シャネル&ストラヴィンスキー
劇場公開日 2010年1月16日
解説
1913年のパリ。シャンゼリゼ劇場でロシアの作曲家イゴール・ストラビンスキーが音楽を手がけるバレエ「春の祭典」を鑑賞したココ・シャネルは、その革新的な音楽に心を打たれる。だが、内容が急進的すぎたため、ストラビンスキーの才能が認められることはなかった。7年後、莫大な富と名声を手にしたシャネルは、難民となったストラビンスキーに別荘を提供する……。主演に「シャネル」のミューズを務めるアナ・ムグラリスと「007/カジノ・ロワイヤル」のマッツ・ミケルセン。監督は「ドーベルマン」のヤン・クーネン。
2009年製作/119分/R18+/フランス
原題:Coco Chanel & Igor Stravinsky
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ
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『ココ・アヴァン・シャネル』はシャネルがメゾンを立ち上げるまで、こっちは、デザイナーとして大成功を収めてからのシャネル。
この人は、男性に飼われるのは嫌いだけど、常に恋してないとダメなタイプだったみたいね。
最後がちょっと不完全燃焼だったなぁ。
公演が成功して、そこから二人が死ぬまでに、二人の間には何らかの関係が続いてたんだろうか…。
2019年10月5日
Androidアプリから投稿
3回観ました。95点です。
【ネタバレ】
サロンで芸術家同士が出会うこと。これにはやっぱり意味があるものですね。現役のアーティストたちが互いに生で出会えるこの刺激的な場、それは格別でしょう。
ファッション界のココ・シャネルとロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの邂逅です。
ココ・シャネル役のアナ・ムグラリス、演技が切れっキレで最高でした。
でも時代に刃を当てて世の尖端を生きる者たちは同伴者に大きな刺激と共に深い傷をも与える、
「君は芸術家じゃない、洋服屋だ」
この虚勢の一言で関係が一変しましたねー。
「あ~あ」です。
撮影スタッフでさえ顔をしかめたあのベッドシーンでしたが、イーゴリのこの破滅的なうっかり発言を言わせるための前段・導入だったと思われます。ベッド後には男の素の部分が露わになるし・・
( でもあのシーンはやり過ぎです、マイナス5点。他の演出はなかったのかと )。
「春の祭典」、初演の“失敗”のあとに ハマった彼らのあの恋人関係なのですが、弱い男は女に逃げるのですね。つまりイーゴリにとってはあれはネガティブなベッド。
⇔ 片やココはあのイーゴリの初演を失敗とは見ていなかった。あの演奏会は荒削りで飛びっきりアバンギャルドなステージだったから。だからココはイーゴリの芸術家としての精神性に惹かれてその彼の体にも猛アタックしたわけで。ココにとってはそれはそれはポジティブなベッド。
・・でもイーゴリの失言で全てはうたかたと帰したというわけです。トホホ。
けれども、
改訂稿の完成で精根使い果たした元恋人イーゴリをばココは風呂に入れてやり、バスルームで二人は笑うのですよ。あそこはなかなか印象的なシーンです。
(「サルトルとボーボワール」でも“終わった男女”でありながらもサルトルと目を合わせてにんまりするボ女史の「笑うシーン」が挿入されていますが、あれは双方の作品に出演しているアナ・ムグラリスの撮影会議での演出提案だろうかと想像します。
特典映像参照)。
改訂版の再演時には恋人関係を解消して今度はパトロンとして改めて劇場に着席するココ。表情が違います。
芸術家へのリスペクトの回復をあそこに見るのは非常に面白いのです。
しかしイーゴリも、本当は同志シャネルのショーを見に行くべきでしたね。
イーゴリはまだ子供でした。
過干渉の本妻。パトロンとしての恋人ココ。二人の女に価しない子供のようなイーゴリ。映画は三者の相関図でした。
それでも弱さの中から産み出された音楽史の金字塔「春の祭典」。
作品のエンディングとしては、惜しむらくはもう少しだけ長くあの再演の「春の祭典」を聴きたかった!そこ!ピークでしょう!
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収穫:
・いつもは“冷徹な殺人マシーン”ミケルセンの、まさかの繊細な演技。
・初演の有名なエピソード、劇場パニックの再現は見もの。
・出演者のコスチュームは目撃者の新聞記者たちのスケッチから復元。
・この曲はゲルギエフの指揮で生で聴きました。僕の最も好きな楽曲5選に入ります。
・幾人もの監督がココにスポットライトを当てました。どの作品もみんな違ってみんないい。
・12~87歳のココのポートレートは
動画サイトで見ることができます。
2017年10月29日
Androidアプリから投稿
アナ・ムグラリスが演じる自立していてとてもかっこいい魅力的な女性でした。
ストーリーはつまらなくて、後味が悪かったです。ヤるシーンが多すぎる
コンサートのシーンはとても良かった👏
2010年4月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ネタバレ! クリックして本文を読む
名画座にて。
昨年のシャネル祭り^^;で2作品は観られたのだが、
今作はぜんぜん御目にかかる機会がなくて名画座待ち。
さすが主演女優がシャネルのミューズというだけあって
見事な着こなしと身のこなしで、かなりのド迫力!(汗)
おそらくいちばん?地のシャネルに近いんじゃないかと
煙草のくわえ方まで堂に入っていて素晴らしかった。
あの…低音ボイス。。いいなぁ…さらにカッコ良さ倍増^^;
お相手は新作タイタンの戦いが待ち遠しいM・ミケルセン。
彼も本当に(見たことないけど^^;)ストラヴィンスキーぽくて
似合ってますねぇ~といった感じ。キャスト的に申し分なし。
解説にもあったが、前2作と比べてまったく異色の描き方。
しかしそれだけ迫真に満ちたというか(真実!?)と思える
感情面の描き方はさすがだった。話の展開は彼らの出逢い
と成功、別れ…といった期間の部分のみに絞られるので、
そこまでのなんとやら…はまったく話には出てこない。でも
誰もが知っているシャネルとまた別の(けっこう怖い^^;)女と
してのシャネルが垣間見れてちょっと得をした感じになる。
機会があれば、No.5を嗅いでみたくなったが。。。
私は芸術音楽にも服飾美術にも詳しくないため、
ストラヴィンスキーがどれほどの天才だったのか知らないが、
確かに初めてパリで披露された「春の祭典」は前衛的すぎて
多くの観客に受け入れられなかったのはなんとなく分かる。
しかし服飾界で同じようなことをやってきたシャネルには
その斬新さがよく伝わったようで^^;天才=天才は通じるのね。
あとはもうなんというか…互いの好みの問題で。
二人が恋に落ちるというのも、初めからなんとなく惹かれあう
ものがあったのだろうし、パトロンになるからにはその狙いも
シャネルにはあったんだろうと思う。
最愛のボーイを失って、哀しみの渦中にいる彼女を癒す?と
いう名目から自身の作曲意欲(これって性欲と比例する?)も
喚起される、あ~ゲージュツ家ってとめどなく溢れるのねぇ。
彼らの成功に迷惑なのは、その妻や家族たちという結果に。
女って…頭で分かってはいても(あの奥さんの気持ち分かる)
やっぱりどうしても許せないというものだ。同じ屋根の下で
自分の夫が堂々と誘惑されて堕ちていくのだから。彼女に
してみれば自分の夫はシャネルの持ち物にされているとしか
思えないだろう。奥さんを演じる女優の演技も素晴らしかった。
結果は…歴史が物語っているとおりになるが、
シャネルという女性は本当に強い。彼女にモラルがあったら
その先の作品は生まれなかったんだろうか^^;それはないか。
終始淡々と刻まれるエピソードの羅列はつまらなくはないが、
けっこう周囲の眠気を誘っていたらしく、両隣りは寝ていた。
(祭りの最後に後日談を観た感じ。芸術家と洋服屋の祭典。)
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