劇場公開日 2010年7月23日

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「☆☆☆★★ ※ 鑑賞直後のメモから クリストファー・ノーランとゆう...」インセプション 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0☆☆☆★★ ※ 鑑賞直後のメモから クリストファー・ノーランとゆう...

2020年1月3日
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☆☆☆★★

※ 鑑賞直後のメモから

クリストファー・ノーランとゆう人は、いつでも人間が思い描いている事に対して。逆の事象や地域性などを活かして、作品に盛り込んで来る特徴を持っている様に思っている。

思い出してみると、『メメント』は記憶が10分間しか持たない男の話だった。
生きているのに記憶がない!その事を、映画自体を逆再生させる…とゆうアイデアで、観客にも追体験させた。

『インソムニア』は不眠症の男の話。
眠いのに…寝たいのに、どうしても眠る事が叶わない。どうしても眠れない。
しかも白夜とゆう、夜間なのに太陽の光は明るく眩しいとゆう地域の特性ゆえ。主人公の思考能力をその光が破壊して行くとゆう話。

そして『バットマン ビギンズ』
正直なところ内容に関して言うと、『メメント』の如くに記憶があまりない(汗)
アメコミ最大の悪のヒーロー像。それまではゴッサムシティとゆう街で繰り広げられていた、オモチャ箱をひっくり返した様なシリーズ特有の世界観。それを、新たなバットマン像を通し、リアルな映像体験を観客に提供した。
良くも悪くもシリーズの転機になったのは間違いない。

ここまでは1人の男の話。

『プレステージ』は2人の手品師による対立のドラマ。
タネがあり仕掛けがあるからこそ、人間の眼と思考を欺く事が出来それをお互いに奪い合う。

そして『ダークナイト』だ!
世界的に大ヒットとなった作品だが。バットマンとゆう悪のヒーローに対して。それまでもシリーズでは人気のあった、ジョーカーとゆうキャラクターに更なる悪の悪たるポジションを与える。
映画に於ける絶対的ロジックである《善対悪》とゆう、当然と言える図式を《悪対悪》…一体どちらの悪が上なのか?と観客に訴える。
尤もこれは、バットマンのキャラクター自体。元々の立ち位置が悪役でありながら。善的な位置に居る分、どうしても分が悪いのは否めない。
でも正直に言えば、それ程内容を覚えてはいない。これもまた『メメント』状態だったりするのですが(汗)

さあ!『インセプション』た!…って、語れるのか一体(汗)

夢が夢を呼び、更なる夢を呼ぶ。もの凄く複雑な構造を生み出し。生還を果たす為には、死ぬより他にない…。生きる為には〝死〟を選ぶ必要性に迫られる。

人間の夢を同時体験によってアイデアを奪う。そんな作品本来のアイデアの元ネタは、ひょっとしたら『ブレインストーム』なのではなかろうか?
ナタリー・ウッドが撮影中に死亡してしまった事で、完全なる完成は叶わず。未完成のままに公開されてしまった悲運の作品だが。全員が同じ体験をするアイデアは、おそらくそうなのだろう…と思われる。

作品の後半にこんな台詞があった。

「真似になるな!」

父親の◯◯が聞きたい息子に対して、父親が語る。

〝真似になるな〟とは?

クリストファー・ノーランが、何故この台詞を作品の中で込めたのか?
それを思い過ごしを承知で考えてみる。

ファーストシーンで、この作品の重要人物が登場する。しかも作品中の姿とは真逆でかなりの老人だ!
対するディカプリオは、それ程には年齢は重ねてはいない。
この場面は、映画の中で再度登場する。
これは時間の経過による事象と言って良いのだろうか?
本音を言えば。この場面をファーストシーンで観た時から、瞬間的に〝あの〟SF映画として金字塔を打ち立てた超有名作品を思い出してしまった。
その考えこそが、実は1番危険な思考に他ならないのですが…。

〝真似になってはいけない〟

クリストファー・ノーランは、過去の偉大な作品をリスペクトしつつ。最後の崩壊場面等は『バットマン ビギンズ』で描いた(チベットだったかな?)場面を。再度大エンターテイメントとして、再構築させて観客に提供した…とも思える。
どうにかして、自分なりの〝色〟を出そうと。映像作家としての現在の自分と、過去の自分との狭間で格闘している様に感じたのだ。

2010年7月24日 TOHOシネマズ錦糸町/スクリーン1

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松井の天井直撃ホームラン