ケンタとジュンとカヨちゃんの国 : インタビュー
【特別対談】荒戸源次郎×大森立嗣監督(2)
映画がなかったら大森立嗣は犯罪者
荒戸:大森さんは映画というものがあって、本当に助かったと思いますね。映画がなかったら、大森立嗣は単なる犯罪者だったと思う。具体的に言えば万引き常習犯(笑)。映画があってよかったね。本当に救われたと思う。だから、あなたは映画を救わなくちゃいけないんだよ。
私の場合、映画と出会うことがなかったらもっと性質の悪い犯罪者になっていたと思うな。目をそむけたくなるような酷いことをしでかしたと思う。一応、この法治国家のなかで、際々のところで踏みとどまって、あっち側には堕ちなかった(笑)。私も映画に救われたんですよ。
ーー阪本監督は、すごくしつこかったから「どついたるねん」を撮らせたということをかつてどこかで話してましたが、本当ですか?
荒戸:それは、酷い言い方だけど、そういう内容だね(笑)。実は、阪本監督が私を上手に使ったんですよ。たいした粘り強さでした。
ーー大森監督はどうだったのですか?
荒戸:大森さんはしつこくないよ。淡白だよね。ただ世界が壊れているんだ。ハナから壊れているんだよ。
映画はお産のような排泄
荒戸:結局、映画ってどこかで作り手の何かが出てしまうんです。でも、作っている本人にはわからないことが多いですよね。何かしら出ていない方がおかしいんですけどね。
ーー蓄積を吐き出すような感じなんですかね。
荒戸:排泄するようなもんだ。溜め糞だよね。どうしょうもない排泄です。だから、映画はお産のような排泄です。痛いよ。匂いもするしさ(笑)。
ーー本作は、今の日本という国が置かれている状況を丸々飲み込んで描いているような印象を受けましたが、監督自身は閉塞感のようなものを強く感じていたのですか?
大森:自分はすごく感覚的な人間なんで、分析してシナリオを作っているわけではないんですよね。でもまあ、この時代で、割と貧しく生きているので、リアルに感じる感覚ですよね。僕が幼少時代から積み重ねてきたものだとかが出ているんだと思います。だから、社会派的なイメージでやっているということはないですね。
荒戸:何が閉塞感だよ。そんなものただの言葉じゃないか。メシも食わず、眠りもしないでそう言えばいい。この映画からはもっと痛い時代の声が聞こえると思うがね。
ーー閉塞感ということ以外では、疾走感もありました。
荒戸:疾走感? また言葉かい。走ったり、立ち止まったり、歩いたりするさ。映画だぞ。人間を撮っているんだからね。
この映画のMVPは?
荒戸:いきなりだけど、この映画のMVPは誰かね?
大森:誰ですかね?
荒戸:カヨちゃんだよ。彼女のアップが印象に残るよ。フェリーニの「道」に出てくるジェルソミーナはブスでバカだったけれどカヨちゃんは、さらにワキガなんだぞ。3対2でカヨちゃんの勝ち! でも奥田瑛二の映画は嫌いです。
大森:荒戸さんは飲み屋で奥田さんに会ったとき、俺に「殴ってこい」って言うんですよ(笑)。
荒戸:憶えておりません。
ーー逆に親からぶん殴られそうですよね、劇中であんなに娘を「ブスブス」って言って。
大森:そうですかねえ(笑)。
荒戸:いやあ、感謝するさ。安藤サクラさんの出来は素晴らしいよ。いいキャスティングだね。松田翔太くんと高良健吾くんがいいね。宮崎将くんも良かった。柄本明さん、小林薫さんが邪魔になっていなくて安心した。
ーーメインを演じた3人のキャラクターは、一緒に作っていく感じだったんですか?
大森:いや、そんなことはないですね。放っておいて、自分たちで考えてもらうだけです。演技しているときに、やり過ぎのときとかは言いますけど、細かいことは一切言いません。
荒戸:演技は俳優がやるんだし、できることしかできない。どうしょうもなかったら仕方なくだね。
大森:そういうときは乗り出すんですけどね。でも演じるのは俳優さんだから、基本的にやらないですよ。
荒戸:だから、監督っていう存在は何なの?ってことだよね。撮影はキャメラマンがするし、照明はいるし、美術もいる。だけど監督ってあるんだよね。
大森:そうなんですよねえ。
荒戸:現場でできることなんて限りがあると思う。映画は小さな奇跡の塊りなんだ。この映画でそのことを再確認できたよ。つくってくれた大森立嗣監督を尊敬します。
ーー改めて聞きますが、師弟関係ではないんですよね?
荒戸:師弟関係ではありません。大森さんの映画の師匠は阪本順治監督じゃないですか。
大森:でも荒戸さんにはいっぱいいろんなことを教えてもらいましたよ。決して、教えてもらうという感じではないんだけど、食事中のくだらない話の中に教わることがたくさんあるんです。荒戸さんの見方がとても多角的なんですよね。