さまよう刃(2009) : 映画評論・批評
2009年10月13日更新
2009年10月10日より丸の内TOEI2ほかにてロードショー
法と心の隔たりについて描くシンプルにして重厚な人間ドラマ
かけがえのない存在を殺められたのに、少年法に守られた加害者は極刑に処されない。そのとき、あなたはどうするか。これはサスペンスの形を借りて、法と心の隔たりについて描くシンプルにして重厚な人間ドラマだ。少年たちから最愛の娘をクスリ漬けにされ、醜い性欲を遂げる肉の塊として扱われる光景を映し出すビデオテープを見てしまった父は、怒りと憎しみに狂い復讐を決意する。少年に償わせるためにまず更正させるべきとする法に対し、彼らが真人間になるために愛する者が踏み台にさせられては堪らないとする感情のやり場をどうするか。被害者遺族の当然の心情に、法は応えてくれない。
では本作は社会派か。いや、結局のところ娯楽映画にとどまっている。凶悪犯罪に対する不安を募らせ、厳罰を与えるべきだという意識を高めさせる演出がなされているからだ。欲望のケダモノと化した環境など一切描かれることなく、犯人は命の重さが等価ではない虫けら同然に思えてくる。寡黙にして抑制気味の演技で感情移入させる父・寺尾聰がどんなに素晴らしくとも、その一点だけで凡庸な勧善懲悪ものに堕してしまう。そう、法では解決できないとばかりにダニどもに鉄槌を下す、チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」シリーズと構造は基本的に変わらない。
志は高くとも、あとに残るのは、被害者遺族がこんなにも虚しい選択をすることがなきよう、未成年者にも極刑を与えるべきと願う偏向した感情だろう。そもそも欲望のメディアである映画という時間の流れは、熟慮より扇情に向いていることがやるせない。
(清水節)