スプリング・フィーバー : 映画評論・批評
2010年11月2日更新
2010年11月6日よりシネマライズほかにてロードショー
求めなければ生きられない人々の狂おしい渇望
ロウ・イエは様々な都市や時代を舞台に、毎回異なる関係を取り上げてきたが、物語は一貫してラブストーリーであった。今回はいまだ中国でタブー視されている同性愛が題材である。しかし彼が恋愛映画の監督かといえば、そうも言えない。
どの作品の主人公も宿命的に背負わされているのは後悔と無力感、そして大いなる喪失感。つまり彼らの激しさは恋愛における情熱ではなく、失ったものを何とか補填しようとする情熱なのである。だが失ったものに取って代わるものなどあるはずもなく、結局情熱と虚無感によって穴は更に大きくなり、彼らは苦しみ漂泊していくしかない。妥協することも引き返すこともできない、しかし求めずにはいられない。そうしなければ生きられない人々の狂おしい渇望こそが、ロウ・イエの描きたいものであり、彼の作品を輝かせている源なのである。
ある日を境に突然すべてが変わってしまい、どうにもできない無力感だけが残る、というどの作品にも共通するやるせなさは、彼が学生時代に天安門事件を経験した世代であることと深い関わりがあるに違いない。
以前、ロウ・イエ自身は登場人物たちについて、「どんなに苦しくとも、求め続ける人は幸せだと思う。なぜなら彼らは、人よりたくさんのものを人生で得られるのだから」と語ってくれたことがある。
「スプリング・フィーバー」に共感するのは同性愛者ではなく、求め続けるリスクの大きさとその苦い甘味を知っている人だろう。
(木村満里子)