劇場公開日 2009年10月10日

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「神を見失った現代人が正義と許しをどう考えばいいものでしょうか。深い余韻を残しつつ、考えさせられるサスペンスです。」さまよう刃(2009) 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0神を見失った現代人が正義と許しをどう考えばいいものでしょうか。深い余韻を残しつつ、考えさせられるサスペンスです。

2009年10月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 時々、似たテーマの新作が同時に公開されることがあります。
 今週の場合は本作の「さまよう刃」と「狼の死刑宣告」。どちらも最愛の子供を殺された父親の復讐編です。本作は東野圭吾の小説の映画化したもの。少年法の矛盾を浮き彫りにしたつらく重い本です。けれども原作は150万部のベストセラーを記録しました。見た感想としては、重いなりに第一級のエンタテインメント性も備えていると評価出来ました。

 後者はかつてチャールズ・ブロンソン主演で映画化された「狼よさらば」の続編小説をもとにした『ビジランテ(自警)』もの。
 簡単に言えば警察や法に頼らず自力でコトを成す「必殺仕置人」のようなストーリーです。

 「96時間」みたいに元すご腕捜査官でも警察でもないという点でも共通点があります。けれども「さまよう刃」のラストで決定的に違うところは、主人公の復讐への考え方でした。

 凶悪犯罪で中学生の一人娘の命を奪われた父親の長峰は、警察に先がけて、復讐に走ります。ここで問題は、警察を上回る情報収集をどうやって得るかです。ここで犯人の二人に脅されて、車を運転するなど犯行に強制的に関与させられた中井という少年に、捜査の手が伸びます。どうも中井は、犯人の二人から、普段からいじめを受けて恨んでいたようです。その恨みを晴らすために、中井は長峰の留守番電話に密告したのでした。そして中井の期待どうり、加害者である二人の少年の身元を知りえた長峰は、犯人の一人である菅野を殺害してしまいます。

 長峰は、なぜそんな凶行にでたのでしょうか?そこに本作の重いテーマが潜んでいました。現行の少年法では加害少年は人を一人死なせてもほぼ死刑にならないため、長峰は自らの手で二人に"極刑″をくだそうと単独行動を開始したのです。

 そんな長峰を追うふたりの相棒刑事。ただそのふたりの長峰に対する考え方は、全く違っていました。ベテラン刑事の真野は、あくまで法を犯した殺人犯として、刑事の職務を黙々とことしか頭にありませんでした。彼にとって、それが刑事としての常識であったのです。ところが若手刑事の織部は、長峰に同情し、彼の犯行を阻止し、少年犯を保護するための捜査に疑問を持ちます。法を守るためだけの捜査なのですかと。

 織部の疑問に輪をかけるように、長峰は警察やマスコミに手紙を出します。その中で、少年犯罪の矛盾点を、このような言葉で告発していました。
 『伴崎は未成年です。逮捕されたとしても、更正と社会復帰を目的とする理由で、刑罰とはとても言いがたい判決がくだされたことでしょう。一度生じた 「悪」は決して消えることはありません。彼らによって生み出された 「悪」は、永遠に私の心の中に残り続けるのです。』

 原作は、常に長峰への共感者と、法という建前で接しようとする否定者を登場させて、少年犯罪の矛盾点を浮き彫りにしていくのでした。
 もう一人の犯人である伴崎を追って、 長野の潜伏先をあてなく流し続ける長峰がたまたま宿泊したペンションでも、この構図がくっきりと出ていました。

 ペンションのオーナーである和佳子は、長峰の正体に気づき何とか犯行を思いとどまらそうと説得。聞き入れられなかったため、警察に通報してしまいます。
 しかし、和佳子の父親は、同じ娘を持つ立場から、長峰に同情して、警察から逃がすばかりか、車と猟銃まで与えてしまうのです。

 この作品のいいところは、少年犯罪の矛盾点を浮き彫りにしつつ、法を守る立場の人間と、長峰に同情する立場の人間をイーブンで描いていることです。観客も見ていて辛くなるほど、どちらの気持ちもよく分かるように描かれています。

 そして決定的なことが起きます。
 織部は、捜査事態に苛立ちが募り、とうとう肝心な場面で、長峰の逮捕を躊躇して、逃がしてしまうのです。
 犯人に情報協力する刑事するわけがないというのが常識でしょう。しかし 長野から逃亡した伴崎の居場所を知るためには、長峰に同情的な刑事が情報提供する必要ありました。 そのあり得ない設定に見事仕向けていく脚本が秀逸です。

 そして織部は、長峰の復讐の真意を知ります。織部のみが知り得る長峰の復讐の方法。伴崎に長峰が猟銃を構えたとき、捜査陣は一斉に拳銃を構えます。独り長峰を庇おうとする織部を横目に、非情にも銃弾を放つ真野の冷徹さが際立っていました。
 エンディングで長峰が語るセリフを知ったら、皆さんああそういうつもりだったのか!と深いため息をつくことになるでしょう。

 あくまで寡黙な主人公。セリフも少なめです。抑制のきいた演出のなか、寺尾聴の静かな演技が冷たい刃のように光を放ちます。この重いストーリーに集中できるのは、寺尾聴の画面にひき付けて、離さない壮絶な演技です。
 特に娘を失ったことを知ったときの嗚咽の仕方は、尋常ではありませんでした。

 そして、真野刑事を演じた伊東四朗の非情さ。当初犯罪被害者として初めて長峰に接する時でも、筆記した万年筆から、当然のごとく指紋を採取するなど、ベテラン刑事ならではの職務に徹する男を演じていました。
 それに比べて、織部刑事を演じた竹野内豊は、人情味と彼なりの正義感篤いところをうまく表現していたと思います。

 小地蔵は、犯罪に対する裁きがどうあるべきかは優れて宗教的なテーマでもあると思います。イエスさまは、「目には日を」を否定して「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と説かれました。お釈迦さまは、「恨み心で恨みは解けない」と喝破されました。
 先般の 青森地裁の性犯罪裁判では、被害女性の訴えを開いた裁判員たちが、これまでのク相場より重い懲役15年の判決をくだしています。今後は裁判員の素人感覚が厳罰化を招くことでしょう。

 家族を殺されるという究極の状況にあって、神仏を信じていればまだしも、神を見失った現代人が正義と許しをどう考えばいいものでしょうか。深い余韻を残しつつ、考えさせられるサスペンスです。

流山の小地蔵