わりに深町一夫に会うためタイムリープしたものの記憶違いで、たどり着いたのは1972年ではなく1974年でしかも高校の実験室ではなく大学
タイムリープする際に衝突した1974年の映画オタクの青年溝呂木涼太のいとこという設定で彼が住むアパートの一室で同居することに
2010年の芳山和子が原田知世ではない
大林宣彦監督は彼女が出演することを強く望んだのだが
ちょうど彼女は2008年から2010年まで俳優業を休業していたようだ
ナレーションやCMには出演していたが
理由はわからない
和子の幼馴染の吾朗だが前作と今作ではなぜか苗字が違う
アニメに続いてヒロインは仲里依紗
今回もコミカルな内容
この作品で2011年の日本アカデミー賞新人賞を受賞しているが2009年にも『純喫茶磯辺』で別のコンクールで新人賞を獲得している仲里依紗
当時20歳くらいか
1974年に自主制作映画で2011年の起きた大規模な地殻変動を予測?した溝呂木涼太
2025年7月5日の予言は全くの無能だったがあんなデマ信じる人ってなんなの?
くたばれノストラダムス
転落事故で全員が亡くなった能代行きの夜行バスに溝呂木涼太が乗っていたことが感動ポイント
舞台は尾道から横浜に
事情を全く知らないと大林宣彦監督の尾道への異常とも思える執着は理解し難いが彼の出身地と分かれば合点がいく
しかし谷口監督は京都出身で脚本家の菅野は千葉出身
尾道とは縁もゆかりもない
新宿バスターミナルのシーンは実際にそこを借りたわけでなく高崎市にある群馬音楽センターを借りて当時のそれを再現したらしい
桜並木の土手は福島県郡山市の開成山公園
今年6年ぶりに一軍公式戦の楽天戦が開催されたヨーク開成山スタジアムがあるところ
この映画とは全く関係ない余談だがヨークはネーミングライツだけどヨークだけだとヨークベニマルが思い浮かばず開成山ヨークベニマルスタジアムの方が良かったのではなかろうか
ジャッケットにも使われている疾走する仲里依紗の横顔のシーンは青山一丁目
神宮外苑ジョギングコース
エンディングテーマを歌うのは仲里依紗ではなく「いきものがかり」の吉岡聖恵
ギョエー!残念でした!
まあエンドロールで原田知世が歌う「時をかける少女」までオマージュしなくていいでしょ
なぜ溝呂木涼太役に当時流行りのイケメン俳優を抜擢せず中尾明慶という中途半端なブサイクを起用したのか疑問だった
のちに仲里依紗と中尾明慶は結婚することになり思えばこの作品が出会いの場だとすれば感慨深い
因みにあかりの女友達役の田島ゆみかはのちに『サマータイムマシンブルース』で未来人の役をやった本多力と結婚し子供もできた
あんなしょぼい顔の男でも女優と結婚できる
感慨深い
配役
母が勤める大学に合格した高校3年生の芳山あかりに仲里依紗
8ミリビデオで2011年の未来を描いたSF映画を撮っている映画監督志望の青年で秋田県能代出身の溝呂木涼太に中尾明慶
あかりの母で薬学者として大学勤務の芳山和子に安田成美
和子の幼馴染の浅倉吾朗に勝村政信
2695年からやって来た中年の深町一夫(ケン・ソゴル)に石丸幹二
涼太と共に映画作りをしているカメラマンのゴテツこと長谷川政道に青木崇高
1974年の芳山和子に石橋杏奈
1974年の浅倉吾朗に千代將太
1972年の深町一夫に加藤康起
涼太と同じアパートに住み涼太の映画に出演している役者の卵で2010年にはベテラン売れっ子俳優として活躍している市瀬ナツコにキタキマユ
涼太と同じアパートに住み涼太の映画に出演している役者の卵の門井徹に松下優也
あかりの友人で一緒に『光の惑星』を鑑賞する堀田恭子に田島ゆみか
あかりの友人で一緒に『光の惑星』を鑑賞する元宮悟に柄本時生
看護婦に肘井美佳
1983年版の続編!
ノスタルジーに浸れる感動のラブストーリー
原田知世さん主演の同タイトルの映画から27年経過した2010年に劇場公開された。
同タイトルだが新しいストーリー。
アニメ版の主役の声優を担当した仲 里依紗さんが、今作の実写版でも主人公に扮する。
今はおしどり夫婦として知られる夫の中尾明慶さんとの初共演。
中尾明慶さんの魅力的なキャラクターも見どころ。
アニメ版は、芳山和子(筒井康隆原作本の主人公)の姪が時をかけた。
実写版は、芳山和子の娘が母のために時をかける。
劇中(1974年)で制作した映画『光の惑星』という未来(2011年)の全貌(音声付きフルバージョン)は、円盤の特典DISKに収録されている。
芳山あかり(仲 里依紗)が笑えば笑いたくなるし、彼女が泣けば泣きたくなるほど感情移入した。
1970年代の様子が再現されていて、ノスタルジーに浸れる。
何だか心地よい作品
アニメ版とは違う、原作その後
昭和ノスタルジー
終盤にかけて泣けてしまう“時かけ”。
細田版からオリジナルの要素を活かしつつも違うストーリーを構築させようとしている潮流。この作品でも改変というよりアナザーストーリーといった雰囲気で、芳山くんの娘のタイムトラベル恋愛を描いている。タイムリープした先で出会った映画監督志望の大学生・涼太に手伝ってもらい、なんとか深町一夫を探すことになった。2010年から来たと言ってもそれほど驚いた心理描写もなく、もしかすると既に死期を察していたんじゃないかと思える節もあった。吉田拓郎や、『海底大戦争』、ブルース・リーのポスターなど懐かしいグッズもさることながら、登場する懐かしい車など、かなり凝っていると感じる。リアル神田川のカップル、“ウケる”という言葉が通じない・・・サイケなヒッピーの恰好はちょっと時代が違うと思うが・・・
1974年に高速バスで38人が死亡という事故があったという設定。絶対、後半に絡んでくるとは思っていたけど、途中で忘れてしまっている。そう。この“時かけ”は記憶や忘却という動物の本能が見え隠れする映画なのだ。深町=ケン・ソゴルは例外に洩れず、この映画の主人公の記憶を消そうとするのであるが、あかり(仲)は好きになったオタク大学生が秋田行きのバスに乗り込むのを何とか止めようとするのだ。しかし、「未来から来た者は歴史を変えてはならない」とルールに忠実なケン・ソゴルに邪魔され、彼女は記憶を消される・・・そして撮った8ミリ映画のフィルムをあかりのポケットに忍ばせる優しさも見せる。まぁ、これがノスタルジックな雰囲気を盛り上げるんだけどね。
もう一つ、涼太の相棒カメラマンが芳山母子から去った実の父親だったということも伏線として存在するが、ここはもうひとつ脚本をひねってほしいところか。
中尾夫妻による中尾夫妻のための映画!!
原田知世、そしてアニメバージョンがとても素晴らしいことが、この映画...
更なる"時かけ"現象は起こるのか?
このシリーズの凄いところは、基本的な設定・ルールをそのまま生かして、その時々に合わせた新たなストーリーを構築しているところ。
それぞれに違った味わいが有るのが大したものだと思う。
角川3人娘の末っ子として売り出す為に製作された原田知世版。まだまだ彼女の知名度自体が無かった為に、当時は薬師丸ひろ子と松田優作主演の探偵物語との2本立てで、初日の舞台挨拶も、薬師丸が華やかなフラッシュを浴びていて主役だった。あの時同じ舞台に原田知世が立って居たのかどうか?その記憶すら危うい。
所詮『時をかける少女』は添え物扱いだったから…。
それが長い年月をかけてジワジワとカルト的な人気を受ける様になるのだから!
2006年、新たな《時かけ》伝説がアニメ化によってもたらされる。
上映終了直後、劇場を出る若者達(寧ろオタク族に近い感じの…)が全員、怖いくらいのテンションで誰彼構わず(そんな感じに見えた)感想を話し始める異常とも思える雰囲気には圧倒された。
あれから4年。更なる《時かけ》伝説は果たして起こるのだろうか?
結論から言えば、おそらくそれは無いかも知れない。
何故ならば、原田版。アニメ版。そして今回と、常に《切ないラブストーリ》なのは同じ。実は原田版の予習を怠っているので、アニメ版との違いで考えて見る。
アニメーションとなるとちょっとした考え方の違いだけでも、物凄い反論をされたりする事も有るので、予め“あくまでも個人的な意見なので”と、先に断っておきます。
笑って笑って、最後に泣かす。複雑に絡み合ったストーリーに、巧妙に貼られる伏線。
何よりも2人の感情の盛り上がりから、「行け〜!」や、「絶対会いに行く…」※1
等の名場面を生んだ。“恋愛ど真ん中”で描かれた男女の恋愛劇。
そんなアニメ版と比べると、今回は分かり易さを追求した普通の娯楽作品を目指している。だから数多い伏線は、それ程巧妙には仕掛けられていない。寧ろ呆気ない位に画面に提示されたりするので、構成上の深みは無い。いや、どちらかと言えばそんなオタクの心を虜にする様な要素は、初めから拒否している感じにも見受けられた。
但し、肝心の母親がどうしても《深町君》に伝えたかった気持ちは、映画を観終わるとそれ程観客にその意図は伝わり難いし、主人公の少女がどうしても知りたかった父親の存在。その父親と母親との、一見『バック・トゥ・ザ・フューチャー』になりそうな設定すら、どこか中途半端なまま終わらせてしまっている感じなのは勿体無い。
1974年とゆう時代設定を知っていると、より楽しめるのは間違い無いところでは有ります。「ああ!そうそう!!」…と。
こればかりは年寄りの特権ですな(1972年だと、ブルース・リーのポスターは貼れないのですよ!)※2
原田版にはその過去の描写はそれ程重要では無かった様な記憶が有るのですが、なにぶん確認をしていない。
アニメ版は寧ろ時代に逆行した様なグラフィックが、ひと夏の陽炎の様に多くの人の感受性を刺激していたと思う。
今回の時代設定による違和感は、観る人によって様々な反応が有りそうな気がする。
予告編で使われていた携帯等の小道具は、(写真機能等)もっと上手い使い方が有るだろうし。
今の若い人にとっては、当時の風俗的描写は、アニメ版の反応に比べたら低いだろう…と言った推測は容易い。
(8ミリの撮影中に映り込む室外機が思いっきり最新式だったりするのには、敢えて目を瞑ろう)
また、相手役の中尾明慶の“未来から来た人”に対する反応がすんなりし過ぎている…って言うか、まぁ!彼のキャラクター設定が、映画ファンの心をチクチクと刺激する元祖オタク系だから、許せる範囲では有りますが…。
映画の冒頭に映る蟻。母親が密かに開発した薬で有る出来事が起こる。
ラベンダーの匂いに隠された1972年の思い出。
《歴史を変える事は許されない》
タイムリープに課されたルールの掟は守られなければならない。
その為に主人公のあかりには、悲しい現実が最後には待ち受けている。
しかし、本当に歴史は変えられなかったのか?
映画本編の描写には描かれなかったのだが、実際には歴史はほんのちょっぴり変えられていたのだ!
冒頭の蟻の○に、僅かにヒントが隠されていた。
蟻は問題じゃない。蟻の○も本当は問題じゃない。
母親が作り上げたタイムリープの薬の○は、蟻の○にヒントが隠されていたのだった。それによって命を救われた人物が居た事実。
母親は、《彼》から写真を渡された事で記憶の糸が繋がり、急いで“1974年”へ飛んだ筈なのだ。だからこそ帰り道では、《深町》くんに“その罪”を告白する為に、初めて出会った1972年に飛びたかったのではなかったのか?
だからその○しか薬は作っておかなかった。
歴史を変えてしまい。その罪を告白し、今の時代に帰って来られる為には、その○だけの薬がどうしても必要だったのだから。だから残りの薬でどうしても…。
だから、そのメッセージを娘に託したのでは?
アニメ版の様にお互いの「好き」とゆう気持ちを確認する様な事は無い。
あくまでも、気持ちを伝えたいけど伝えきれない…その2人の“切ない想い”が映画の中盤からどんどん増して来る。
“もう2度とは会えなくなる”
その想いが胸を強く締め付けて来る。
それをより鮮明に浮き上がらせるのが、最後に伝わった一行の慎ましいまでのメッセージ。
好きな人と同じ時代を共有したいのに、それが叶わない。同じ時代を生きてはいけないとゆう掟。
だからどうしても「好き」とゆう一言が言えない。
想いだけがどんどん増幅されて行く。2人の慎ましい恋愛事情。※3
だから最後の、8ミリに映し出された彼女の後ろ姿には、本人同様の涙がこのシリーズを観て初めて流れた。
やはり仲里依紗は、若手の女優さんの中に有って、抜群の演技力が有る事を確認出来る。
だから個人的にはこう叫びたい…。
「この《時かけ》が一番好きだ!」
※1 「絶対会いに行く…」→「未来で待ってる」でしたね。全く忘れっぽいな俺は…まぁいいや、残しちゃえ(汗)
※2 以前レビューを書いていたサイトにリンクしていたサイトには、『ドラゴン怒りの鉄拳』等のポスターが、1974年2月の時点で手に入り、部屋に貼られているのはおかしい…との指摘があり、「嗚呼!確かにそうかもしれないなぁ〜」と思った。『燃えよドラゴン』の公開が確か1973年の12月で、延々1年間のロングランヒットとなり、『ドラゴン危機一発』。続いて『ドラゴン怒りの鉄拳』と、公開が続いて行く訳だから…。
まぁ、個人的には大騒ぎする程でも…とは思うんですが。
※3 数年後に作品のファンには大サプライズが待ち受けていたのであった。
(2010年3月15日新宿ピカデリー/スクリーン6)
仲里依紗の存在感のみ
1983年に大林宣彦監督が製作した『時をかける少女』を、その後の続編的位置づけで再構築した作品。監督の谷口正晃、脚本の菅野友恵、ともに初作品。
大林版で原田知世が演じた和子が大人になり、あるキッカケから深町一夫との約束を思い出す。そんな時に事故にあった和子は、自分が開発したタイムリープをするための薬を娘・あかりに託し意識を失う。あかりは過去に行って母との約束を果たせば、母の意識が戻ると考えて、過去へと向う……。
圧倒的に娘・あかりを演じた仲里依紗の存在感だけで成立している。
『時をかける少女』といえば、細田守監督がアニメ版として見事に再構築しているわけだが、本作は、そんな細田版のような作品的な面白さはない。その細野版で主人公・真琴の声優を担当し、視聴者に強烈な印象を残した仲里依紗に、実写で『時かけ』を演じさせるためだけに企画されたんだろう。
細野版は、大林版の設定をあまり借りずに、むしろ筒井康隆の原作から設定を借りて、現代的でかつ細野監督オリジナル構成の『時かけ』を作り出したのだが、本作は、大林版をベースにし、その後の世界が主人公の住む世界という設定だ。そこから1974年(和子が深町と出会った2年後)にタイムリープする。ところが、設定が大雑把すぎる。そもそも、冒頭で和子がタイムリープの薬を完成させるんだが、なぜそんな薬を開発する事になったのか、どうやって開発したのか、全く不明のままだ。そこからして雑過ぎる。その後も、設定や構成が雑のまま過ぎて行く。これが、細野版の前に製作されていれば、まぁ悪くなかったんだが、細野版の後でこんな『時かけ』を見せられても、どうにも微妙な気持ちにさせられる。
もっとも、大林版も設定や構成はかなり雑(というか難解)で、あの作品も原田知世ありきだったのだから、本作が仲里依紗の存在感だけであったとしても、それはそれでアリなんだろうと思う。
どうせつまらないんだろう
そう思って早4年…。
まず反省しました。
アニメしか知らない人は特に抵抗を感じるのかなとか考えながら見たのですが、…多分こんな結末は誰も予想もしないと思います笑
もし、アニメの”マコトとチアキ”の関係で切ないと感じていたのなら実写の映画は切ない所ではないでしょうね!!
この映画を観に行った方の大半は原田さんの時かけを知っている人だと勝手に思い込んでますが…
アニメのファンの方でも(内容が好きなのであれば)確かに楽しめるかもしれません
昭和というだけで抵抗する人もいる世の中なので…
正直光を浴びることは…ないのかもと思ったりします
ボロ泣きする可能性がありますが果たしてそこまで見てられるかな?笑
これを読んで一人でも興味が湧いたら嬉しいですね
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