劇場公開日 2010年10月2日

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シングルマン : 映画評論・批評

2010年9月21日更新

2010年10月2日より新宿バルト9ほかにてロードショー

コリン・ファースの演技が伝える美しい悲嘆と端正な悔恨

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フレームを悲嘆が満たす。

フレームに悔恨があふれる。

といって、感傷で水浸しの映画ではない。むしろ逆だ。フレームは端正な姿を崩さない。美しい横顔もゆがめない。泣きわめくことは絶えてないし、嗚咽や涙のしずくを覗かせることも固く禁じられている。

描かれるのは、1962年の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ(人生の一日)」だ。ただし、ア・デイというよりはザ・ラスト・デイと呼ぶほうが適切かもしれない。主人公のジョージ(コリン・ファース)は、翌朝を迎える前にみずから人生の幕を引こうとしている。

ジョージは、16年間同棲していた恋人のジムを交通事故で失った。痛みは深い。傷は癒えない。悲しみは深まるばかりだ。そこで彼は決断する。勤めている大学の研究室を整理し、貸し金庫の中身を空にし、知人が着せてくれるはずの死装束も枕もとに整える。だが、ことは予定どおりには運ばない。

フレームの美しさに対置されるのは、ジョージに扮したファースの演技だ。いや、対置といわず並置というべきか。英国からロサンゼルスへ移住してきたという設定にふさわしく、ジョージは面白い英語を喋る。より具体的にいうなら、キングズ・イングリッシュとカリフォルニア米語の絶妙なブレンド。

英国生まれのファースは、この仕事をなんとも滑らかにこなす。監督が著名なデザイナーのトム・フォードであることを思えば、映画に出てくる家や車や服の趣味が抜きん出ているのは当然だろうが、ファースの芝居も非常に趣味がよい。少なくとも、彼の英語は私の耳に快く響いた。ああ、そうかと私は思った。ファースの演技は、フォードの美学を完成させる最後のピースだった。美しい悲嘆や端正な悔恨は、やはり生身の肉体を通さなければ観客の心に沁みわたらない。

芝山幹郎

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