「"みんなに愛が届きますように"」空気人形 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
"みんなに愛が届きますように"
これは完全なる寓話です。何故そうなってしまったのか?その一切の理由は解らない。
「心を持ってしまいました」
この一言に取り敢えずは納得しながら、作品を観て行く事となる。
心を持った人形は、様々な人達と触れ合ったり、通り過ぎて行く人達を観察しては、少しずつ人形から人間へと進化し、やがて彼女は恋をする。
舞台は東京の佃島周辺。
映画に登場する人達は、それぞれ都会の片隅で孤独を感じながら生活を営んでいる。主人公のご主人様にあたる板尾創路を筆頭にして、全員が“愛”に飢え、欲している。
唯一、まだ恋愛感情を持たない幼い少女は、母親の愛を欲しがっているし、どうやら呆けているらしい富司純子は話相手を…と言った具合に。
そして日々人間らしくなって行く彼女は、交番のタンポポに興味を示したり、女性としてビニール製の跡を消して貰いお化粧をする喜び等を知る。
そんな彼女は、自分が“空虚な”存在で或る事に対して次第に引け目を感じて来る。
街中で出会った孤独な老人役の高橋昌也との会話の中で、自分だけでは無いとの勘違いが、後々の悲劇的な結末へと繋がってしまう。
映画はその気持ちを代弁するかの様に、壊れやすく“空間”が目に見える硝子の瓶を彼女に持たせ、空の明るい光の満ちた空間へ掲げさせる。
「心を持つのは苦しい事でした」
恋心を抱いた彼女だが、少しずつ“性処理の女”としての疑問を持ち始めた時に“或る出来事”により、好きな人の息吹きに体内が満たされる喜びを知り決断する。
「何故私なの?」
男の性処理の対象でしかない嘆きを問い掛ける場面こそ、男女間での恋愛の中では、常に受け身に成らざるを得ない女性の、疑問点を示していると言える。
映画は主に脚本が第一に優先される。先ずはストーリーが面白い事が前提になる。
しかし、この作品では主役の《空気人形》にペ・ドゥナを配したセンスが一番大きな決め手になっている。これに応えた彼女も立派です。但しあくまでも寓話と理解しながら見て行かないとならないのも事実。
そうでなければ、お手頃価格すぎる5980円とゆう設定等や、いくら何でも陥没してる※首なんだから…。気が付くだろう(笑)等と、突っ込み通しの餌食となってしまう。
残念だったのは、1つの寓話を最後まで寓話として押し通せなかったところ。
高橋昌也との会話の中での勘違いから、好きになった男ARATAも実は彼女と同様実は…と。
もしもここでその“寓話”が成立していたのならば。
その辺りは残念なのだが、当然そういった設定は、監督自身の頭の中に描かれていたのだろうとは推測される。
しかし、その様な説明は映画の中ではなされない。寧ろ不要と判断されたのかも知れない。
高橋昌也との会話で大きな勘違いをした彼女ではあったが、同時にまた自然界の摂理に関する小さな勘違いもしていた。
雄しべと雌しべは直接触れての受粉はしない。他の力を借りる事になる。
今、悲しみと孤独な人達に、彼女の“空気”によって一陣の風が吹き抜け、交番にひっそりと咲いていたタンポポの綿帽子は、彼女の願いでも有る男女間での愛の種として蒔かれる。
《みんなに“愛“が届きますように》
(2009年10月15日新宿バルト9/スクリーン4)