パリ20区、僕たちのクラスのレビュー・感想・評価
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最後まで見てしまった
どうだろ、途中でやめてしまうかな?と心配しながら再生ボタンを押したけれども、いつの間にか見切ってしまった。
というか、辞めるタイミングがなかった。
や、辞めるタイミングだらけだったのかもしれない。
そう、だから逆に、ここだ!という決定的な辞めるタイミングはなかった。
日本で言うと学級崩壊に近いようなクラス。
あっちが騒げばこっちが騒ぐ。大人しい時間がない。
毎日毎日あの状態は、誰もがノイローゼになるだろう。
中学生。子供でもあるけどもう半分大人でもある状態。
そして一番憎たらしさも出る状態。
あそこに登場する教師陣と同じようにイラっとしながら笑、どうすることが彼らにとっていいんだろうと考えていたな。
罰を厳しくする?厳しすぎるのは逆効果?
どんなパターンでも効果がなかったり。
担任しんど〜〜〜〜って見てて思う作品。笑
でも実際、20区あたりではこういうのがリアルだったりするんだろうな。
先日パリに行ってきたばかりだけど、バスでこのあたりの地区を通ったけど
THE観光地中心地であるエリアと、え?別の国?ってくらい雰囲気が違うし治安が良くないのが見てわかってしまう感じだった。
途中怒り心頭の教師が「勉強しないとあの地区から出られないままなのにな!」と言っていた。私もそう思った。
こんな状況で過ごしていたら、大人になっても同じようになっちゃうだろうになと思った。でも彼らはそういう暮らしをしていることが普通だから、今の暮らしから脱しよう!とはそれほど強く思わないのだろうか。環境がそうさせるのだろうか。とりあえず、この環境では勉強なんてできない・する気になれないだろうな、とは思った。
スレイマン。
写真+コメントをつけて印刷する、みたいな時間はとても嬉しそうだった。
ああいう姿を見ると教師としてもこの子をなんとかしたいと思うんだろうな。いいところを褒めて伸ばしていきたいって思うんだろうな。
連鎖的に悪いことが起こることがある。
確かに悪い発言をしたけれどそういう言い方じゃない。みたいなちょっとした訂正は難しい。言ったことには変わりないからその部分が大きく膨らんでいく。あの感じ、見てていや〜な気持ちになったなあ。自分がやったことなんだけど、うわあ....やばぁ....ってもう立ち止まっちゃうような。
スレイマンが居なくなった後のクラス。
円滑に授業が進んでいるようだった。
それもちょっと切なさがある。
担任自身もスレイマンを100%悪い生徒とも思ってない、でも手を焼いていたのは事実。難しい。
同じ人種だけがいるクラスでも円滑に進めるのは難しいのに
そこにいろんな人種のいる状態って、ほんと大変そうだなと感じた。
ゴチャゴチャだった。
小さい地球だった。すべてを一緒にしてまとめるのは難しいのかもしれない。何もかも一緒にすることが=PEACEではなく、ある程度グループ分けすることもPEACE、平穏を保つためには必要なことなのかもしれないな、と見てて思った。
教育の問題をひたすら問われてるような感じがした。 教室の中でほぼ完...
教育の問題をひたすら問われてるような感じがした。
教室の中でほぼ完結していてドキュメンタリー調にストーリーが進行していく。
映像の展開としては単調なのでパッとしないが
劣等生と教師との埋まらない溝の会話劇が興味深い。
救いの無い似非ドキュメンタリー
全く救いの無い似非ドキュメンタリー作品。
一見ドキュメンタリー映画の様に見せてはいるが、実際は主人公の国語の先生が歩く・喋る・憤る一歩先を、常にカメラが回り込むポジションから撮影されている。この《川口浩》状態のオンパレード。
これは作品全体にシナリオが存在しており、それに基づいて撮影されている。
観ていてもフランスの社会生活に於ける人種の問題等は、フランスの教育現場に於いて切実な問題なのだなぁ〜と、実感出来る。
だからこそ、何故似非ドキュメンタリーの手法を取っているのか?…は、さっぱりと理解出来ない。
まだそれとなく観客側にバレない撮影ならばわかるが、とにかく全編で似非ドキュメンタリーとわかる。例えば、転校生がやって来ればカメラは反対側へ…。
問題児が教室を退出させられる場面では、前と後ろからカメラが待ち構え、怪我をする女子生徒の顔をご丁寧にアップで撮影…と。終始こんな感じで映画は進んで行く。
そんな撮影や・編集では、誰も「これはドキュメンタリーなんだ…」とは普通感じ無いんじゃないかな?これではどう観ても“やらせ”だ!
内容自体もの凄く面白い。小さな波紋が、やがて大きな津波となってクラスや学校にのし掛かって来る辺り等は、上映時間の2時間以上を全く退屈させずに見せ切ってしまう。
それだけに、「どうです!僕の演出プラン?」的なしたり顔が、スクリーンの向こう側から透けて見えるのが、どうにも個人的には我慢がならなかった。
(2010年7月16日岩波ホール)
※日付けは公開年度
子ども達が活き活きして素晴らしい!こんな学校見てみたい!
フランスの教育事情には全く知識が無い私であるが、そう言う事を抜きにしてこの映画は色々考える事が一杯の映画で、とっても楽しかった。
国語の担任教師とそのクラスの生徒との学校生活の描写がとても、ナチュラルだったのだ。
24人の生徒全員が、子役俳優では無かったと言うけれど、全く信じられない!!!
フランスの学校へTVクルーを派遣して撮影した様な感覚で、ドキュメンタリーでも観ている気に錯覚してしまう程に、生徒の一人一人が活き活きとリアルに描かれていた。
日本のTVでも学校ものは、多数有るし、「ごくせん」「金ハ先生」いえいえ、映画なら、山田洋次監督の「学校」と言う名作もあるし、もっと古くは「24の瞳」もある。
どれも、生徒と先生の関係性の中から、様々な家庭での生徒のドラマ事情を描いて、教育の意義や、生きる事の意味、仕事に対する意味など、様々な問題を提起してくるのが、この学園ものだ。
しかし、日本の場合は、様々な家庭事情を描いていると言っても、その殆んどは、日本人と言う単一民族の事で、人種や、民族の違い、そこから来る言語や、文化背景の違い迄を含めた、本当に日本の学園もののドラマでは絶対描く事が出来ない問題まで、深く切り込んでいるのだ!本当に奥が深い!
例えば、日本人は一般的には、他国の人々に比べ、語学習得が不得手だと良く言われ、特に話すのが苦手だと言われているが、この映画を観ると、やはりヨーロッパなどの様に、大陸続きで国が有ると異民族や、異国の人が交流出来易い環境にあると、そこから発生する、文化習慣の違いを克服し、理解し合う為には自然と話をすると言う行為が、日常生活の中で育まれ、訓練されていくし、人間としてもより幅の有る見識豊かな、人間形成が成されていく様に思われた。
ローラン・カンテ監督の作品を観るのは本作が初めてである。彼は社会派の映画監督との事であるらしいのだが、私は残念であるが、この監督の映画である「ヒューマンリソース」1999年及び「タイムアウト」2001年の両作品共に未だ観ていないのだ。
その為に、彼の他の作品と比較して、本作の出来について感想を言う事が出来ないのだが、こう言う傾向の社会派作品は個人的にはとても大好きな映画の部類に属するため、文句無く高得点を入れたくなるし、一人でも多くの人に観て欲しい作品として推薦したい言う思いに駆られたのだった。
映画の効用の1つには、異文化を映画から理解すると言う要素も大きいと思うのだが、この作品はそう言う意味でもとても有効な作品だ。
この映画は、単なる熱血教師と、問題生徒との学園生活を描いているだけでは無く、教育をしっかり受けられない子供達の問題や、移民が強制送還になってしまう問題や、フランス国内の教育の問題点も付き付ける。思春期の子供たちは、色々な問題に悩み、自己の確立と、自己の将来への展望に悩み苦しむ多感で不安定な年頃である。そこへ更に教育制度の問題点を描き出しているのに、これ程自然にそして観る者に異和感を感じさせずに、フランスの学校の日常を描き出したこのローラン・カンテ監督の手腕には脱帽する!
監督と共に脚本も書いたと言う原作者であり、教師役で出演もしたと言うフランソワ・ベゴドーと言う才能豊かな作家の存在抜きにしては、この素晴らしい作品の成立は無かった事だろう!2人の才能豊かな作家たちと、何よりも、この24の活き活きとした生徒達を演じた若者たちにエールを送りたい!
銃なき戦士に、祝福を
フランス映画復興の切り札と目されているローラン・カンテ監督が、自国のベストセラーを題材にして描く、ドキュメンタリータッチの青春映画。
本作を、「金八先生」や、「スクールウォーズ」のように熱血、かつ生徒への深い、深い愛情をもった教師と、生徒達の衝突と、熱い繋がりを描く作品と考えてはいけない。
生徒、親、同僚の教師という様々な人間関係の中で一人、孤軍奮闘している教師の姿を主観に置いて作られる物語は、さながら銃弾が乱れ飛ぶ戦場で、武器を持たずに被弾を避け続ける戦士の姿が見えてくる。
冷静に、丁寧に生徒と国語教師、フランソワのやり取りを追いかけていく。しかし、この物語は単純に毎日のありふれた会話を重ねて、何となくやり過ごしていく学園生活を郷愁を持って見つめるノスタルジックな雰囲気はない。
むしろ、日々の討論、疑問、小さな衝突を堅実に積み重ねていくことで、徐々に、かつ確実に熱を帯びていく沸騰、緊張感が画面全体を覆っていく。近年のフランス映画に顕著である、曖昧な要素から観客の想像力に委ねていく作り方とは一線と画した、明確な主張と躍動感。心が追い詰められていく最前線に突き進む戦争映画の恐怖心に似た高揚感すら滲み出す。
それでも、作り手は教育という、答えと道筋のない戦いに絶望している訳ではない。仲違いと、食い違いを容赦なく描きながらも、生徒達が時折浮かべる笑顔は、底抜けに明るく、観客も気持ちが穏やかになる。絶対的な教師と生徒間の協力関係をさり気なく否定しつつ、一瞬の信頼を信じて生徒を肯定的に描く。何かと難しい現代の教育界に対して、的確なアプローチだ。
終盤、教師と生徒が一緒にサッカーに興じる場面がある。ここに、作り手の教育への希望が垣間見えてくる。「共存」という揺れ続ける答えという名のボールを、相手を信じ、パスし、奪い、一つのゴールへ導く。たとえ、卒業までにゴールに着かなくても、いい。共に、探していくのが答えだ。
銃なき現代教師たちの迷いと戦いに、心からの応援と祝福を送りたくなる、極めて豊かな示唆と愛情に満ち溢れた物語である。
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