冬の小鳥のレビュー・感想・評価
全6件を表示
【父に孤児院に入れられた少女を演じた天才子役キム・セロンの表情が切ない作品。思わず”頑張れ!”と脳内で思ってしまう作品でもある。】
ー ご存じの通り、今作で父に孤児院に入れられた少女ジニを演じた天才子役キム・セロンは、今作後「アジョシ」「私の少女」でも、印象的な役を見事に演じた女優である。
今や、美しい女性に成長されて活躍されている。
だが、今作での幼き彼女の表情、大好きだった父に捨てられた哀しみによる行動は切ない。-
■1975年、韓国のソウル郊外の孤児院が舞台。
父(一瞬しか映されないが、名優ソル・ギョング)に買って貰った洋服と靴を履いた幼い少女・ジニ(キム・セロン)が、大好きな父に連れてこられたのは孤児院だった。
自分は孤児ではないと主張し、父が迎えにくると信じるジニは、頑なに孤児院のシスターや子供達に馴染もうとせず、笑顔を一切見せずに、反抗的な態度を繰り返す。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・この映画は、ジニを演じた幼きキム・セロンに演技に尽きると思う。
・大好きな父に捨てられた事を受け入れられず、反抗的な態度を取り続けるジニの姿が観ていて、実に切ない。
・父が、新しい母と赤子と新しい家庭を築く中、彼女は孤児院に入れられたのだ。それが、父による彼女を思い遣っての事だとしても、心の傷は深いだろう。
・そんなジニは、冬の寒さで死んだ小鳥と自分を重ね合わせるシーンは特に切ない。小鳥を埋めたお墓を掘り起こし、自分がその穴に入って土を掛けるシーン。
■友達になったスッキはアメリカ人夫婦に貰われて行き、ジニもフランス人夫婦に引き取られて行く時の、空港に向かう際に思い出す、父の漕ぐ自転車の後ろに乗って父親の背中に顔を擦り付けるシーンも切ない。
<ラスト、人混みの空港でフランス人夫婦が出迎える中、不安そうに歩いて行くジニの姿には思わず”頑張れ!”と能内で声を掛けてしまった作品である。>
養子縁組は大賛成だが、親子どちらにとっても大変だ
この少女にとって、これから人生が大変だ。
彼女がフランスで幸せになった事は、この映画の監督なのだから理解できる。
『その後』が知りたいのは、寧ろ、他の子供たち。
この表現だと、韓国に残された者が、敗者の様に見えてしまう。孤児院が、養父母の為の仲買人の様に見えてしまう。(お布施あるのかなぁ?)
たから、
少女が本当に苦労するのは、これから。絶望感を取り戻していく姿を描きたくば、是非、渡仏、渡米したあとの人生描いて貰いたい。
また、こう言った所の職員はこの映画の様に『DV』や『管理放棄』する様な事は現在は無いはずだ。子供たちは大切な財産なのだから。この映画の馬鹿な親よりもキチンと育ててくれる。
自分の人生を振り返ると、僕もアメリカの金持ちに貰われて行けば良かったと考える。
ジョーク♥
追記
生物学的に考えて、現在は、まだ物心つく前の赤ん坊の時に、養子縁組が発動される様だ。第二次性徴期に入る頃の少女は、育てるにも、親は大変な努力がいると思う。カワイイだけでは済まないのは言うまでもない。
お父さん酷い!
お泊まりとかウソついて、よそ行きの服とケーキまで買って貰って。
お父さんが迎えに来ると信じてるジニが切ない。
父親は新しい妻と子どもを連れて引っ越してしまい、手がかりが無くなってしまうのも辛い。
姉と慕うスッキも養子に貰われてしまい、さらに傷つくジニ。
やがて、ジニにも養子縁組が決まり、飛行機で海外へ。
飛行機を降りながら、思い出すお父さんとの思い出……貧しさが見えるお父さんの衣類だが、ジニの幸せそうな顔が辛い。
ラストの里親と向かい合ったジニが無表情で歩き出すのが印象的。
あの時代は海外への養子縁組が多数あったらしいのには驚いた。
冬の小鳥
主人公の演技力に脱帽した。
父を信じる → 自分を責める → むしゃくしゃする → 現実を受け入れる
という一連の流れが丁寧に描かれていて共感しやすかった。ただ、現実的に考えたら、子どもが現実を受け入れるまでの期間がちょっと短すぎたかな、という印象は残る。周りの人がいい人すぎだったかもしれない。
嘘と、門
フランス在住の韓国人であるウニー・ルコント監督が、主要なキャストを韓国人に、舞台を韓国に設定して描く、一人の少女を軸にした人間ドラマ。
養護施設、そこに集まる子供たちと彼等をそっと見守る大人たち。ここに構成された要素を観る限り、慈愛と幸せに満ち溢れた陽の物語を想像させる。しかし、その予測は大きく裏切られる。
純粋無垢に思える施設の生活を描きつつも、いたる所に小さくも卑劣な痛みを撒き散らし、一人の幼い少女をじわじわ、じわじわ、追い詰めていく。その完膚なきまでに陰湿な仕打ちは、そのまま、同様の境遇をおってきたルコント監督自身が自分に課した、前を向いて生きていくための試練のようにも思えてくる。
劇中に用意されている舞台、養護施設には2つ、小さな門が建てられている。決して頑丈な作りではないが、それは施設の子供たちの前に仁王立ちで立ち塞がり、物語の中で異様な存在感を発揮する。
冒頭、主人公ジニはその門をよじ登り、施設の外に出ようとする。そこでまざまざと見せ付けられるのは、計算しつくされたかのような、よじ登りやすい構造を備えた門の姿である。ここで、観客は気付かされる。この門は、外からの侵入者を食い止めるという本来の役割よりも、内部の子供たちに対して、施設の外に行き場の無いことを暗に理解させるための装置として機能している。
「勝手に出て行けばいいよ。でも・・それからどうする?」
施設に対する謝罪、家族になると約束した仲間の裏切り、会いに来るといったジニの父、道化のアメリカ人。この物語には、あからさまに嘘が散りばめられている。その全てを嘘だと気付き、抗おうとするジニは笑顔を封じることで、自分を保とうとする。だが、そうする度に嘘は獰猛に牙をむき、2つの門は容易に開かない。少しずつ、そして確実にジニは心を痛めていく。
施設を出る前に行う写真撮影で、ジニは初めて笑う。私の後ろの席で本作を観賞していた初老の女性は「ああ、笑った笑った」と嬉しそうにつぶやいた。そう、これが大人がジニに求めていた答えであり、嘘だった。笑顔という嘘を覚えたジニの前で、門は易々とその口を開いた。
簡潔な言葉と、極めて冷静な映像。その中で展開されていたのは、生きるためにジニが、嘘を手に入れるまでの物語。施設を飛び出し、里親の姿を見つけても、彼女は笑う事無く、真っ直ぐ、清潔な眼差しで世界を見た。それが、ただ嬉しかった。
かえって、嘘という名の愛想で世界を泳いできた自分はどうか。ジニの真っ直ぐな眼差しをまだ、私は持っているのか。一つの作品で私の胸に溢れてきたのは、幸せであったろう。でも、同時に、あの日の小さな抗いを想う懐かしさだったのかもしれない。
飛び立つ小鳥。
孤児院(養護施設)と少女の話、と聞くとどうしても子供の頃好きだった
漫画&アニメ「キャンディ、キャンディ」が浮かんでしまう。
施設では大人が見学に訪れる度に、この境遇から抜け出そうと多くの
子供達が正装し健気に明るく振舞う。ところが主人公は仲良しのアニー
に頼まれたことで、自分を貰おうとする養父母にわざと失態をさらし、
結果、アニーの方が選ばれてしまう。すると彼女はキャンディから去る。
ずっと一緒にいて…と頼まれていたキャンディは裏切られてしまうのだ。
…皆幸せになりたい。優しい父母に出逢いたい。ここでは普通のことだ。
だから今作で主人公・ジニに対して親友のスッキがしたことは恨めない。
そんな経験をバネにジニが一人の少女として成長していく過程を厳しく
優しく見守った作品。施設での過酷な(精神的に)毎日を彼女はどうして
耐え抜いたか。父親に捨てられた意味が分からず(というか信じたくない)
必ず迎えに来るはずだからと誰にも心を拓こうとしない頑ななジニの心を
溶いたのは何だったか。タイトルの冬に拾った小鳥を必死に看病するも
あっけなく死んでしまうさま、そのお墓を今度は自分用に掘って埋まるさま、
大人にはなかなか理解できない子供心を丹念に描き出した作品である。
主人公を演じたキム・セロンはかなり芸達者。表情ひとつで感情が分かる。
(これが原因だと涙ながらに訴えるシーンは圧巻。親に見せてやりたい)
全6件を表示