「水木氏を支えた妻ってホントはどうなの?これは違う気がするけれど?」ゲゲゲの女房 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
水木氏を支えた妻ってホントはどうなの?これは違う気がするけれど?
NHKの朝ドラを観ていない私には何の先入観も無く素直に作品に入り込めたのだが、あの水木しげるさんが本格デビューをするまでの貸し本屋時代の極貧の下済みの苦労の半生を女房殿の視点で描いている作品にしては、盛り上がりに欠けている点が少し残念でした。
朝ドラで人気を博した作品は、それと比較され、それだけでも映画化する事自体難しい点が多いと思うのだが、戦後日本の高度成長期に差し掛かる昭和30年半ばの激動の時代をかくもこれ程までに淡々と描いてしまって良いのだろうか?と言う疑問が涌いた。
東京オリンピックを3年後に控えた日本では、焼け野原の東京の街からオリンピックへ向けての復興が急ピッチで勧められていた時代だ。そろそろ自由恋愛で結婚する若者達が増える時代の中で、当時の地方に暮す娘としては晩婚になってしまう布枝が、親類の勧めでお見合い結婚し、当初見合い話で聴き及んでいた条件と、嫁ぎ先での実際の生活状況があまりに違う事で、新婚の新婦はうろたえるが、共に生活をする中で本当の家族、夫婦へと成長していくと言う物語。昭和一桁生れの布枝が、10歳も年上でしかも、南方で負傷して片腕を無くし、帰還した男の妻になると言うには、布枝の態度は少しばかり水木に対して理解に欠けている様に描いていると思うのだ。個人差も有るだろうが、この時代は未だ未だ戦後の混乱から完全に立ち直って復興を遂げた時代では決してなく、一般庶民の生活は物質的にも、まだ貧しい時代でもあり、みんなが貧乏でも助け合っていた時代だと思うのだ。そして人々の人情も厚い時代だと思われるのだ。その日に食べる米を調達するのがやっとと言うのも、サラリーマン家庭でなければ珍しい事でも無い。
まあ、しかし貸し本屋を覗いては、夫の本が面白いと本屋の主人に哀願するところはほほえましいが、戦争中最も激しい戦闘が行われていた南方で、腕を失った水木氏は地獄を見たに違いない。それ故人間の恐ろしい一面を嫌と言う程に体験し、人にとって何が大切なのかを悟って帰還したこの若き兵士。孤高の信念を貫く漫画家の妻の姿としては、いささか不自然な気がしてならないのだ。貧乏は苦労とは思わず、自分の信じる漫画を描き続ける水木さんだからこそ、彼の描く作品には妖怪でありながら、心をほっとさせるものが有り、きっと本当に妖怪も心を動かされきっと後押ししていたに違いない。
2階の下宿人と、出版社から後を追って来た若い漫画家の卵の青年達みんなで食卓を囲むシーンでは、すっかり布枝も水木婦人に納まったと言う象徴的なシーンで観ている私はほっと肩を撫で下ろした。しかしこの若い青年が後に餓死してしまう。もしこの青年が、ときわ荘にでも行き着いて、漫画家を目指したなら亡くなる事も無かったに違いないと残念に思う。昭和のこの時代に活躍した、多くの漫画家達が描いたその作品群からは、今の私達が学ぶべき点が本当に凝縮されている気が私はする。
只たんに懐古主義的に昔を懐かしいから、そう言うのでは決してない。年間自殺者3万人の記録を10年以上も更新するこの我が国の現状を社会全体で考え直そうとせずに、政治家先生も中々目先の事ばかりで、長く続く未来の日本の国益を考えて政治に臨んでくれているとは決して思えない現在、何処かでボタンを掛け違えてしまったのだろう。今一度私達は、新しいビジョンを各々が持ち、自分の夢と信念を持ち、自分に出来る事を真剣に取り組んで生きる事を、この映画は教えてくれた気がするのだが、貴方はこの映画をどう読むのだろうか?