「彼女はトラウマと向き合う」あの日、欲望の大地で ゼリグさんの映画レビュー(感想・評価)
彼女はトラウマと向き合う
並行して進んでいると思われた話が、実は過去だったという映画。
要するに、ただの回想なのだが、これは紛れもなく「群像劇」だ。
映画の回想といえば、もっとわかりやすい導入があるはずだ。
なぜ、そういう演出をする必要があったのか。
物語に意外性を持たせるための演出と言ってしまえば元も子もないのだが、僕は別の意図があるように思う。
まるで、同時代に生きているかのように描かれる女性たち。
物語的に言えば、マリアーナが経験する出来事は過去でしかない。
だが少なくとも、画面上では間違いなく「現在」なのである。
つまり、現代のマリアーナ=シルヴィアにとっては、過ぎ去った出来事ではなく、今でもずっと苦しめられ続けている「現在」でしかないのである。
だから彼女は自らの戒めのために、現代まで残る「消えない傷」を付けたのだ。
過ちを忘れないように。過去を過去にしないように。
自分の皮膚を炎で焼いて「あの日」の匂いを忘れないように。
苦しみボロボロになる彼女は、どれだけ情事を重ねようと救われる事はない。
「情事」には忘れたい思い出しかないのだから当然だろう。
苦しみから逃れようと、男と駆け落ちしようとしたり、自殺を試みたり、さらには娘からも目を背ける。
だが、本当の意味で過去と向き合い、過去を過去にして現在へと向き直った彼女には、おそらくこの先、幸福が待っているだろう。
現在と過去を交差させる手法で語られた映画はいくつもあるが、この作品における現在と過去の画面の連なりはとても美しく、素晴らしい。
窓の使い方が抜群に上手い。映画のいたる所で、窓を介した視点が印象的に使われている。
ラストで、目を覚ました「現在」のサンティアゴとマリアーナが会う場面を見せないまま終わっているのが、とても良い。
あそこでもし挨拶でも交わして、はたまた抱擁なんかして映画が終わっていたとしたら、ものすごくがっかりしたかもしれない。
決して「善人」やら「悪人」を作ろうとしていない所に好感を持った。
現在と過去を衝突させた傑作。