シャネル&ストラヴィンスキー

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シャネル&ストラヴィンスキー
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解説

1913年のパリ。シャンゼリゼ劇場でロシアの作曲家イゴール・ストラビンスキーが音楽を手がけるバレエ「春の祭典」を鑑賞したココ・シャネルは、その革新的な音楽に心を打たれる。だが、内容が急進的すぎたため、ストラビンスキーの才能が認められることはなかった。7年後、莫大な富と名声を手にしたシャネルは、難民となったストラビンスキーに別荘を提供する……。主演に「シャネル」のミューズを務めるアナ・ムグラリスと「007/カジノ・ロワイヤル」のマッツ・ミケルセン。監督は「ドーベルマン」のヤン・クーネン。

2009年製作/119分/R18+/フランス
原題:Coco Chanel & Igor Stravinsky
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

監督
プロデューサー
クローディ・オサール
クリス・ボルツリ
ベロニカ・ツォナベント
原作・脚本
クリス・グリーンハルジュ
音楽
ガブリエル・ヤレド
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映画レビュー

5.0シャネル三部作、みんな違ってみんないい

きりんさん
2019年10月5日
Androidアプリから投稿

3回観ました。95点です。
【ネタバレ】

サロンで芸術家同士が出会うこと。これにはやっぱり意味があるものですね。現役のアーティストたちが互いに生で出会えるこの刺激的な場、それは格別でしょう。

ファッション界のココ・シャネルとロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの邂逅です。
ココ・シャネル役のアナ・ムグラリス、演技が切れっキレで最高でした。

でも時代に刃を当てて世の尖端を生きる者たちは同伴者に大きな刺激と共に深い傷をも与える、
「君は芸術家じゃない、洋服屋だ」
この虚勢の一言で関係が一変しましたねー。
「あ~あ」です。

撮影スタッフでさえ顔をしかめたあのベッドシーンでしたが、イーゴリのこの破滅的なうっかり発言を言わせるための前段・導入だったと思われます。ベッド後には男の素の部分が露わになるし・・
( でもあのシーンはやり過ぎです、マイナス5点。他の演出はなかったのかと )。

「春の祭典」、初演の“失敗”のあとに ハマった彼らのあの恋人関係なのですが、弱い男は女に逃げるのですね。つまりイーゴリにとってはあれはネガティブなベッド。
⇔ 片やココはあのイーゴリの初演を失敗とは見ていなかった。あの演奏会は荒削りで飛びっきりアバンギャルドなステージだったから。だからココはイーゴリの芸術家としての精神性に惹かれてその彼の体にも猛アタックしたわけで。ココにとってはそれはそれはポジティブなベッド。
・・でもイーゴリの失言で全てはうたかたと帰したというわけです。トホホ。

けれども、
改訂稿の完成で精根使い果たした元恋人イーゴリをばココは風呂に入れてやり、バスルームで二人は笑うのですよ。あそこはなかなか印象的なシーンです。

(「サルトルとボーボワール」でも“終わった男女”でありながらもサルトルと目を合わせてにんまりするボ女史の「笑うシーン」が挿入されていますが、あれは双方の作品に出演しているアナ・ムグラリスの撮影会議での演出提案だろうかと想像します。
特典映像参照)。

改訂版の再演時には恋人関係を解消して今度はパトロンとして改めて劇場に着席するココ。表情が違います。
芸術家へのリスペクトの回復をあそこに見るのは非常に面白いのです。

しかしイーゴリも、本当は同志シャネルのショーを見に行くべきでしたね。
イーゴリはまだ子供でした。
過干渉の本妻。パトロンとしての恋人ココ。二人の女に価しない子供のようなイーゴリ。映画は三者の相関図でした。

それでも弱さの中から産み出された音楽史の金字塔「春の祭典」。
作品のエンディングとしては、惜しむらくはもう少しだけ長くあの再演の「春の祭典」を聴きたかった!そこ!ピークでしょう!

========================

収穫:
・いつもは“冷徹な殺人マシーン”ミケルセンの、まさかの繊細な演技。
・初演の有名なエピソード、劇場パニックの再現は見もの。
・出演者のコスチュームは目撃者の新聞記者たちのスケッチから復元。
・この曲はゲルギエフの指揮で生で聴きました。僕の最も好きな楽曲5選に入ります。
・幾人もの監督がココにスポットライトを当てました。どの作品もみんな違ってみんないい。

・12~87歳のココのポートレートは
動画サイトで見ることができます。

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きりん

1.0アナ・ムグラリス

むぎさん
2017年10月29日
Androidアプリから投稿

アナ・ムグラリスが演じる自立していてとてもかっこいい魅力的な女性でした。

ストーリーはつまらなくて、後味が悪かったです。ヤるシーンが多すぎる
コンサートのシーンはとても良かった👏

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むぎ

4.0芸術家と洋服屋の祭典。

ハチコさん
2010年4月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

興奮

難しい

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ハチコ

5.0きめ細やかな演出とスタイリッシュな映像に賛辞を惜しみません。これを見ると他の作品の演出がわざとらしく見えてしまうことでしょう。

2010年2月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 《シャネルNo.5》と《春の祭典》は、シャネルとストラヴィンスキーの逢瀬の産物だった!『ココ・シャネル』のレビューを書くとき、結構詳しくシャネルの一生を調べていました。けれどもストラヴィンスキーとの関係は、ノーマークでした。
 Mu~シャネルさん、あんたいったいどれぐらいの著名人と浮き名を鳴らしたんだい!

 音楽家の恋は甘く切ない物を連想します。『ラフマニノフ』のような展開を期待していったら、大間違い!イゴールとその妻カトリーヌ、そしてシャネルとの三角関係なかで、背筋も凍るほどの情念が交叉するところを緊張感たっぷりに、描かれるのです。
 だからといって、これ見よがしの修羅場はありません。賢母であったカトリーヌは子供たちの手前、母親として気丈に沈黙を守ります。本作の演出の凄いところは、台詞がなくても表情で、登場人物の気持ちが手に取るように伝わってくるのです。カトリーヌの場合、あなたたちが不倫していることぐらいお見通しなのよと顔に書いてあるような表情でした。
 ただ一度だけ、シャネルに面と向かって、「良心の呵責はないの?」と尋ねるシーンがあります。すかさず「ない」ときっぱり返答する二人の言葉の応酬。張り詰めた間が醸し出す、二人の無言のバトル。素晴らしい演技でした。

 何と言ってもこの不倫劇の凄いところは、妻や子供たちと同居しているシャネルのヴィラが舞台となったことです。家族がいるそばで臆面もなくふたりは密通を重ねていました。
 そもそもイゴールの才能に惚れ込んだシャネルが、仕事に打ち込めるようにと、自分のヴィラで暮らすよう提案するところまでは良かったのです。その結果イゴールは、4人の子供たちと、肺病を患う妻を連れて、すぐさまヴィラへと移り住みました。
 ところが至高の芸術を求める二人は、たちまち恋に落ち、互いを刺激し、高め合い、心を解放し、悲しみさえも活力に変えていったのです。この前半部分は単調で、突然ベッドシーンに突入するから、ちょっと面食らうかも知れません。

 けれども後半に入り、編曲を担当していたカトリーヌが夫の音楽の変化に気づき、不安そうな顔つきに変わっていくところから、俄然緊迫した空気が張り詰めるようになります。とても甘いロマンスなんてかけらはありません。
 それを象徴するが、この時期に完成させたシャネルNo.5だったのです。香水の香りを決定するのにあたり開発者には魔力を感じさせる香りを追及していました。それはまるでイゴールを惑わさせた魔性の女としての自分を投影するかのようなアイデアだったのです。
 シャネルは、ボーイと死別してから、すっかり人格が変わってしまったようです。ココ・シャネルに登場する可憐で愛らしい姿は微塵もありません。
 イゴールの前では、挑発的な牝豹となり、ビジネスでは賃上げを面罵する冷徹な経営者となり、社交場では、凛とした気高さで、近づきがたいプライドを発散させていました。
 場面場面でがらりと変わっていく、この頃のシャネルはきっと心を鎧で覆い尽くして、誰にも内面の孤独をさとられまいと、気丈にふるっていたのかも知れません。

 だからこそ、カトリーヌが夫を残して子供たちをつれてヴィラを出た後届く、手紙に心を動かされたのでしょう。子供たちには父親が必要ですと綴られた文言に。
 このあと二人きりになったシャネルとイゴール。カトリーヌの手紙にも、考えただけでもむおぞましい事態が連夜続くはずでした。
 けれどもなぜかシャネルはこの日から、イゴールを拒絶するのです。イゴールが求めたときの台詞が興味深いのです。『私は愛人ではないのよ』と。その後風呂に入っているイゴールの様子を伺いに、シャネルが風呂場にやってくるシーンが意味深なんです。
 お互い額を寄せ合い、キスをするのかと思いきや、ニタニタと苦笑いをするだけなんですね。台詞はなかったけれど、どんな気持ちをむ押し殺したのか、凄く分かるいい演出でした。

 それにしてもカトリーヌはなぜ二人きりにさせてしまったのでしょうか。編曲担当として、夫の音の変化を感じた彼女は、春の祭典の初演が酷評で傷ついた夫が立ち直るのにシャネルが必要だと感じたシーンが手短に挿入されているのです。それがきっちり描かれているから、不自然さは感じさせられませんでした。
 賢いカトリーヌは、自分が去ることで夫に自分の必要性を感じさせることも計算に入っていたのでしょう。その仕掛けどおり、カトリーヌがいなくなって独りになったイゴールは、殆ど曲想は進まなくなり、狂ったようにピアノを連打します。
 《春の祭典》の不協和音がたたみ掛ける主題は、このような心理状態のなかで、書き加えられたのでした。その修正は数年後に 《春の祭典》が再演されたとき、大喝采を評価を受ける推進力と鳴ったのです。

 何かに依存していないと、何もできない(シャネルにもズバリ指摘されてしまう)イゴールの女々しさをマッツ・ミケルセンが好演しています。さすがデンマークを代表する性格俳優だけのことはあります。
 そして何よりもヤン・クーネン監督のきめ細やかな演出とスタイリッシュな映像に賛辞を惜しみません。これを見ると他の作品の演出がわざとらしく見えてしまうことでしょう。

●《春の祭典》について
 1913年、パリのシャンゼリゼ劇場において初演された《春の祭典》は、そのストラヴィンスキーの最高傑作の一つであり、ディアギレフが仕掛けた「事件」の中でも最大級のものであると現代では評価されています。
 けれども本作冒頭に登場するそれは、チープな舞台背景に加えて、振り付けも余りに前衛的でした。まるでイヌイットの呪いというかもののけ姫が出てきそうな面妖さなのです。
 加えて、ひっきりなしに拍子の変わる複雑なリズム。およそ人の想像するバレエの美からはかけ離れた動き。ダンサーたちが内輪に回した両足でうなだれて立ち、けいれんするように細かく全身を震わせる様子は、本編にも見られるとおり、初日の上演途中からのブーイングや野次、さらには暴動にまで発展する恐れが出てきて、警官が出動するほどでした。
 その反面、ブラボーの交錯も巻き起こしたが、これはプロデューサーのディアギレフが招き入れたサクラも、多数含まれていたようです。
 こんな前衛的で過激な内容にもかかわらず、ストラヴィンスキーの才能を見いだしたディアギレフの眼力には敬服します。

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流山の小地蔵
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